エピローグ

~二、三の復習~

「[〈知恵の水路の塔〉はこの度、名誉首席教授ルキウスによる論文『狂王化現象の収束可能性と《神々の涙》の杯に生じた形状変化の相関関係について』および添付の要望書簡の内容をみとめ、各国政府に神国ディウィフィリウスの危険度が恒久的に低下したことを報告すると決定した]」

 今しがた届いた書簡をひらいて、ルキウスはざっと音読した。

「なにをゆってるのかぜんぜんわかんないんだけど、いいこと? 悪いこと?」

 酒場のテーブルいっぱいに並んだ肉料理をほとんど一人で空にしたアーレア王子が、人参スティックをぽりぽりかじりながら首をかしげる。

「いい知らせです」

 カタラクタ帝国皇太子による騒動のあと、ルキウスはアーレア王子の狂王化の可能性が著しく低まったことを数式を用いて証明し、論文にして古巣に提出した。

 狂王の万年被害者である〈知恵の水路の塔〉がこの事実を認定し、各国政府に通告したことで、狂王の消滅が世間に認められることとなる。

 ただし、論文の詳しい内容は〈知恵の水路の塔〉の部外秘とすることをルキウスは要望した。

 神国ディウィフィリウスという国家の秘密に関わるからである。

「偏屈学者ぞろいの〈水路塔〉にしては迅速に動いてくれましたし、満額回答です」

「満腹怪盗か~。そういえば金行強盗は楽しかったぞよルキウス。またこんど行こうね~」

 ピクニックか何かのノリで恐ろしいことを言って、アーレア王子は席上に立ち上がり、

「いえーい、みんな楽しんでる~? 〈知恵の水路の塔〉にカンパイ!!」

 と音頭をとった。


「「「乾杯でござる!」」」「「「ござれば!」」」「「「ござったな!」」」


 マッチョな坊主集団が、僧院独特の掛け声で唱和した。

 マッチョの隙間隙間で近衛隊の若者たちが固まっている。

「だめだめだめ、まだノリが足りないぞよっ。近衛隊のちょっといいとこぜんぜん見えないっ。はーい。はーい。はーい。はーいっ。国庫が傾くまで飲んで食べてもうちの天才教授が錬金術でナントカしてくれるからなっ」

 今夜、絶唱酒場・肉肉亭では、《カタラクタ帝国の陰謀撃退慰労会~今宵はアーレア王子とその師ルキウスを囲んで肉を食べ、肉を食べ、野菜と肉と肉を食べつくしながら神々の愛を語らう無礼講の夕べ~》がひらかれていた。

 借りきった店内をぎゅうぎゅうに埋めつくしたのは巨漢の坊主集団と、刺客の襲撃から回復した近衛隊の若手たち、そしてもちろんモフモフ兄弟、それから朝日市場の八百屋の少年も呼ばれて何やかんや仲良く語らっている。

「それはどうでしょう。俺はもうすぐ縛り首になって死ぬので」

「またそんなことゆってる。あっ、煙草!」

 咥えて火をつけたばかりの煙草を目にも留まらぬ疾さで閃いた短刀が一刀両断していった。

 向かいの席に座る深窓の姫君が、かよわい風情で咳きこんだ。

「けほっ。けほっ。まあルキウス。病弱で肺の弱いわたくしの前でよく煙草などという有害物を吸えたものですね」

 可憐に人をなじりながら、さりげなく袖口を整えている。いま何かそこから飛び出してたよな。

「これは失念いたしました。どうかお許しください、ソルティス王女殿下」

 ソルティス王女は死んだフンコロガシのような目つきでルキウスを見つめた。

 あれ以来、ソルティスのルキウスを見る目つきはずっとこんなふうである。

「そもそも王室に対する敬意の問題ですわね。クラウディウス公爵」

 ――カタラクタ帝国は、婚約を破談とはしなかった。

 対外的にはソルティス王女の体調の一時的な不調を理由とする婚礼延期が発表された。

 暗黙理に『アーレア姫を渡せ』というプレッシャーをかけてきているのは明らかだが、のらりくらりとかわしていくよりほかに神国ディウィフィリウスにできることはない。

 ガイウス皇太子がアーレア王子に神々の血との交信の可能性を見出している以上、たとえ建前だけでも、アーレア王子が本当は姫であることを世間に知られるわけにはいかない。大戦後の協定に縛られた七王国と神国ディウィフィリウスの力関係を思えば、王位継承権をソルティスに譲った上で王女として他国に嫁ぐことをアーレア王太子に強要してくることは充分ありえる。

