〈破壊神の紅〉

「神の子アーレア姫。――貴女の軍隊を退かせよ」

 余裕の表情で命令するガイウス皇太子の前で、アーレア王子が大きくひとつ震え、それからゆらりと片腕を伸ばした。たじろぎながら背後の騎士がその手を取ると、アーレア王子は羽のようにするりと立ち上がった。

 その両瞳が、ひらかれる。

 凶々しい真紅に染まって爛々と輝く、〈破壊神の紅〉が。


『ソルティス』


「姉上? ……うぁッ」

 ソルティスが両瞳を押さえて上体を折った。


『それを殺して』


 無邪気な指先でアーレア王子はガイウス皇太子を指す。


『殺して。それを。殺せ。殺せ。殺せ。壊せ。それを壊せ。殺せ!』


 顔を上げたソルティスの瞳は、アーレア王子と同じ真紅に染まっていた。

 跳ぶようにソルティスは駆け、抜かれた刃がガイウス皇太子を目がける――。

 迷いなく直上から、一撃のもとに斬る!

「――」

 ガツンと正面からソルティスの剣を受けとめたのは、ガイウス皇太子をかばって割りこんだルキウスの剣だった。

「結局こうなるわけか」

「ウウウ……ッ」

 双子の血に共鳴したソルティスの瞳の狂光に、ルキウスは途方に暮れたい思いがした。

「正気に戻れと言うだけ無駄だよな」

 正気だろうが狂気だろうがルキウスを倒したくてしょうがないのがソルティスなのだから。

 だったら仕方がない。

「そこまでわからないのなら教えてやる」

 ルキウスは本気でソルティスの剣をはねかえした。

「ガイウス皇太子。その機械の試みは失敗だ。アーレア王子は暴走した」

「暴走したところで、ただの女じゃないですか」

 冷徹にガイウス皇太子は答え、やはりもう少し調整の必要がありますねと笑った。

 ――どいつもこいつも狂っている。

 懐に突っ込んできたソルティスを躱し、ルキウスはその背中から首筋を狙って斬りおろした。体勢を崩しながら避けた相手を追い打ちで蹴り飛ばすと、ソルティスは転げた先で身軽に立ち上がる。息も切らせずにソルティスはふたたび疾風の攻撃を仕掛けてくる。

 剣戟。

 火花。

 狂気。

 視界の端で狂王が――暴走する神の意識に呑まれたアーレア王子が、血色の涙をながして微笑っていた。

 あのままでは、壊れてしまう。

 だがソルティスはけして楽に勝負のつく相手ではない。

 ましてルキウスは矢を受けた利き腕に力が入らず、他にも傷を抱えた病み上がりだ。

 噴水広場の石畳から草地に外れていったん距離をとったところで、ルキウスは半眼をとじた。

 深呼吸して呟く。

「フェスティナ・レンテ(ゆっくりいそげ)」

 ソルティスの剣には目的が強くありすぎる。

 ルキウスを超えたいという目的にとらわれすぎて、ルキウスを見ていない。

 自分自身の勘と技と疾さと強さだけを自分勝手に追いかけている。

 それが彼の剣の弱さであり若さだ。

「ウウ――ッ」

 戦意を喪失したように動きを止めたルキウスをめがけて、ソルティスの会心の剣が振りおろされる!

 髪の毛ひとすじを斬らせてルキウスは凶刃を躱し、ソルティスの前から消えた。

 そこにあった野ウサギの巣の穴にソルティスが躓いた一瞬の隙を突き、ルキウスの剣がその利き手を打つ。手から離れて飛んだ剣を空中で奪い、驚愕して振り返るソルティスの喉元を両手の剣でつづけざまに襲う。ソルティスは本能のみで仰け反った。すかさず足元を払われ、もんどりうってソルティスは地面に倒れた。

 立ち上がれないようにソルティスの上に馬乗りになり、ルキウスはとどめの剣を――二本とも草の上に突き立てる。

「ウウウウ……ウウウッ」

「お前、俺の前頭葉の価値がわかってるだろうな」

 もがくソルティスの襟首を掴んで。

 いちばんの武器をおもいっきり振り下ろした。

 渾身の頭突きをくらってソルティスは、のびた。

「ソルティス……殿下。あなたは俺にとって昔からずっと、同志でした。アーレア王子を廻る小さな輪の中の同志でした。アーレア王子にはあなたが必要だった。俺にもあなたは必要だったんです。アーレア王子をアーレア王子のまま受けとめられる人間は世の中にそうはいない。アーレア王子にあなたという理解者がいてくれることが、俺はとても心強かった」

 疲労困憊の荒い呼吸が収まらないままルキウスは立ち上がった。

 とっくに尽きた寿命の延長戦みたいな時間帯だ。

 これから大仕事があるのに。 

「マグナ・ウォルイッセ・マグヌム(偉大なことを、欲したということが、偉大である)。……ただの女だったらよかったんだけどな」

 どんなに難しい神々の暗号も、何百年と説かれることのなかった数学の難問も、アーレア王子ほどルキウスの頭脳を悩ませはしなかったし、ルキウスの心を苦しめはしなかった。

 学問上の難題ならば時間をかければ次から次へ解決できる。けれどアーレア王子という難題はいつまでもルキウスの人生から去らない。

 忘れようとしても、消えない。

 まるで人生そのもの。

 ……だったら。

「ディスケ・ガウデーレ(楽しむことを学べ)」

 青白い光の焔をまつろわせて、ルキウスは壊れかけのアーレア王子の前に辿り着いた。

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