アクティニアリア大公殿下

 夕風の涼やかなバルコニーでも人々は挨拶酒を飲みかわして方々に固まっていた。

 城下を見下ろす欄干から、街の広場から上がる花火を眺めている人たちの中に、イカのばけものの後ろ姿もあった。姉が腕を組んでその肩にしなだれている隣の男性は、イソギンチャクのばけものみたいな帽子をかぶっている。

 目立たないほうに逃げようと踵を返したルキウスに、目ざとく姉の声がかかる。

「あらルキウス、紹介するわよ。彼がわたしの愛する夫。アクティニアリア大公殿下よ」

 ……仕方なくルキウスはふりかえって近付いた。

「初めまして、神国ディウィフィリウスへようこそ。この度は、姉をお引き受けいただいた寛大さに心から感謝――」

 一礼して顔を上げたルキウスはそこで言葉を失った。

「パブリウス先生……」

 パブリウス・マロだった。

 銀髪の頭上に真っ赤なイソギンチャクをのせ、紺碧色の豪奢な夜会服をまとい、じゃらじゃらと黄金のメダルのたぐいをかけた恩師の首根を掴んでルキウスはむちゃくちゃに揺さぶった。

「あなたはどこで何をしていたんです?! どうして急に消えたんですか! あの思わせぶりな暗号はいったい何なんだ!!」

 イソギンチャクが大きく前後にそよぎ、大公殿下は無抵抗をしめして両手をかかげる。

「おー、わったしー、ディウィフィリウス語はー、わっかりーませーん」

「今日はみな共通語で話しているでしょうが」

 この後に及んですっとぼける恩師を乱暴につきはなし、ルキウスは姉を睨みつける。

「姉上もグルだったのか?」

「あら何のお話?」

「やだなあ、そんなに怒るなよルッキー。おまえのことだし、解読なんてぜんぜん簡単だったんじゃね? なあ、どうだい調子は?」

「アーレア王子に変な夜遊びを教えただけでも万死に値する!」

 怒りが傷に響いてルキウスはその場所にしゃがみこんだ。

 軽薄な喋り方をするビーチボーイ美青年大公が、青い瞳に魅惑的な光をきらめかせながら姉と顔を見合わせる。

「弟さん大丈夫かなぁ、ダーリン?」

 ルキウスは片手で頭を抱えながら懇願した。

「パブリウス・マロで、お願いします……パブリウス・マロで……俺の、尊敬する、恩師の……」

「わかった。わかった切り替える。ちょいと待て。ええっと――」

 美青年大公、改めパブリウス・マロが神妙な面持ちで咳払いをはさむ。

「すまない、ルキウス。君を怒らせたいつもりはなかったのだが、困惑したのは無理もないね。だがどうしても、必要な手順だったのだ……」

「手順?」

 ルキウスは頭をもたげた。

「私が試みた賭けの成就に必要な手順だよ。どうやら完成はしたようだ。だが発動はまだだな」

「発動?」

 ふとルキウスは自分の両手をひらいて見下ろす。今そこには古傷しかない。が。

「俺の上に現れる青白い光の歯車が関係しているんですか。あれはいったい……?」

 パブリウス・マロは年齢不詳の美貌に思わせぶりな微笑を浮かべた。

「ルキウス。アーレア王子を救えるのは君だけだ」

 確信をこめてパブリウス・マロは言った。

 ルキウスは目を細めた。

 アーレア王子を救う。

 自分にとっていま必要な言葉は、たったそれだけではなかったか。

「教えるべきことはすべて君に教えてある」

 パブリウス・マロは頷いた。

「おっと。だがこれだけはまだ教えていなかったかもしれないな。なあ、愛しい女(ひと)。君の弟は、遊びででも恋人がいたことはあるのかな」

 大公の甘い瞳で問われた姉はとたんに「ふふっ」と哄笑して、真顔で答える。

「前世までたどって探しても、ないんじゃないかしらね」

 そこで姉は大公に何事か耳打ちし、大公は「あっはは、それっぽい」と笑った。

 『数字に発情できるのではなくって?』とかなんとか聞こえたぞ。

「じゃあ手本を示してあげなければなぁ」

「あら」

 姉の手をとりうっとりと互いを見つめあい、ちらりと横目でルキウスを見遣ってパブリウス先生は言った。

「君の人生の正解がわかったときは、こうすればいいんだよ」

 そして二人は瞳の距離を縮めていった。

「……」

 こうすればって……。

 イソギンチャクとイカがどうにかなっているようにしか見えないが。

 その背景で、ひときわ大きな花火があがったとき。


――ソルティス王女殿下の御成りでございます。


 大広間から呼び上げの声が漏れ響いた。

 たちまち怒号のごとき歓声が湧くだろうと思いきや、大広間は水を打ったように静かになった。

 静寂に異様さを感じてルキウスはガラス窓の向こうをふりかえった。

 大広間の中央を、アーレア王子に付き添われてソルティス王女が国王夫妻の元へ歩いてゆく。

 

 ありえない――。

 ありえない、そんなこと――。

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