偉大なことを、欲したということが、偉大である

「店主、炒ったクルミを一袋」

 朝日市場のナッツ屋でルキウスはオボロス銅貨を三枚支払った。

 先をゆくアーレア王子に追いついて、歩調を合わせる。

「クルミはぜんぶで十八個あります。俺の右手の中に三つ取り出しました。袋の中にはいくつ残っているでしょうか」

「三十個!」

「……時空が歪みましたね」

 ルキウスは手の中でぐりぐりとクルミを回した。

 これは馬鹿に遭ったときの自傷癖をやわらげるための習慣だ。クルミが砕けたときは馬鹿アレルギーによる心臓発作の危険が近いというバロメーターになる。〈水路塔〉では勉強不足の学生の珍答にいらいらして木の実の残骸をまき散らしていたのを、首席教授ルキウス・クラウディウスは小動物に餌づけする心優しい人格者だなどと曲解されていたようだが。

「急に問題を出すからよルキウス。そうゆうのは心の準備がたいせつ」

「暗殺者がぜんぶで二十八人いました。表に十五人。屋根の上に弓の射手が一人います。顔にスカラベの図柄を描いた男が十六人を倒し、俺が十人を倒し、二人が逃げました。さて裏口から侵入したのは何人でしょうか。射手は死んだものとする」

「それはわかんないけどむちゃくちゃ機嫌の悪いルキウスが一人、余のとなりを歩ってることだけはわかるぞよ」

「……それだけわかれば充分です」

 ――城下の襲撃事件から三日目。

 早朝から出仕したルキウスの顔をみるなりアーレア王子は『あのね、ルキウス……余はこの世にまだやり残したことがあるの……』と、もじもじしながら言った。

 『ダイコンを買いに行きたいんですね。わかりました』と、ルキウスは答えた。

 三十分後、二人は朝一番の賑わいの時間帯を過ぎてのんびりした空気のただよう朝日市場にきていた。

 警護はひとりも連れていない。

 とうとうルキウスも自暴自棄になって、馬鹿王子と心中することにしたかというとそうではない。

「殿下、ふらふらするのはかまいませんが、ひさしの下からは外れないように」

 物珍しいスパイスの積まれた店先でトウガラシの袋に指をつっこんでいるアーレア王子に、ルキウスは鋭く注意した。

 朝日市場付近で人の命を狙える地点は市庁舎の屋上――そこからの射撃だけだ。

 地形、順路、道幅、建物の高さ、天候。

 必要要素を数式にして計算すれば、ある地点における暗殺可能性を数値化して割り出せる。

 さらに、ルキウスは昨日一日をかけて王都の全域図と睨みあい、考慮するべきあらゆる要素を数式化し、どの場所が暗殺に適しているか、暗殺者がどの時間帯にどのようにして動くかの最適解を求めた。

 数式は、気休めなどではけっして、ない。

 闇夜の不意打ちで総崩れになる近衛隊のほうが、よほど役に立たない。メンツを潰したくないので近衛隊には王都をランダムに巡回させておくことにしたが、そちらのほうが気休めだろう。

 神国ディウィフィリウスの軍隊は、総じてあまり強くないのだ。敗戦処理のなかで他国の圧力で骨抜きにされるからだが、そもそも狂王の戦の主戦力は、自国の軍隊ではなかった。

「うろちょろうろちょろ味見ばっかりしてると店に嫌がられますよ」

 角の八百屋はすぐそこだった。

「おじさーん、ダイコンと、ニンジンと、あとなんだっけっあっそうだニンニクをくださ~いな」

「セロリですけどね」

 パブリウス先生の買いものリストにどこまで意味があるかは不明だが。

 しかし、その足跡を辿ることでしか、彼の残した謎を解くことができないのも事実だ。

「ル、ルキウス、つ、ついでに黄色いスイカのジェラートも買っていい……? じゅ、じゅるり……っ」

「ご自由に。俺は要りませんが」

 ルキウスは八百屋の店先で考えこんだ。

 大根と人参とセロリ……の値段が鍵だろうか?

「ルキウス」

 呼ばれてふりむく。

 そこに口の裂けたスイカの化け物が立っていた。

「とうとう人間のかたちが保てなくなりましたか、殿下」

「ちが、違うの! 被ってるのっ、ほらっ、中がくりぬかれててっ」

 すこすことスイカの皮の被りものを上下して脱着させるアーレア王子に冷たい視線を刺しておく。

「あのね、後ろも綺麗にカーヴィングされてるの、かわゆいのよ、ほらあっ」

「遊びに来たんじゃないですよね」

「ん……中になんか書いてあるみたい。えっと、マグナ……マグナ・ウォルイッセ・マグヌム」

「――ッ」

 強烈な発光と熱がルキウスを襲った。

 彼の両手から発した青白い光が、瞳を灼く。

「ルキウス?!」

 あわててスイカの頭をすっぽ抜いたアーレア王子の前で、ルキウスは茫然と立ち尽くしていた。ただでさえ光に弱い色素の薄い瞳が耐えがたい光量を浴びたため、光と熱が消えたあともしばらく視界が戻ってこない。

「ルキウス……ねえ、ルキウス?!」

 心配したアーレア王子がルキウスにすがりつく。柔らかな体をぶつけられてルキウスは我に返る前にさらに動揺した。

「大丈夫なの?」

 まばたく視界に薔薇色が揺らめく。

 とっさにルキウスは視線を落とし、ひらいた両手に目をこらす。

 何度もまばたいて、ようやく色と形がはっきりと見えてくる。

「歯……車……?」

 彼の両手のひらには歯車のかたちが浮かんでいた。

 もともとある傷跡よりもはっきりとした青色の光が、そこに刻まれていた。傷跡のなかった左手にも。

 歯車は一つではない。大小の歯車が組み合わさって、まるでそれは一つの機構をなすように――。

 青い光はふっと沈むように消えた。

「消えた」

 ルキウスはアーレア王子が放りだしたスイカの皮を拾いあげてひっくり返した。

 空洞になった内部に、神代文字が刻まれている。


――マグナ・ウォルイッセ・マグヌム


 それもまた神々のことわざだ。

「偉大なことを、欲したということが、偉大である……」

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