ルッキーちゃんとウッスーくん


「んまっ。んまっ。んっまーい! やばいぞルキウス、美味しいすぎて頭がおかしくなるかもしれない! でもどうしよう、やめられないとまらなーいー」

 それ以上おかしくなる余地があるとも思えないが……。

「つい二時間前にあれだけ〈糖分まみれ〉になっておいてよくまたそんなに食べられますね。いい加減にしておかないと腹を壊しますよ」

「むはっ」

 鶏の手羽先の照り焼きと骨つきラムの香草焼きを両手にもってかぶりついていたアーレア王子が不吉な予言にむせて目を剥く。

「お腹こわすのきらい……」

 神代の美貌を青ざめさせるアーレア王子のとなりで、ルキウスはあさっての方向を見ながらグラスの白ぶどう酒をあおった。

「腹の具合なんか暴飲暴食をやめればすぐ治りますよ羨ましい」

 懐からとりだした煙草をくわえて火を点ける。

 と、横合いから間髪を入れずに手がのびてきてルキウスの煙草を叩き落とした。

「っ」

 驚いてふりかえるとアーレア王子がまるで誰かを平手打ちしたあとのポーズのままで「パーンッ」と擬音語をつけた。

「何を……」

「まだそんな危険なものを吸っているのルキウスは?! 体に悪いって知らないの?!」

 ルキウスはあからさまに舌打ちした。

「あっ、『ちぇっ』ってやった! いま余に向かって『ちぇっ』ってやったなっ」

「体には悪くても心にはすこぶる善いんですよ」

 とくに、体に悪いものの筆頭が近くにいるときはな。

 仕方がないので転がった煙草の火を靴底で揉み消し、ルキウスは椅子の背にもたれて頭をぐしゃぐしゃと掻きまわした。

 天井に客たちの話し声や飲食の音がざわざわと反響する飲み屋のホールの真ん中で――。

 今日は出仕の挨拶だけしてさっさと帰ろうとしていたはずが、なぜか夜の市井の飲み屋で王子殿下とサシ飲みのテーブルに着いている我が身の流転ぶりにクラウディウスの家名としがらみを呪いたくなった。〈水路塔〉の生活ならば今頃の時間は研究室にこもって独り楽しく数式と戯れている、嗚呼。

「野菜っ、余は野菜もちゃんと食べるぞぉ。先生、じゃがバターは野菜に入りますかー?」

 ここに来るまでにルキウスは打つべき手を打つことは忘れなかった。

 王宮の〈おやつ用サロン〉でアーレア王子がパステルカラーのおやつに埋もれて夢中になっているうちに、お忍びで城下に降りるための『平民のそこそこ金持ちが着るような服』を女官たちに頼んで用意させ、少人数の護衛隊を編成するように指示し、外出を取りやめたくなるような突然の雷雨が王都を襲ってくれないだろうかと夕空を仰いでみたがカラスの群れ飛ぶ空はうつくしい夕暮れの茜色に輝いているばかりであった。おそらくカラスどもはルキウスの死期を告げていたのであろう。

 余はピンクがよいのだ、とアーレア王子は言い張った。

 平民の金満家が好むようなピンクはふだんのアーレア王子のために誂えられる最高に品のいいピンクではなかったが、アーレア王子の神がかった容姿の前では最高に下品なピンクでさえ超人気俳優の舞台衣装くらいにはなってしまう。

「ルッキーちゃんもウッスーくんも楽しんでる~?」

 とつぜん椅子の上に立ち上がってアーレア王子は向かいの席の〈おともだち〉に呼びかけた。

 そこに並んでくたりと座っているのは子供の背丈くらいある白ウサギと黒リスのぬいぐるみだ。「絶唱酒場・肉肉亭にお集まりの皆さん、今宵は彼らも歌姫の美声に酔わされに来ています。歌姫の歌が一夜の夢ならば、もふもふの毛むくじゃらは一夜の抱き枕。紹介しよう、神国ディウィフィリウスの誇る愛らしさ、ルッキー・モフモフとウッスー・モフモフ! いえーい、楽しんでますか!」

 アゲアゲに煽られた〈モフモフ兄弟〉はノーレスポンスだった。

 ……が。

「へい、楽しんでるぜー!」

「今日はあんたの奢りかーい?」

「歌姫はまだかー!」

「べっぴんさん、前座はあんたに任せたよ!」

「奢りだってよ、さあ飲もうぜ!」

 周囲の客たちがノリよく一斉に囃したてたので、アーレア王子は破顔して、指を輪っかの形にするいやらしいサインを掲げてみせた。〈銭ならたんまりあるで〉

「殿下はおいくつになられましたっけ」

 椅子の背をかかえて他人のふりをしたままアーレア王子の上着の裾を引っぱって座らせ、ルキウスは訊いた。

「十六とはんぶんよ」

 その年齢でぬいぐるみを連れて歩くのはちょっと……。

 あと、ぬいぐるみの名前もちょっと。

「ソルティス王女殿下はいかがなさっておられますか?」

「うん、元気よ。でもやっぱり元気じゃない……。ソルティスはかわいそうだよ。もっと元気になってほしいのにな」

 ソルティス王女はアーレア王子の双子の妹姫だ。

 幼少からお体が弱く病がちのソルティス王女は、ほとんど居室からお出になられることのない深窓の姫君だった。

「ソルティスにも会いにいってやってね、ルキウス。きっと喜ぶから」

「勿論です。ご負担にならないようなら、なるべく早くご挨拶に伺います」

 すると小さく笑みを浮かべてアーレア王子がルキウスを見た。

「ルキウスは昔からソルティスが好きよね」

「ご聡明な方ですから」

 でもアーレア王子がソルティス王女を想う気持ちには負けるだろう。

 気の強い姉しかいないルキウスには想像するしかないが、アーレア王子にとってのソルティス王女は何に代えてでも守りたい大切な半身であり、兄妹ふたりの絆はルキウスでも踏み入れないほど固く密接で、それは双子という神秘のとばりの奥にあるものだった。

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