神の子は御不浄なんか行かない

 王城に帰りついたあと、どさくさにまぎれてルキウスは早々と家に帰ろうとしたが、何故かアーレア王子にそのまま寝室へ連れこまれた。

「殿下、御不浄くらい一人で行ってください。そこまで面倒は見られません」

 アーレア王子は編んだ髪をほどいて頭を振りながらすたすたと寝室の奥に入ってゆく、

「馬鹿ねルキウスは。神の子は御不浄なんか行かないの!」

 一瞬ルキウスは「……そうなのか」と信じそうになり、「んなわけあるか」と常識に踏みとどまった。

 歩きながら右足、左足とブーツを脱ぎ捨ててアーレア王子は寝台に飛びこみ、枕元のウッスー・モフモフ氏(黒リス)を抱き枕にして布団をかぶった。

「何だ仮病か」

「お腹は痛いの! ルキウスには絶対にわからないの、これは!」

「は?」

 理不尽な言われように既視感をおぼえて記憶の中をさらうと、脳裏をよぎったのは何かの折に逆ギレしてきた姉の面影だった。

『おまえにはわからないのよ! 女の子の、この苦しみは、絶対にね!』

「典医を呼んだほうがいいのでは。俺は医学は表面しかなぞらなかったので」

「典医のデキムスは手が冷たいから嫌い。余はルキウスに手を貸してもらいたいのよ。……さっきからどうして戸口にへばりついているのよルキウス?」

 ルキウスは広い寝室の端の戸口でまるで見えない壁に阻まれているかのように立ちどまっていた。

 視線だけが落ちつかずに彷徨う。

 王城内ならば隅々まで図面に起こせるほど馴染みのあるルキウスなのだが、その景色は初めてみるものだった。

 幼少のみぎりから、アーレア王子の寝室はルキウスにとって敷居の高い場所だった。アーレア王子直属の女官たちが、どうしてだか王子の寝室にだけはルキウスを入れようとしなかったからだ。

 その部屋は、ソルティス王女のシンプルで品のいい寝室とはまったく趣が違っていた。

 白い天井、ピンクの壁紙、白とピンクの水玉模様の絨毯、白とピンク白とピンク白とピンク、ぬいぐるみ、ぬいぐるみ、ぬいぐるみ、おもちゃ箱、おもちゃ箱、おもちゃ箱……おもちゃ箱からこぼれて転がっている玩具はルキウスにも見覚えのある幼少時のものだ。

「たくさん部屋はあるのに、まだ幼少時代の場所から移っていないんですか」

「ここは母上がしつらえてくださった部屋だし、気に入ってるもの」

「王妃様は今でも公女時代と変わらぬピンクのお召し物がとてもよくお似合いですが、最近では国王陛下にもピンクを強制――お薦めになられているようですね」

 夫婦そろってドのつくピンクを上から下まで纏った両陛下に帰国の挨拶で拝謁したときは、そもそも自分は生まれる国を間違えたんじゃないかと思った。

「父上と母上は仲がよくて余はとても羨ましいのよ」

 アーレア王子は何故かとても寂しそうに言った。

「そんなことよりルキウス、手を貸して欲しいぞよ」

 女官たちはさっきもルキウスの姿をみて良い顔をしなかったが、大人になれば王子と側近の政治的な密談の場所が必要だろうとでも思ったのか、何も言わずに下がっていった。

 ルキウスは仕方なく寝台に近づいた。

「直属女官たちの顔ぶれが一人も変わらないんですね」

 貴族令嬢が経歴に箔をつけるための女官職は、順々に世代交代していくもののはずだが。

「だからぁ、いちいち細かいことを気にしないの。手を貸してルキウス」

「手を貸すって、何にです?」

 しどけなく黄金色の髪を白い枕に散らして横たわっているアーレア王子を極力視界に入れないようにしながらルキウスは首をかしげた。

「手だけ貸してくれればいいから」

 身を乗り出してアーレア王子はルキウスの右手をつかみ、布団の中に持っていった。体勢を崩してルキウスは膝をつく。

「何をやっているんですか王子。思春期の戯れなら女官を相手にして遊んでください」

「えっ、余に権力を使って女官をもてあそべと言っているの? えー。自分の家でもルキウスはそうやって召使いを……!」

「思春期はまるごと〈水路塔〉にいて、朝から晩まで数式をもてあそんでいましたね」

 権力を使ってバカ王子に弄ばれているのは、今のこの俺ではないのか。

「んとね、ここを触ってみて」

「――氷みたいじゃないですか」

 むりやり誘導されてじかに触ったアーレア王子の腹部はまるで生きた人間じゃないみたいに冷たく、ルキウスを驚かせた。

「余は冷え性なのだ……このまま放っておくとお腹痛いのも悪化するし、マジでお腹の調子も壊れてくるのよ。と、いうことで」

 ルキウスの右手を腹の上に置いたまま、服を直し、抱き枕のウッスー・モフモフを抱え直し、布団をかぶってアーレア王子は目を閉じた。

「殿下」

「ルキウスの手は女官より大きいしあったかいから役に立つぞよ。しばし余はお腹をあっためつつ眠るぞよ。余の健康回復に手を貸せい、ルキウス」

「……」

 ルキウスは右手を動かさないよう慎重に体勢を整えて寝台のふちに寄りかかった。

 こっちだって髪にも服にもまだ何となくうなぎ感があるので早く帰って風呂に入りたいのだが。

「ルキウス、眠くなる話をして」

「乳母になれる勉強はしてませんよ」

「ルキウスの得意な話なら眠くなる自信があるぞ」

 残念な自信ですね。

「〈水路塔〉の研究の話ですよね……。今日のパブリウス・マロ捜索の成果に関係するところを、少し詳しく話しておきましょうか。勝手に喋りますから、返事は結構です」

 ルキウスは低めに落とした声で話しはじめた。

 “ふっかつのじゅもん”と書かれた紙を貼りつけられてぬいぐるみ用の小寝台に寝かせられているルッキー・モフモフ(白ウサギ)の死体を見つめながら。

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