398 翳る月 (3)
「トーヤ、忘れていないか?」
「何がだ?」
「俺には『
空を飛ぶことはできないが、水面のちょっと上を数十メートルほど歩くぐらいなら、俺でも可能。
川幅を考えれば一〇秒ほども維持できればなんとかなるし、失敗してもちょっと濡れるだけなのだから、さほど難しくはない。
「ぬがっ! じゃ、じゃあ、オレも一緒に――」
「あ、それは無理。トーヤ重いから」
トーヤを背負った状態では、ほぼ確実に高度が維持できない。
上手くすれば、あまり濡れずに向こう岸まで辿り着けるかもしれないが、既にトーヤは半裸状態、『
「それじゃ、俺は先に行っているな。あ、お前の荷物は持って行ってやるから。いやいや、お礼なんて必要ないぞ」
「ちょ、おまっ!」
何か言いたげなトーヤの荷物を素早く担ぐと、俺は焚き火に『
消えてしまった焚き火と俺を僅かな時間、見比べていたトーヤも俺を追って走り出すが、俺だってそれなりに足は速いのだ。
「ずるいぞ、ナオ!」
「ハッハッハ、効率というものだよ、トーヤ君!」
実際、俺自身に『
決して、トーヤに意地悪をしているわけではないのだ。
……自分が濡れたくないのは否定しないが。
「あい・きゃん・ふらい! じゃなくて、うぉーく!」
トーヤを振り切り、なんとなくかけ声を掛けて水面を走る俺。
もちろん、『
しかし、水の表面張力か、浮力か、質量か。
何かしらの影響で普通に空中を歩くより余程楽に、僅か数秒で川を渡り終える俺。
そして振り返って叫ぶ。
「トーヤ! 片足が沈む前に、もう一方の足を前に出すんだ!」
「できるか、アホ! がぼぼぼっ!」
俺を追いかけてきた勢いのまま川に突っ込んだトーヤだったが、川の中程で水中に没する。
……いや、できるかとか言いつつ、結構進めてるよね?
さすが獣人の瞬発力と筋力。
ちなみに、がぼがぼ言っているが、『
そして待つことしばし、ずぶ濡れになったトーヤが川から上がってきた。
魔法が効いているおかげか、寒そうではないが、耳や尻尾を振って不快げに水気を飛ばしている。
「くっそ、また濡れた。別にお前がオレを背負わずとも、オレに『
「すまん、力不足で」
不満げに口を曲げるトーヤに俺が素直に謝ると、トーヤは気まずそうに手を振った。
「あ、いや、できないのなら仕方ないけどよ……」
「疲れるのが嫌だった」
「できんのかよっ!」
「嘘、嘘。超全力でやればできるかもしれないが、ちょっと現実的じゃないから」
まだ完全にはマスターしていない魔法故、自分に使うのでやっと。
他人に安定してかけることなど、不可能なのだ。
それに魔力がなくなってしまっては、これから先、初めての森に入るのに危険すぎる。
「途中で落ちても良いなら、だが、それじゃ意味ないだろ?」
「そりゃそうだが……なんか、納得いかねぇ」
「服は乾かしてやるから、勘弁してくれ」
魔法の効果で身体は冷えていないので、トーヤにタオルを投げて、代わりに服を受け取り、乾かしてやる。
「……ふぅ、さっぱり」
「帰るときにはまた濡れるけどな。トーヤは」
「言ってくれるな。つか、ナオ、今思い出したんだが、前に『
「なんでお前に見栄を張る必要がある。使える。使えるんだが……」
トーヤの言った『
でもこれ、本当に『歩ける』だけでしかないのだ。
手をつけば普通に沈むし、尻餅をつけば当然尻が水中に沈む。
それでいて、足は沈まない。
簡単に言えば、水中で逆さ吊り状態である。
俺はこの魔法を風呂場で練習していたんだが、一度転けると身体を起こすことができずに大パニックだった。
魔法を解除すれば普通に立てるのだが、突然のことにそこまで頭が回らず。
俺一人で練習してたら、本気で命に関わっていたかもしれない。
「しかもこれ、少し柔らかいマットの上を歩くような感じでな。風呂ですらバランスを崩せば転けるのに、流れや波のある川の上とか、危険すぎるんだよ。上達すればまた変わってくるのかもしれないが……。帰るとき、試してみるか?」
危険かもしれないが、と付け加えた俺に、トーヤはすぐに首を振った。
「遠慮しとく。夏にでもレジャーがてら練習しようぜ。どうせ泉には潜ることになるんだ。諦める。それともナオが潜ってくれるのか?」
「……補助魔法と、服の乾燥は任せてくれ」
「はぁ。いや、まぁ、安全性を考えればそれで良いんだけどよ。……ん? いや待て」
