イケナイ夜遊び

「ソルティスにも肉肉亭の肉肉弁当をお土産にしてあげなきゃね。このまえすごく喜んでたから!」

「このまえ?」

 ルキウスは怪訝に思って眉を上げた。

「殿下は前にもこの店に来たことが?」

 『とりあえず今、王都でいっちばん流行ってる店で情報収集するぞい』というざっくりした作戦にしぶしぶ同意して、ルキウスは王子に着いてきた。繁華街は情報収集の場としてあながち的はずれでもないからだ。そしてこの〈絶唱酒場・肉肉亭〉は、即席護衛隊の騎士たちまでが知っている、王都でいちばんの繁盛店だという。

「うん、常連よ?」

「常連? パブリウス先生が連れてきたのか?」

「そうよ。せんせーの行きつけのお店だもの」

「パブリウス先生がこんな飲み屋に?」

 ルキウスは眉をひそめた。

 パブリウス・マロ。彼はルキウスの尊敬する勤勉な学問の徒であり、謹厳実直で穏やかな性格の人だった。

 由緒ある伯爵家の当主として、華美をきらい、色を好まず、品行方正を絵に描いたような生活を送っており、そういう点でも彼はルキウスに生き方の模範を示してくれる師だった。パブリウス先生にひとつだけ疑問符をつけるとすれば、現国王の〈破壊神戦争〉時代に他国へ留学中だったパブリウス・マロは、すでに相当な年齢であるはずなのに、その容貌はいっこうに衰えの気配なく見た目三十代のまま、という年齢不詳さが謎といえば謎だったが、神の血を継ぐ王を至上に戴く神国ディウィフィリウスでは、容貌の奇蹟はそれほど異常なことでもない。王族はもちろん、貴族・平民にいたるまでもディウィフィリウス人は神の血の恩寵を受けているとされ、他国からは美人の排出地としてみられている。由緒ある伯爵家にはより濃く王族の血が混じっていておかしくない。

「あら『こんな飲み屋』は失礼なんじゃないかしら」

 背後から囁いた女の声にルキウスは首を返した。

 典型的なディウィフィリウス美人が、虹色に染めた髪を妖艶にかきあげながら、真っ赤な口紅の塗られたくちびるの端をつりあげる。

「カンティ姐さんー!」

「いらしてたのね、アーレアちゃん。ねえ、このひとって例の彼?」

「むふふ」

「そうなのねえ。あら、でもちょっと意外な趣味? アーレアちゃんはもっと冒険家かと思ってた。ずいぶんな正統派を選ぶじゃない」

 歌姫は尖った真っ赤な爪がめりこむのもかまわずルキウスの頬をつまみながら言った。

「むふふ」

 何なんだ。

「パブちゃんは肉肉亭のみならず、この界隈ではけっこうな有名人よ。羽振りがよくて、ふるまいも遊び慣れているからどこの店でも有り難がられてるわ。あなた一番弟子のくせに知らなかったの?」

 パブちゃんて誰だ。

「じゃ、話は舞台のあとでね」

 歌姫はかかとの高い靴を甲高く鳴らしながら客たち声援のあいだを縫っていき、舞台へと上がった。

 ルキウスは怪しむ目をアーレア王子に向けた。

「〈例の彼〉って何です?」

「気にするなルキウス。細かいこと気にするとハゲるから」

 ハゲる前にどうせポックリいくけどな。

「細かいことを気にしないと学問は究められないんですよ」

「ルキウスはもう学者じゃないでしょ?」

 無邪気な表情でそう言われてルキウスは反応に詰まった。

「それは……」

「もう〈水路塔〉には戻らないのよね。だったら学問なんて忘れてしまいなよ」

「……」

 〈水路塔〉から実家のクラウディウス公爵家に帰り着くなり、待っていた父はルキウスに言った。

 心を決めて帰ってきた以上は、学究の道はふりかえるな。永久にその門を閉ざせ。クラウディウス公爵に必要なものは学問ではなく、政治だ。――と。

「言われなくてもそのつもりだが」

 ルキウスが取り組んでいた研究は、都で出資の片手間につづけられるようなものではない。〈水路塔〉を後にした時点で、ルキウスの望んだ人生は終わった。

 誰に言われなくてもわかっている。

 けれど。

「殿下が俺にそれを言うんですか」

 元凶が、追い打ちをかけるようにそれを言うのか。

 そんなにも無邪気な顔で。

「いけないの?」

 はっとするほど純粋無垢な超絶美の笑顔でアーレア王子は言った。

「……いや」

 ルキウスは声をかすれさせた。

「いいえ。臣下として分を弁えないことを言いました。すみません。今のは殿下が正しい。俺をどう使うかは、国王陛下と王子殿下が御心のままにお決めになることです。俺はあなたをなじる立場ではありません。お許しください」

 ルキウスがアーレア王子に行使できる権限は、狂王化阻止を目的とした教育の範囲だけだ。そしてその役目は国王陛下とアーレア王太子殿下から光栄にも賜ったもの。神王室からの命令を無上の喜びとし、忠節をもって従うことはクラウディウス公爵家に生まれた者の義務だ。

「っていうかー、せんせーはいくら頭がよくても学者でござーいなんてカチコチな態度はしなかったもん。可愛いおにゃのこと美味しいお酒の中に、人生で学ぶべきことはぜんぶ入ってるってゆってたもん。むしろ可愛いおにゃのこと美味しいお酒のことしか考えてなかったよね、あのひと」

「パブリウス先生はそんな人間では――」

 どうもさっきからパブリウス先生の人間像が食い違う。

「そんなふうに堕落した人じゃない。まさか、殿下の教育の難しさにさしものパブリウス先生も心を病んで酒と女に溺れていった……とかか」

「出会った初日から女官たちを追っかけてたよお?」

 どういうことなんですか、パブリウス先生――。

 とうてい信じきれないルキウスはまだアーレア王子に問おうとしたが、ピアノの前奏が流れだし、客たちの口笛と歓声が高まって、口を閉じるしかなくなった。


 ――私の前から消えたあのひとは銀色の髪をしていて

   愛の死を知らぬ瞳で、永遠の言葉をささやいた

   あなたの祈りから生まれたわたしの恋が、わたしを苦しめるほどに、惑わせるほどに、酔わせるほどに、

   わたしはあなたの答えに近づくのでしょう

   そうしてわたしは愚かな愛を手に入れるのでしょう


 歌姫の美声は聴くものを陶酔の極地へとむりやりに引きずりこむ。

 だがその歌詞は繁華街の飲み屋にふさわしい安物の恋歌だなと、一日の疲れで悪酔いしながらルキウスは思った。

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