第87話

 ドナは、2階に上がると佑麻の枕元に腰掛けた。


 佑麻は、ぐっすりと寝ていて、ドナがいることに気づいていない。月の光が佑麻の長いまつげに絡みつく。時が止まったようだ。ドナは佑麻がこのまま目を覚まさなければいいと思った。ここで佑麻が眠っている限り、時は止まりいつまでも一緒にいられる気がしていた。


 ドナは、佑麻との出会いから今日までを、丁寧に思い返した。バス停に立っていた佑麻。スケートリンクでの佑麻。熱に苦しむ佑麻。大学の門前で涙ぐむ佑麻。水を運ぶ佑麻。畑仕事をする佑麻。講習会をする佑麻。どの佑麻ももう自分の心の一部になっている。それを失うことは、こころの一部が欠けたまま生きるのと同じことだ。この男なしでは、この後の人生がいかに空虚なものになるのかは容易に想像できた。


 佑麻が寝返りをうった。Tシャツの胸もとから、彼の母のリングが見えた。彼にはじめて抱きかかえられた時に、これが彼女の頬に当たり、佑麻の存在を意識づけたリングだ。今考えれば、佑麻の母が、ドナに送ったサインなのかもしれない。


「佑麻のママ。教えてください。 佑麻の幸せのために、私はどうしたらいいのですか?」


 ドナは、リングを見つめながら小さくつぶやいた。

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