そう言ってため息をついたトーヤだったが、何かに思い至ったのか、ギロリと鋭い視線で俺を睨む。
「お前、『
「……おぉ、そういえば」
トーヤの鋭い指摘に、俺は思わずポンと手を叩く。
川は渡る物と考えていたが、俺には転移魔法が存在した。
最近、転移ポイントを利用した転移しか行っていなかったが、目的地が目視できるなら、トーヤを連れて転移することぐらい大して難しいことではない。
「オレ、濡れる必要、なかったじゃねぇか!」
「いやぁ、すまん、すまん。すっかり失念してたわ」
長距離転移すると、しばらく休まないといけないほど魔力消費が大きいこともあり、すぐそこに転移するとか、完全に意識の埒外だった。
そうか、こういう場面でも使えるんだな、転移魔法って。
「しっかりしてくれ、魔法使い」
「いや、やっぱダンジョンとか戦闘関連で使う物という意識が大きくてな。次からは気を付ける。――が、トーヤも指摘してくれて良いぞ? 使える魔法、知ってるだろ?」
トーヤは魔法を使うことはできないが、魔道書自体は読めるわけで。
手持ちの魔道書すべてに、しっかりと目を通していることを俺は知っている。
「うっ……それを言われると。オレも思いつかなかったわけだし……まぁいいや。帰りに濡れずに済むことが判っただけでも。そいじゃ、行くか?」
言葉に詰まり苦笑したトーヤに、俺も頷き、揃って森の中へと足を踏み入れた。
ペトラス川の西側に広がる森は、ラファンの北の森に比べると木の間隔も広めで、少し明るく感じられる森だった。
このような状況でなければピクニックに来ても良さそうな、穏やかな環境。
だが今の俺たちには、それを楽しむ余裕はない。
ケトラさんから、この森に泉があるという情報だけは得られていたが、その場所は不明。
自分たちで森を歩き回り、見つけるしか方法がない。
二人で手分けして探せば効率は良いだろうが、危険性を考えればそれは避けるべきだろう。
入り口の近くには、さして強い魔物の反応はないが、全域に亘って同じとは限らないのだから。
そして虱潰しに森の中を歩き回ること丸一日。
翌日の昼過ぎ頃になって、俺たちは遂に目的の泉を発見していた。
周囲を木で囲まれ、隠されるようにして存在したその泉は、直径は一〇メートルに満たないほどの小さな物だった。
距離的には川からさほど離れていなかったが、木々に阻まれて遠くからは視認できず、かなり判りづらい。
これまたこんな状況でなければ、琴線に触れるような良い感じの泉なのだが、今回に関しては見つかりやすい泉であって欲しかった。
そんなこともあり、喜びを味わう寸暇もあればこそ、すぐに泉の中を調べ始めた俺たちだったが……。
「……見当たらないな」
「あぁ。これは、潜る意味もないか」
非常に透明度が高く、水面が凪いでいるその泉は、上から見るだけでも容易に底まで見通せた。
オッブニアは赤い花を咲かせ、かなり目立つらしいので、見逃しているなんてことはおそらくないだろう。
しかも、最も深い場所ですら一メートルほどしかなさそうなのだから、潜って確認する必要すら存在しない。
「濡れずには済んだけど、これは喜べねぇなぁ。どうするよ……?」
ここの森は更に西、未開地まで続く大きな森だけに、探索を続ければ新たな泉が見つかる可能性は、決して低いとは言えない。
だが……。
「いや、ハルカたちの後を追おう。確率が低すぎる」
ここで言う確率とは、『見つかる確率』ではなく、『間に合う確率』。
あると判っている泉を探すのにも一日以上の時間がかかったのだ。
あるか判らない泉を闇雲に探すのであれば、いったいどれほどの時間がかかるのか。
アルの体力を考えれば、かなり分の悪い賭けになることは間違いないだろう。
であれば、ディオラさんという強い味方のいるハルカたちを手伝う方が、余程意味があることだろう。
「なるほどな。オレも異存はない。ならば急ぐか」
「あぁ。追いつければ良いのだが……」
ハルカたちが森などに入ってしまっていては、見つけることが難しくなる。
可能ならばラファンの町で追いつきたい。
俺たちは踵を返すと、すぐに全力で移動を開始したのだった。
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