第94話

「マキ、いくら君の頼みでも、これ以上寄付基金を拡大するわけにはいかないよ。会社の利益が無くなってしまう」


 プレスコンファレンス会場に通じる通路で、ジョンは麻貴と歩きながら言った。今日は、プレスに対して会社の中期経営ビジョンを発表する予定だった。


「なに言ってるのよ。エンジェル・トーカーセットはバカ売れだし、この活動のおかげで、市から破格の条件で工場用地を買収できたんでしょう。そこで余ったお金はどこへ行っちゃうわけ?」


「いや…。とにかく、どんな取引条件を持ち出されてもマキの頼みは難しいね」


 ジョンが秘書に促されて壇上に上がった。

 ジョンはステージに立ち、話し始めようと会場を見回すと、ステージの袖に立っているマキの様子が変だ。おなかをさすって、ジョンを指差す。そして、口の形が『パパ』と言っているようだった。

 ジョンは、プレゼンテーションを始めることができなかった。ざわつく場内。秘書に促されてようやく口を開いた。


「中期経営ビジョンを発表する前に、皆さんにお伝えしたいことがあります。私ごとですが、わたし、父親になります」


 祝福の拍手の中、ジョンは麻貴をステージに呼びあげ。おなかに当たらないように気を使いながら、かたく抱きしめた。今回も麻貴の仕掛けた取引が成立したことは言うまでもない。


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「おーい由紀。次回のドナからの看護師研修生は、いつ来るんだ」


 日本の病院で、佑麻の兄は、事務室にいる妹に問いかける。


「もうすぐ連絡が来ると思うけど」

「早くしてくれないかなぁ。看護師長もアテにしているし、患者さんからも評判がいいんだ」

「ドナも育児や仕事で忙しいから仕方がないでしょ。それに、3人目ももうすぐだし…」

「佑麻のやつ、本当に向こうで医者やってんのか?こどもばかり作って、ドナの邪魔しやがって…」


 由紀は、ぼやく兄を笑顔で診察室に追い返した。


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「ドナとユウマが珍しいものを送ってくれたよ」


 Nueva Ecija(ヌエバ・エシジャ)に住むドナの伯母が、ベッドに横たわるメリー・ローズに話しかけた。 メリーの枕元には、エンジェル・トーカー基金のプレートが貼ってあった。

 最新の医療機器が彼女を囲んでいたが、依然としてメリーは伯母の問いかけに答えることがない。しかしいつも通りのことなので、かまわず伯母は話しかける。


「フウリンと言うらしいよ。日本のものですって。風に揺られていい音を出すのよ」


 伯母は、風鈴を手に持って窓にかざした。風鈴はわずかな風を感じて、ちりりん と音を鳴らした。


「ほら、いい音でしょう」


 その時、伯母は自分の背中にいつもと違うものを感じて、振り返りベッドを覗いた。

 ベットの上のメリーが、静かに風鈴を持つ伯母を見ていたのだ。

 伯母は、優しくメリーの髪を撫ぜた。そして溢れる涙を拭おうともせず、いつまでもメリーに風鈴の音を聞かせていた。


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ドナリィンの恋 さらしもばんび @daddybabes

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