マジでパブい

 これは何だ?

 ルキウスは戸惑いよりも、思考することを選んで考えをめぐらせた。

 何の変哲もない、細工もしていない人間の手に青白く光る紋様を浮かべたものは……何かの新しい技術か?

 神々の知恵?

「パブリウス先生……あなたは何を」

 何を知っている? 何をしたいんだ?

「王子、これをどこで」

「スイカ? あっち、あっち」

 八百屋の端のジェラートを売っている一角に、番台を飾りたてるように、華々しいカーヴィングを施されたメロンやスイカが並んでいた。

 皮の表面の色模様と、果肉の白っぽい色味を生かして、複雑で美麗な紋様がそれぞれに彫刻されている。隅の椅子で浅黒い肌の少年が、ジェラート用に果肉を抜いた空っぽのスイカを抱えて、黙々とナイフを入れていた。

 近くに寄って、少年の手元とすでに並んでいる完成品を見比べていてルキウスは気づいた。

「君、それは〈神の目玉〉か……?」

「目ん玉、そう目ん玉っスね~。オレいま目ん玉彫ってるっスよ~」

 少年のナイフが彫り出している模様は、意匠化された〈目〉。

 ルキウスが手にしているさっきのアーレア王子の被り物は、大きく裂けた口に凹凸が並ぶ。これは意匠化された〈歯〉だ。〈神の歯〉。

 番台の上の完成品にはそれぞれ〈神の中指〉〈神のくるぶし〉〈神の背骨〉の意匠が隠されている。

〈神の目玉〉

〈神の歯〉

〈神の中指〉

〈神のくるぶし〉

〈神の背骨〉

 それらはすべて、〈水路塔〉で使われる暗号鍵の名称だ。

「ご贔屓の旦那がな、五つ揃えて置いとくと商売繁盛にええよってんで~」

「銀髪の青年か?」

 正確には、青年にしか見えない年齢不詳の老人だが――。

「んだ。マジでパブい旦那っスよ」

「パブい……?」

「この辺りじゃ、キンキラしたニイちゃんのことをパブいパブいとからかうっスね。大昔からっスね~」

 恩師が形容詞化している……。

「ここのジェラートもマジでうまうま~。余も宣伝しといてあげるよ、女官たちに!」

 余とか女官とか街中で言わないでください。……片手でアーレア王子の口を塞いだルキウスの背後から、暗い声がした。

「おい」

 殺気を込めた、呪わしそうな声が。

「王子から離れろ、クラウディウス公爵」

 ヒュッと風をきる音が耳をかすめる。一瞬前にルキウスの顔があった場所に白銀の刃が突き刺さっていた。

「――」

 ふりかえりざま帯剣に手をかけたが、ルキウスは抜くことをためらう。

 フードを深くかぶった男が、一撃を躱したルキウスの動きを追いかけて体を反転させた。剣を水平に構えたまま。

 フードの陰に、直角に描かれたスカラベの後ろ脚がみえた。

「スカラベ男……何のつもりだ?」

「問答無用」

 目も合わせずに男は白昼堂々ルキウスに向かって斬りかかってきた。

 反射的に抜刀し、露天に出てルキウスはその剣を受けとめた。

「待て、正気か? こんな場所で……」

 先日の殺意は冗談じゃなかったらしく、まるであの夜のつづきとばかりに男は本気の剣で攻めてくる。気迫で劣るルキウスは体に染みついた動きだけで剣をふるう。

 晴天の下で剣戟の火花がちかちかと散り狂った。

「余計な邪魔者さえいなければ、あの夜にお前を倒していた!」

「俺はお前の敵なのか。しかし……」

 だからといって、この男がルキウスの敵かどうかはわからない。何故なら。

