塔の上の未完成マシン

「〈神の目玉〉〈神の歯〉〈神の中指〉〈神のくるぶし〉〈神の背骨〉、これらは神知石に暗号化されて刻まれている知恵を解読するための暗号鍵です。神知石に刻まれた暗号には、数えれないほどの種類があり、我々に発見できた暗号鍵はまだごくわずかに過ぎない」

 そもそも、我々が神知石と呼んでいるものは何か。

 それは、神々のむくろの欠片である。

 かつて神の体であったものに、神々の知恵が刻まれているとはどういうことか。

 それは、神とはそういった生き物であったのだろう、としか言いようがない。

 いや、〈神々のむくろ山脈〉と呼ばれる地に埋まっている膨大な神々の死体が、人体と似た形状をしているゆえに我々はそれを神々の体であったものだと考えているが、本当のところはわからない。

 確かなことは、黄金の光を発するむくろに刻まれた神代文字が、神々の偉大な知恵をこの世界に伝えているという事実だけだ。

「ちなみに、古代人がどういう姿かたちのものだったかを伝える痕跡はどこにも残っていません。骨一つ残っていない。与えた知恵を望まぬかたちで濫用された神々の怒りはそれだけ大きく、古代人の文明は根こそぎ破壊されてこの世界から消えたのだと伝えられている。でも考古学者や伝承学者の研究では、古代人にまつわる伝承がどこに根拠をもつものなのか明確に辿ることができていません。もしかしたら、古代人などというものは存在しなかったのかもしれない」

 神々の伝説も、信仰も、罪や罰という善悪の価値観も、結局は人々の想像力の産物でしかない。

 その一方で〈水路塔〉がこの世界に解き放った知恵は、人々の生活を少しずつ確実に変えてゆく。

「七王国では軍事技術を中心に、〈水路塔〉発の科学技術の浸透が進んでいます。火薬の精製技術や石打式銃、連射式砲の性能は日々進化し、カタラクティス帝国では石炭を燃料にした新動力の開発も始まっています。すべて、戦後協定によって神国ディウィフィリウスには持つことが許されていない」

 望むと望まざるとに関わらず神国ディウィフィリウスはこの先もずっと世界の進歩から取り残されていく。

 それでも世界中の人々の神国ディウィフィリウスへの恐怖心は、けして薄れることがないだろう。

 どんなに武器の性能に差がつこうとも、……いや、神々の望まないかたちで世界が進歩すればするほど、神々の意志に従う狂王とその軍隊の狂気の力は増大する。

「だが神々の知恵の全貌は、まだこんなものではない。〈水路塔〉の我々は、巨城を囓るアリのようなものです。いくら優秀な頭脳を集めても、ひとかけらの神知石に刻まれた暗号を解くためにさえ、数年単位の時間がかかる」

 歴史のなかでは、狂王の戦による幾度もの〈水路塔〉の破壊と知識の消失があった。〈水路塔〉は、そのたびに学徒たちの不屈の精神で再興を果たしてきた。

 ルキウス・クラウディウスは〈水路塔〉の学問水準を四、五世紀ぶん先へ進めた人物と評され、それはほぼ事実だったが、歴史を鑑みればルキウスの仕事には、やっと今現在あるべき水準をとりもどした功績があるだけだ、とも言える。狂王という存在さえなければ、世界は今頃もっともっと便利で快適な場所になっていたはずだった。

「〈水路塔〉で俺が探していたのは、その問題の根本的な解決法でした。俺は人による暗号解読の限界を打ち破るために、人以上の能力で暗号解読に必要な計算を行える〈解析機械〉を考えた。そして、〈神の目玉〉〈神の歯〉〈神の中指〉〈神のくるぶし〉〈神の背骨〉という代表的な暗号鍵のパターンの研究を基に、〈解析機械〉の設計に一から取り組んだ」

 その機械が実現すれば、神々の知恵の解読は飛躍的にすすむ。

 この世界に劇的な変化が訪れる。

 神々は、今ここにいる相手と話すように遥か遠くに隔てられている相手と話すことができたという。

 神々は、火を使わずにいつでも真昼のような明るさの中に生き、火を使わずにごちそうを用意することができたという。

 神々は、星と星のあいだ、次元と次元のあいだを自由に行き来することができたという。

「〈解析機械〉があれば、われわれ人間もそんな世界をつくることができるかもしれない」

 歯車と櫛歯と磁石とダイヤルの精緻な組み合わせによる計算機の集合体――。

 ルキウスの設計した〈解析機械〉は、試作と理論的失敗を繰り返しながら、少しずつ、一歩ずつ、時には大きく後退しながらも、試行錯誤をかさねて問題を解決し、完成に近づいていった。

 でも完成はしなかった。

 ルキウス・クラウディウスが、〈水路塔〉を去ったから。

「仕事を引き継げる能力のある者はいませんでした。だから、あの機械は完成しません。あなたも安心して惰眠をむさぼりつづけることができますね」

 おもちゃ箱からあふれて絨毯に散乱する玩具を眺めて、ルキウスは言った。

 遊んでいるときは夢中で楽しい。だけどいつか、子供は玩具遊びから醒めてしまう。意味を見失って虚しくなる。飽きられた玩具はそして、おもちゃ箱のなかに捨てられてしまった。

「俺はその機械に心の中で名前を付けていたんです。……もう寝ましたか、王子?」

 うんともすんとも答えはない。きっと王子はすぐ寝てしまったのだろう。ぜんぜん面白くない話ばかりしたから。

 規則正しい息をして王子は眠っている。

「俺は名前を付けたんです。忘れようと思っていた名前を」

 〈水路塔〉のてっぺんの研究室で独りきり。

 いつか人の心の中の秘密を解き明かす機械が発明されてしまう日も来るのだろうかと不安に思いながら。

 ルキウスはぜんぜん思いどおりに完成しない機械に寄り添い、数えられないほどの無意味な夜を明かしていたのだ。

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