 聡明なソルティス王女ならば理解できることなので、犯した失敗を挽回するように〈彼〉は完璧な王女を演じつづける。誰よりも愛する姉のために。

「面目次第もありません。日頃からアーレア王子殿下のご寵愛に慣れきってしまい、臣下の分を見失っていたようです」

 フンコロガシの死体の目がさらに干からびていった。

「縛り首を前にして禁煙なんてどうでもよくなる気持ちはわかりますけれど。……すみません、ササミのお代わりをいただけます?」

 ご馳走には手をつけず、ソルティス王女はひたすら味付けしていない茹でたササミ肉だけを食べ、生卵をジョッキに二十個もそのまま割ってズルズルと飲んでいる。

「な、なんで? なんでルキウスが縛り首になるの?!」

「臣下の分際で王太子殿下(しかも教え子)と密通しているからです。大っぴらにバレたら彼は確実に縛り首ですのよ、兄上」

「密通ってナニ?! 密通をしてるの?! 余とルキウスが?!」

「してない。……定義にもよるが」

「よくわからないけどワクワクドキドキな響きがするぞよ密通! 余はルキウスとこれからも密通がしたいぞよ!」

 シーッ

 真っ赤な爪をした指が背後からのびてきてアーレア王子のくちびるに押しつけられた。

「女の子からそれ連呼しちゃダメよ。アーレアちゃん」

「カンティ姐さん!」

 歌姫カンティがすかさず妖艶なポーズをとってアーレア王子の歓迎に応えた。

「そうだカンティ姐さん、こないだは本当にありがとう!」

「どういたしまして。〈彼〉に気に入ってもらえた?」

「むふふー」

 歌姫カンティとアーレア王子から意味ありげな視線を送られ、ルキウスは「何ですか?」と言った。

「婚前晩餐会のアーレアちゃんの見栄えを監修したのはあたしなの。王城の女官や化粧師って腕はいいけど、どうしても万人向けにしちゃうじゃない。その点あたしは変幻自在の歌姫で、落としたい男の好みに合わせるって技を知ってるから」

 そして歌姫カンティはアーレア王子に小さな鍵を渡した。

「ねえ、あたし今晩の出番を終えたらちょっと留守にするから。よければ二人の逢い引きにはあたしの楽屋を使って」

「カンティ姐さんどこ行くの~?」

「アクティニアリア大公国に発酵床を届けにね」

 大公の婚礼を祝う行事がまだまだつづくお祭り国家アクティニアリアで、パブリウス先生から歌姫カンティの公演を依頼されているのだという。

 パブリウス・マロは、太古の滅びの戦をひとりきり生き延び、新しい人類の誕生と発展を見守りつづけてきた。

 彼は半神半古代人ゆえに、長命である。

 彼は様々な国で違う名前と爵位を持ち、姿の変わらない長命種であることがバレないように定期的に家を出奔しては、外地で生まれた次代の子供ですという体裁で戻る、というやり方でほうぼうの家名を維持してきた。

 狂王の戦によって〈知恵の水路の塔〉が再起不能なまで壊滅するたび、人知れず再建に手を尽くしてきたのもパブリウス・マロだった。

 そうしてパブリウス・マロは、悠久の時の果てに、神国ディウィフィリウスでルキウスという少年に出会った。ルキウス・クラウディウスこそは、彼が投げかけた未来への賭けの結晶。歯車の術式の結実として現れた、解呪の鍵だった。

 ところでルキウスの姉は、神国ディウィフィリウスでのパブリウス・マロ伯爵には一毫ほどの興味も持ってはいなかったという。


『弟をつまらない道に引き寄せた学問馬鹿族のつまらない男としか思っていなかったのに、アクティニアリアでばったり再会したら全然まったく別人の素敵なひとなのですもの』


 などと供述しており――。

「でもあの歌姫は……」

 カンティの歌を聴きながら呟いたルキウスに、アーレア王子が「なになにっ?」と訊いてくる。

「いいや、何でもありません」

 姉とパブリウス・マロの組み合わせに未だ納得いかないルキウスは、アクティニアリアで一悶着が起こればいいのにな、と思った。

 確かに自分は、嫌な弟かもしれない。

「密通部屋」

 ソルティス王女がぼつりと、汚らわしそうに呟いた。

 そしてじろりとルキウスをみた。

「週三、三時間。父上への口止め料」

 週に三回三時間ずつ剣の稽古をつけろと言うのである。

「……わかりました」

 ルキウスがしぶしぶ頷くと、ソルティス王女は交渉を成立させて得意げな表情を隠さなかった。

 が、ややあってから蒼白な顔でルキウスを二度見した。

 、と殺気立った眼が詰めてくる。

 ルキウスはそのときすでに明後日のほうを向いて笑っていた。

 だからそれは、定義による。

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