「王子の敵は僕が排除する」

 剣は重く、攻めは疾く、戦闘勘にも優れた男の動きは、ルキウスも本気で応戦せねば命取りになりかねないものだ。

 だが、応戦以上の気持ちで踏み込めないのは、男がアーレア王子の味方であることは間違いないらしいという本能的な確信からだ。

「何か誤解があるんじゃないか?」

 男は一度も顔をあげることなく、フードの奥の目を見せない。

「この剣は、お前を倒すためのもの。それだけが真実だ、クラウディウス!」

「ルキウス~大丈夫~? 止めたほうがいい~?」

 砂埃のたつ戦闘のあとをほよほよと追いかけてきながらアーレア王子が呼びかけた。

「止められるんですかね、これ」

 アーレア王子の味方であることは確かだが、もろもろ拗らせている様子の男だ。素直に王子の命令をきく気がしない。

「……」

 ガッギィン、と噛みあった剣の下で、スカラベ男の口元が笑んだ。

「やっぱり止まる気はないようですよ」

「お前は王子の寵愛にふさわしくない」

「――俺もそう思うよ。君は頭のいい奴だな」

 その戦いぶりも、賢さが際立つ。体重の軽さを剣筋の読みと即断、技巧の多彩さで補い、疾さの有利を最大限に生かしている。順当に齢をかさね筋肉を育てれば無双の戦士になるだろう――とクラウディウスの父あたりなら言いそうである。

 体つきもそうだが、この狂気は若者独特だ、とルキウスは思った。

 しかし困った。

 実力がほぼ拮抗する中、本気で殺しにもいけず、市場の店々に損害を与えないように戦闘を制御するだけで精一杯の膠着状態だ。

「本気を出せクラウディウス!」

 そう言われてもな。

 自分の本気は剣に傾けるものじゃない。

 俺が命をかけられるのは剣じゃない。剣じゃなかった。……でも今はもう何もない。


――両名、そこまで!!


 ふいに肩を掴まれて投げ飛ばされ、ルキウスは水産店の店先に突っ込んで転がった。

 陳列された水桶がひっくり返り、からからと地面で回る。

「――」

 水桶の中で鮮度を保っていた商品をまるごと浴び、水たまりの中でルキウスは身を起こした。

 頭のうえと肩のうえと地面のそこらじゅうで、ぬめぬめした新鮮なうなぎがぴっちゃぴっちゃと跳ねている。

「なかなか良い勝負でござったが、買い物にきた町人たちには目に毒でありましょうなあ。だっだっだっ」

 日差しを遮る巨体が視界に現れ、豪快な笑い声を発した。

 ルキウスは水とうなぎをしたたらせながら立ちあがった……。

「フォルテースと申す。中央僧院の院長をつとめてござる」

 彼を投げとばした巨漢が、挨拶の手をさしだしてくる。

 ルキウスは儀礼的に黙ってその手を握りかえし、周囲の状況を見渡した。

 磨きあげた大理石のごとき頭頂部を並べて、筋骨隆々とした大男たちが幾重もの壁をなして立っていた。

 白布の衣に革製の胸当てがトレードマークの坊主集団。

 〈聖徒教団〉――。

 どうやら、第三勢力の強制介入によってルキウスは救われたらしい。

 めいめいに大量の食材を抱えたマッチョな坊主たちは、買出し中にここを通りかかったようだ。

 〈聖徒教団〉の正式名称は、〈聖なる神々の徒は今日も元気に肉を食べ、芋と豆と肉と肉と肉を食べ、神の御意志を果たすために筋力をつけます友の会〉と異様にわかりやすくて長い。

