それって美味しいの?

 朦朧とした頭と痛む体を引きずってふらふらと彷徨いながらルキウスは、まとまらない考えの迷宮に陥っていった。

 アーレア王子の隠された疑いのある場所を、数式で割り出してゆくことは可能だろう。だが、蓋然性の高い場所は膨大になるだろう。しらみつぶしに捜す時間はないし、ルキウスには手勢もいない。帰国したばかりのルキウスには仲間がいなかった。

 そもそも数式というルキウスの得意技を知られている以上、相手はその裏をかくことができる。まったくの偶然性を得るためにダーツを投げた地点へ隠す、などだ。

「何度も同じことをくりかえせば偶然は確率問題になる。でも……」

 ソルティスの企みは今宵だけで完結するだろう。

 企み……。

 そこまで考えてルキウスは我に返った。

 アーレア王子を見つけることだけしか考えられなくなっていたが、そもそもソルティスは……。ソルティスはアーレア王子を傷つけない。それだけは確かだ。

 ソルティスの計画はアーレア王子のためのものであるはずだ。

 ソルティスの計画は、もうあまり時間のないアーレア王子と神国ディウィフィリウスにとって最善のものなのかもしれない。

 ソルティスの計画なら……。

 ルキウスは王城の正門庭園に出たところで期待とあきらめとに心が傾き、重い足をとめた。

「……」

 だがソルティスはいったい、帝国相手に何をしようとしている……?

 ソルティスの聡明さは確かに信頼できる。

 けれども。

 でも、理性だけで生きてる人間なんていないんじゃないか?

 昔も今も自分がそうであるように。

 たった今だってルキウスは、あの馬鹿王子が消えてしまっただけで、こんなにおかしくなっている。

「人間はみんな、どこかしらバカで、狂ってる……」

 思考を邪魔する霧がだんだん濃くなってきて、ルキウスは額をおさえる。まともにものが考えられない。

 あたりは地上から青空まで神国ディウィフィリウスとカタラクタ帝国の国旗や両家の紋章旗、そしてパステルカラーの吹き流しがたなびき、設えられた幾つものテントの下で町民たちがゲームや午餐を楽しんでいる。

 祝宴はすでに昼から、城下の国民を招いてはじまっていた。

「おお、ルキウス殿ではござらぬか! だっだっだっ」

 耳を聾する野太い声がかかり、ルキウスをふりかえらせる。

「フォルテース殿」

 フォルテースとその仲間たち、もとい〈聖徒教団〉中央僧院の僧たちが、肉肉しい肉料理を豪快に盛った銀の大盆をそれぞれに掲げて行進していた。

「ややっ? 何と憔悴したお姿でござるか! もしや肉が足りていないのではござらぬか?! それはいかん、いかんでござる。さあルキウス殿、拙僧らの肉料理を食うでござる。肉を食わねば戦はできぬ、でござるからな」

 いや、七日も仕事をしていなかった胃に肉はちょっと。

 だっだっだっ。だっだっだっ。

 辞退する隙は地響きを伴う哄笑に掻き消され、僧たちの壁に囲まれてルキウスは〈聖徒教団〉の提供するテントへ入れられた。

「朝一番には、牛を一頭と羊と豚を二十頭ずつ王城の厨房にお預けしてござるよ。今宵の晩餐の肉は神々の恵みでござりまするぞ。だっだっだっ」

 牛の乳の入った木椀をルキウスの前に置きながらフォルテースが自慢する。

「うちの王子は昔から牛乳が嫌いで……」

 『イヤアアア~ッ、おなかこわすからキライ~っ』と叫びながら逃げていくだろうアーレア王子の姿を妄想しながらルキウスは呟いた。

「ヤギの乳ならどうでしょうなあ」

 すかさずヤギの乳の入った木椀を並べてフォルテースはにんまりと笑む。

 あいかわらず澄んだつぶらな目をした中年の巨漢だ。

「好き嫌いを治すには感動することが一番でござるな」

「感動?」

「これを食べろあれを食べろ食べなければ正しく大きくなれぬ、と子供にいくら言葉で言っても神々のみわざの偉大さはなかなか言葉では伝わらぬでござるよ。我らの使命は神々のみわざを人間の肉体言語に訴えて伝えることなのでござる」

 フォルテースは調理役の僧に合図して何やら持ってこさせた。

「見たところルキウス殿は怪我をしてござるな? 戦場の回復食はこれが一番! 〈聖徒教団〉伝統の〈戦闘肉粥〉召し上がってござれ!!」

 肉なのか粥なのか、見た目からは全く判別がつかない――。

「……」

 儀礼的に匙を手にしたルキウスだったが、ひとくち含んでみると驚くほど優しくさっぱりした味がする。

「牛の乳清を使ったパン粥に、どろどろにすりつぶした鶏肉を合わせてござる。軽い口当たりは秘伝のハーブの調合でござるよ。造血と強壮の薬効もござる!」

「なるほど、感動する」

 ただの肉好きの戦闘集団だと思っていた〈聖徒教団〉の坊主たちにも、奥深い知恵の蓄積がある。

「だっだっだっ! 人を感動させるのは楽しいものでござるな」

 それはとても幸福な、知恵の使い方だ。

 ルキウスが学問に本気になりはじめたのも、パブリウス先生が教えてくれた数学の美しさに感動したのがきっかけだった。

「ここへ来なければ、貴殿らが知恵を楽しむひとたちだということを知らないままだったな」

 〈知恵くらべ座〉の教訓を、いまさらルキウスは噛みしめるように実感していた。

「知恵を楽しむというよりは、楽しむための知恵でござろうな。肉の旨さと恩恵を大いに楽しむための知恵でござるから。だっだっだっだっだっ」

 〈楽しむことを学べ〉――。

 楽しみ、感動するため。そんな人間的な知恵の使い方を、神々は古代人に望んでいたのだろうか。

 古代人の知恵の使い道が、天を侵す鉄の塔ではなく、もっと人のほうに向いていたら、太古の世界は滅ぼされずにすんだのだろうか。

 目も鼻も口もない彼らの顔を思い出して、ルキウスは考えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます