スカラベ座の下で

 ルキウスは王宮庭園の一画で人を待っていた。


《天体噴水の広場で待っていてくださるかしら。大事なお話があるのです。》


 ソルティス王女に手紙で呼び出されたのだ。

 一大行事の前こそなるべく自室で休まれていたほうがいいのではないかと思うが、わざわざ外で会うのもソルティス王女のことだから確固とした理由はあるのだろう。

 東西南北にわかれて、四つの石の球体が水に浮かぶように置かれ、それぞれの頂きでは神々が祝福のじょうろを傾けている。水はなめらかに球体表面をすべり、水盤からあふれた水は四つの噴水と広場の四辺をつなぐ水路にとめどなく流れおちて循環する。四つの球体には東西南北の空の代表的な星座が彫られていた。

 ルキウスは東の天体球のそばに立っていた。

 草地を挟んで王城側面の森が迫る庭園の端で、神々の慈悲深い表情を見上げていると、いやでも思い出す記憶があった。

 七年前。


 『そんな嘘をついてでもルキウスは〈知恵の水路の塔〉に行きたかったのよ』


 狂王の支度部屋でアーレア王子が披露した言葉の数々には、正答もあれば、誤答もある。

 ルキウスが嘘をついたのは本当だ。

 どうしても〈知恵の水路の塔〉に行かせてくれと、父と姉を拝み倒したときに言った言葉も真実だ。自分はアーレア王子の腹心になれる人間ではないのだと。アーレア王子のそばにはいられないのだ、と。神童ルキウスが、ありとあらゆる事象を検討して+も-も正も誤も罪も罰も考え尽くした本気の顔で言ったから父も姉も受け入れざるをえなかったのだ。

 でもそばにいられないのはアーレア王子の奇行のせいではなかった。

「まだ覚えていたのか、おまえたち?」

 足元に散らばったクルミの残骸にかけよってくるリスや野ウサギにルキウスは声をかけたが、寿命を考えればルキウスの少年時代に餌付けされたものたちとは個体が違うだろう。

 七年前のあの日、王宮庭園のこの場所でリスや野ウサギと戯れていたアーレア王子に刺客が斬りかかったとき、ルキウスは迷わず賊を斬り捨てて、――倒れてもまだ息がある男の首を、斬り落とした。

 必要ない。そこまでする必要はない。理性は告げていた。

 でもルキウスはやめなかった。体と剣は心に従い、ルキウスの心は男の惨殺を望んだ。許せない。十四の少年の剣では簡単には胴体からもげない首に二撃、三撃をふりおろし、千切れた首を蹴り飛ばして死体の心臓に剣を突き立てるまで、ルキウスは混じり気のない憎しみだけで動いていた。許せない。


――俺のアーレア王子を傷つけるなど、許さない。

 

 遠巻きに歩哨していた近衛がやっと駆けつけてその肩を掴んだとき、ルキウスの理性はやっと主導権をとりかえした。そして思った。これではまるで……狂王みたいだ。きっと自分が自分でなくなるとはこんなふうだ。理性を手放すというのは……。

 だけどそのときルキウスに現れたものは、狂王のように神々から与えられた崇高な使命なんかじゃない。


――俺のアーレア王子を。


 もっと醜くて利己的でおそろしいものだ。

 心の奥深くにずっと隠している本当の自分。

「あれ~? ルキウス~?」

 その声でびくりとしてルキウスはふりかえった。

「殿下」

 噴水広場の端から片手をふってアーレア王子が駆け寄ってくる。

「余はソルティスに呼び出されたんだけど、ルキウス見〜っけ!」

「ソルティス王女殿下に?」

「そー。カメムシ……じゃなくて何だっけ、あ、そうそう、スカラベ座の下で待っててってゆわれた~」

 東の星座の球体に彫られた〈スカラベ座〉にふとルキウスは意識を向けた。

 スカラベ……。

「あっ、ルッキーとウッスー!」

 森からフードを被った黒装束の男が現れた。

 スカラベ男は両腕にルッキー・モフモフとウッスー・モフモフを抱えて歩いてくる。

 王宮に侵入した……?!

「も~。余に内緒でどっかいっちゃ駄目じゃん~!」

 アーレア王子がモフモフ兄弟をめざして駆けてゆく。

「殿下、待っ――」

 草地の真ん中でモフモフ兄弟を放り捨てたスカラベ男がアーレア王子を捕まえて羽交いじめにした。

「あ~れ~」

 きょとんと瞳をしばたたかせ、アーレア王子はふざけた声で反応したが、スカラベ男の雰囲気は遊びではない。

 フードの下の口元がはっきりとルキウスに向かって微笑んだ。

 ルキウスは抜いた剣をとりおとす。見ると腕に矢が刺さっていた。侵入者は一人じゃなかった。森からさらに現れた二人がボウガンを立てつづけに放つ。

「ルキウス!!」

 瞳を見開いてアーレア王子が絶叫した。

 ルキウスは地面に手をつく。肩と腹に深々と矢が――絶好の的(マト)になってしまった。

「ルキウス・クラウディウス。もうとっくに貴様の時代は終わったのだ」

「いったいいつ俺の時代が来てたんだ? そんな非定量的なものを観測した記録がどこにあるんだよ。あるなら見せてみろ」

 王子にだけは危害を加えないだろうと素性を深追いせずに放っておいたのが仇になった。だいたい、顔にフンコロガシの絵なんて描いてるやつがまともなわけあるか。どこかのネジは外れてる。いま彼の手の中にあるアーレア王子だってネジの外れた王子だが。

 まったく……、よく似たものだ。

 それはフードの下にある薔薇色の瞳の血のなせる奇行だろうか。

 フンコロガシのイカれたゲームからアーレア王子を取り戻さないと。

 ルキウスは肩と腕と腹の矢を抜いて剣を拾った。

 しかし数歩も行かないうちに、足がもつれて倒れこんだ。

 麻痺毒――。

 磁場に吸いつくように重い頭を、かろうじて持ち上げると、霞んでゆく視界でスカラベ男が暴れて叫ぶアーレア王子の口を塞ぎ、ゆっくりと遠ざかっていく。

「待て、どこへ……」

 視界が闇に閉ざされた。

 視覚と手足の感覚を失い、拍動が徐々に間遠くなってゆく。

 急速に回った毒の作用になすすべもなく、ルキウスは冥府の入口に引きずりこまれた。


――あとは私にまかせてちょうだいね? クラウディウス公爵ルキウス


 聡明で無害な王女のかすれた声が、最後に聞こえたような気がした。

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