「クラウディウス公爵ルキウスだ」

 倒れたときに手放した剣を、うなぎのあいだから拾いあげて鞘に収める。

 壁が波のごとく割れて花道となり、おのぼりさんのようにきょろきょろしながら夢中でジェラートを頬張り中のアーレア王子を通した。

「隠せてもいないと思うが、今日はアーレア王太子殿下がお忍びで城下の視察にいらっしゃっている。途中で面倒ごとにまきこまれていたところだ。機転に感謝する」

「〈神の子〉を害する者でござったか?」

 気色ばむように巨体を揺らがせてフォルテースは背後を見返った。一瞬で周囲の坊主集団が戦闘集団の顔で緊張感を漲らせ、巨体をざわめかせた。

 さっきルキウスと同時に反対方向へ投げ飛ばされたスカラベ男は、すでに姿を消している。

「いや。私個人が恨みを買っているらしい」

 ルキウスは首をふって坊主集団の沸騰を制した。

 〈聖徒教団〉は名前のとおり神々の意志を信仰する宗教組織で、その規模は大陸中に及ぶ。

 総本山は神国ディウィフィリウスの王都にあった。

 僧院の出家聖徒たちは、鋼の肉体を理想として修行生活を送る。神々の意志の元に狂王が立つとき、彼らは神々に身を捧げる兵隊として、狂王の軍勢となるのだった。

 〈聖徒教団〉の宿敵は〈知恵の水路の塔〉だ。

 〈聖徒教団〉の教義は古代人を禍々しい悪として断罪し、悪の系譜たる〈知恵の水路の塔〉から発する知識や技術を全否定する――。

 ルキウスにとって水と油の相手だが、クラウディウス公爵として王太子の元に戻った今は好悪の感情を捨て、政治的にふるまわなければならない。

 「もしかして彼はおたくの若い衆では?」などと大人げない質問を投げたりはできない。

 スカラベ男に初めて遭遇した夜から、ルキウスはその可能性を考えていたのだが。

「大戦の英雄のお血筋に牙を向けるとは、目の曇った若者でござる。だっだっだっ」

 あまりに野太い笑い声は、わっはっはでは表せない音で鼓膜を圧迫した……。

 フォルテース僧院長が、ただたんに筋肉を発達させただけの坊主ではないのは、ここで父の謂れに言及したことでもわかる。

 しかし壮年の剃りあげたコワモテ顔に似合わず、フォルテースは澄んだつぶらな目をしていた。

 嘘やごまかしがあるようには見えなかった。

「院長、むかし飼ってた犬に似てる~。ね、ね、あたまの後ろのポコっと窪んだとこ触ってもいい? いい?」

 フォルテースの前で爪先立って、てかてかした頭頂部をなでなでしながらアーレア王子が言った。

「おおっ、もちろんでござりまするぞ!」

「にゅにゅにゅ」

「おおっ、ナイスタッチでござりまするぞ。だっだっだっだっ」

「すごいっ、理想的な後頭部の窪みぞよ~。余は祝着よ、フォルテース! だっだっだっ」

「だっだっだっだっだっ」

 さすが狂王とその兵隊予備軍は波長が合うらしい。

 意外とそれは洒落にならない。

 総本山に付属の中央僧院の長と言えば、実質的には狂王の元に参集する僧兵たちのまとめ役だ。

「殿下、礼を失します」

 注意して袖を引いたが、言葉の裏側は逆の意味だ。

 僧院長とアーレア王太子が接近したなどと他国に知られたら、あらぬ疑いを持たれる。

 大陸中であまねく信仰をあつめる〈聖徒教団〉には各国の支配者も手が出せないが、そのぶん、虐めやすい相手として外交圧迫という名の嫌がらせを受けるのは神国ディウィフィリウスだ。

「そろそろ市場の迷惑に……」

 あたりに目をやりながら言いかけて、ルキウスははっとした。

 マッチョ集団の壁がさっきより増えている。マッチョがどんどん増殖してゆく。

 どうやら、僧のあいだに知らせが走って、僧院から出てこられる者はみな集まってきているようだ。

 未来の狂王にして彼らの号令者となるべきアーレア王子に、日々怠らぬ修行の成果と忠誠の心を示すため。

 彼らはいっせいに跪き、地響きを轟かせて地面につるつるの額を押しつけた。


「「「 我らが〈神の子〉。月月火水木金金、我ら事あらば御身の一声によって崇高なる戦に馳せ参じ奉り候!! 」」」


 陽炎のごとく大気に揺らめくマッチョ集団の闘気に、ルキウスは戦慄した。

 いつか狂王の〈破壊神の紅〉が目覚めるとき、彼らは各国の都で、各地方都市で、こうして蜂起の地鳴りを響かせるのだ――。

 アーレア王子は神代の美貌を青ざめさせて棒立ちになっていた。

 血の気の引いた顔に切迫した表情をのせてふりむく。

「ルキウス……どうしよ……すごく……」

 すがるようにルキウスをみて、言った。

「……………………………………おなか痛い。ヤバい」

 スイカどころかメロンとオレンジとレモンのジェラートまで制覇してましたからね。

「お城に帰る……!」

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