お久しぶりです。おぼえていますか?

 世界に平和を約束する婚約者たちの見事な踊りを最後に、祝典ははやばやと幕引きの鐘が打たれた。

 ソルティス王女のお体をいちばんに考えて、というガイウス皇太子の配慮からだった。

 主賓たちは大広間を退がるが、あとの列席者は大いに祝賀の余韻を楽しめばよい。


――どうしてあんなことを言うんだ


 焦燥と苛立ちを抱えながら、ルキウスはただひとりの後姿を追って大広間から大廊下へ出た。

「どこへ行くのだ? クラウディウス公爵」

 憎しみに満ちた薄暗い声のあいつが行く手を阻んでいた。

「ソルティス……殿下」

 〈兄王子〉の装いのままルキウスにまっすぐ向かってくると、ソルティスは外への出口を視線で示して言った。

「何か疑問に思っていることがあるなら僕がぜんぶ答えてやる。場所を変えよう」

 夜の帳のすそを篝火でうずめた明るい庭を、ソルティスは衛兵の敬礼を受けながら歩いてゆく。

「姉上はことの成り行きにすべて納得されている。いまさら君に余計なことをされると困るんだよ」

「いつからです。アーレア王子が入れ替え計画を知ったのは、そんなに前じゃないはずだ。ついこの前までは俺に……」

 もしも自分が狂王として目覚めたら殺してほしい。

 そうルキウスに言っていたのだ。

「天体噴水で拉致してからの一週間にむりやり納得させたのではないですか。一週間で出した答えなんて当てにならない。最低でもその三倍は反証に当てる必要がある」

「アーレア王子? まだそんなことを」

 胡乱げな目をソルティスが向けてくる。そして彼は足をとめた。

「では僕はソルティス〈王女〉なのか?」

 鞘から抜かれた白刃がきらめき、ルキウスの首元にきっさきが突きつけられた。

「神王家は何故そんなにも無理のある誤魔化しを行なってきたのですか。何のために」

 無抵抗のルキウスに怒りのやり場を失い、ソルティスは剣を仕舞う。

「僕ら双子が生まれたとき、神王家は動揺した。神王家に双子がうまれることはあっても、長子の出産では前例がなかった。二つ目の異例は、生まれた男女の赤ん坊のうちで狂王予定者のしるしがあったのは女の赤ん坊のほうだった。王女が狂王予定者であることもまた異例中の異例だった」

 歴代の狂王は、すべて神王家直系の第一王子として生まれている。すべての狂王が男だ。

「神王家は――実際には王家の血につらなる古老たちが考えたことだが、彼らはこれを万が一の未来の楔として利用することにした。つまり、狂王が女であることを衆目に向かって暴露するタイミングを、生まれたときとするか、それとも狂王として立ったときとするか、ということだ」

 女王に戦が出来ぬということはないだろう。むしろ才能次第では軍勢から最高の力を引き出す戦女神となりうるかもしれず、予想がつかない。

 大事なのは、王がみずからを偽っていたという事実のほうだ。

「狂王の軍隊の前で、狂王の嘘を暴く――そうして狂王から求心力を奪い、破滅的な戦を回避するという未来を彼らは画策した」

「そんな小手先の茶番で――」

「小手先の茶番は代々行われてきたことだ。我が父上が、王太子として立つまでは身分を知らされぬまま西の僻地の今は忘れ去られて寂れた古都に捨て置かれていたことは知っているだろう」

 現国王は、先々代が死病に斃れてから初めて王都ディーウィに呼び戻され、右も左も分からない王城で戴冠した。

 西の古都の訛りはそのせいだ。短い王太子時代から新王、そして狂王として軍勢を率いたあいだは苦労して王都標準語を話していたようだが、敗戦後に抜け殻のような好好爺となってからはすっかり西の人に返っている。

「狂王としての地盤を固めさせないために、そこまでした。誰よりも、神国ディウィフィリウス自身が戦を望んでいないからだ」

 天体噴水の広場へとやってきてソルティスはルキウスを振り返った。

「僕はガイウス皇太子の人柄を信頼に値すると判断し、手紙ですべてを打ち明けた。神国ディウィフィリウスの双子のからくりも、僕が姉上を不幸な運命から救う道を模索中であることも。ガイウス皇太子は僕の計画に賛同し、同盟を誓ってくれた」

 ルキウスはその声の確信的な響きに眉をひそめた。

「国王陛下は?」

「なにごとも『よきにはからえばええ』の父上は、男の僕がカタラクタ帝国に輿入れすることに疑問も異論も挟まずに右から左へ王印をついて決裁するだけだ。父上は敗戦以来、魂が抜けてしまったんだ。双子の秘密を知っている古老たちは僕の計画に追随した。なあクラウディウス公爵。こんな腐った終わりかけの国で、王太子として生まれてきただけでも姉上が不憫だと思わないか?」

 固く信じた理想を疑わない瞳で、ソルティスは宣言した。

「姉上はカタラクタ皇帝妃としてお幸せになるのだ」

「どこにいたって狂王としての覚醒からは逃れられないのでは」

「だがガイウス皇太子の手中にあれば、狂王は初めから幽閉されているも同然だ」

「ご自分が何を言っているのかわかっているのですか?」

 ソルティスが瞬時に顔色を変えた。

「わかっている! 少なくともお前よりは僕のほうがわかっているんだ! 姉上のことだって、僕のほうがお前よりもよく知っているんだよ!」

 どうしてこいつはいつも急にキレるんだ。

 姉のことになると必ず。そして、ルキウスが余計な口を挟むと必ず。

「何がわかっているんだか。ガイウス皇太子はアーレア王子を帝国に連れ帰るなり殺してしまうことだってできる」

「そんなことはしない!」

「狂王予定者を殺して稼げる時間は、神王家に新たな直系王族が生まれて成人するまでの二、三十年といったところか。ならば、牢の奥深くに閉じ込めて生かしておいたほうが合理的により長い時間を稼げるな」

「貴様は……」

 ソルティスが気色ばんで剣の柄に手をかけた。

 だがルキウスは泰然と首を振る。

「殿下に刃を向けることはできません。以後は真剣勝負はお受けできない。あしからず」

「ルキウス。因縁の場所だぞ」

「はい?」

「七年前に貴様が姉上を襲った刺客を斬った場所だ。だが貴様はあのあとすぐに姉上を捨てて〈水路塔〉へ行った。貴様は裏切り者だ。だから僕は貴様を超える。貴様を超えるために今日まで姉上をお護りしてきたのだ」

 スカラベ座の彫られた噴水の下で、ソルティスが自分自身の想い出を斬って捨てるように笑った。

 十四歳のルキウスを見上げていた九歳の自分を脱ぎ捨てるように。

 そしてソルティスは凄惨な薔薇色の瞳でルキウスを睨みつけた。

「姉上は貴様が暇乞いをしたあと僕のところにきては毎日泣いていたがルキウスには絶対にバラすなと仰った。二度と自分のためにルキウスに人殺しという恐ろしいことをさせたくないと思いつめて姉上は貴様を塔へ送り出したのだ」

 バラすなと言われたら七年経とうがバラすなよ。という言葉が喉元まで出かかったがルキウスは飲みくだした。

 後ろめたさがあるのはルキウス自身だ。

「今度だって姉上はどうしてカタラクタ行きに納得したと思う? 自分がカタラクタに囚われれば貴様は〈水路塔〉に戻って研究をつづけられるからと――」

「そんな姉上の願いとやらにほだされたのか?」

 何が『僕のほうがよくわかっている』だ。

 この弟は、アーレア王子のことが何もわかっていない。

「そんな願いなんかどうでもいいだろ。ソルティス殿下は姉上にどんなふうにいてほしいんだよ。カタラクタでどうやってアーレア王子が幸せになれるんだ。遊びに連れ出してくれる先生も、ほうぼうで守ってくれる弟も、こっそり泣かせてくれる妹もいないのに」

 ソルティスが唸り声をあげて掴みかかってきた。

「うるさい黙れ! 神童だからって偉そうに……」

「とっくに神童という齢ではないが」

「昔からだ! 昔からお前は……僕のことだって対等に見たことなどない。病弱な姫だと侮っているからこそ、僕のことを褒めそやした。可哀想な姫だから、そこに友情があるようなふりをしていたんだ。お前はそういうやつだ」

 ルキウスは今日初めてソルティスに失望した。

「きょうだいそろって君たちは馬鹿だな」

 襟首にかけられた強情な手をもぎ取り、ルキウスは後ずさる。

 刹那。

 闇の中から顔をめがけてするどく飛んできた礫にルキウスは反応した。

「くそ、目を狙って……」

 顔をかばった右手が掴んだものを見て、ルキウスは瞬いた。

「クルミ?」

 森のほうから草地を踏んで何者かがやってくる。

「お久しぶりです、ルキウス教授」

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