316 仕込みと休息 (2)

「……ん? できないのか?」

 日本酒と言えば麹! というイメージだったんだが。

「ナオくんは、日本酒の造り方を知っていますか?」

「えっと……、米麹を作って、水を入れて、かき混ぜて放置?」

 俺の乏しい知識で答えた言葉に、ユキが同意するように頷き、ナツキは苦笑を浮かべる。

「あー、あたしもそんなイメージだった。ナツキに教えてもらうまでは」

「大まかには間違っていません。ですが……そうですね、簡単にお酒ができる仕組みを説明しましょうか」

 酒造りは大まかに分けて二つの工程がある。

 デンプンを糖に変える工程、そして糖をアルコールに変える工程。

 前者の工程で使われるのが麹菌で、後者の工程で使われるのは、別の酵母。

「アルコール発酵する酵母は自然界にも存在していますし、昔なら酒蔵に付いていた菌で発酵させていたわけですが、これだと味が安定しませんし、失敗することもあります。なので最近は、特定の酵母を培養して使っています」

 水と米麹、蒸米を混ぜて酵母を投入、培養した物が酒母と呼ばれるらしい。

 この酒母に水、米麹、蒸米を数回に分けて入れて発酵させれば、醪ができる。

「後は、醪を搾って、水を加えたり火入れをしたりすれば、普通の日本酒の完成ですね」

「け、結構面倒なんだな。俺的には、『甘酒ができたんだから、それを寝かしておけば良いんじゃね?』ぐらいの感じだったんだが」

「それでも運が良ければお酒になるかもしれませんが、かなりの賭けですね。腐敗することもありますから」

 酒母を作るのは、乳酸菌を作らせることで酸性環境にして、他の腐敗菌が発生するのを抑制する意味もあるらしい。

「最近は別途、乳酸を入れたりするみたいですが……。水や米麹などを数回に分けて投入するのも、薄まりすぎないようにですね」

「ちなみに、ナツキのところは?」

「うちは昔ながらの造り方ですよ。味にばらつきは出ますけど、商品じゃなくて宗教儀式ですから」

「なるほどなぁ……麹菌があれば、勝つる! とか思ってたら、そう簡単じゃなかった、と」

「麹菌が重要なのは間違いないですけどね。お味噌とお醤油は問題なく作れますし」

「まぁ、俺としてはその二つがあれば、酒の方は後回しでも……ん? すでにトーヤがトミーたちを呼びに行ったわけだが、その酵母って無いんだよな?」

 酒蔵に付いていると言っても、俺たち、まだその酒蔵が無いわけだし、新しく酒蔵を作ったところで、そこに突然発生するはずも無い。

「えぇ、まだ無いですね」

「いや、良いのか? トーヤのあの口調、かなり面倒くさそうな感じなんだが?」

 酒に関して貪欲な彼ら。

 呼びつけておいて、今更『できません』なんて言うと、色々とうるさそうである。

 そんな俺の懸念に、ハルカたちは肩をすくめてあっさりと首を振った。

「別に良いでしょ。お酒を造るには、酒蔵が必要なんだし、それを作る時間も必要でしょ?」

「わたしたちが全部の準備を整えるのも、違うと思いますし」

「トミーたちにも苦労はしてもらわないとね~」

 フフフと笑うその表情を見るに、ハルカたち、麹菌の分離にはそれなりに苦労したのかもしれない。

 いや、苦労してるよな、絶対。

 じゃなきゃ、『毒治癒』とかの出番は無かったはずだし。

「ま、一回、お酒ができるまでよ。成功すれば、そこから酵母を分離できると思うし。ねぇ?」

「はい。後はその酵母を使って作り続けるか、別の酵母も分離できるよう色々試すか、ですね」

「そのへんは、お酒が好きな人が頑張れば良いよねぇ」

 ハルカたちとしては、とりあえずは料理酒があれば良いだけなので、飲んで美味しいかどうかはそこまで気にしていないらしい。

「ミーは、甘酒がもっと飲みたいの!」

「私もお酒よりは、あれの方が……」

「そうね、甘酒は飲む点滴と言われるほどに栄養価が高いみたいだし、作っておいても良いかもしれないわね。夏バテ防止にはちょっと遅いけど」

「甘い物は貴重だからねぇ」

 などと、俺たちが話していると、トミーのところへ行っていたトーヤが戻ってきた。

 何故か、むすりとしたシモンさんを連れて。

「えっと……何故に、シモンさんが?」

「酒造りには酒蔵が必要だろうが! 何時声が掛かるかと待ってるっつぅのに、一向に声が掛からねぇ!」

 俺の素朴な疑問に、怒鳴るような声が返ってきた。

「で、まぁ、ガンツさんの所に行ったら、まずはシモンさんの所に行け、と言われたんだよ」

 腕を組み、不満そうな表情のシモンさんの隣で、トーヤが苦笑して、肩をすくめる。

 そう言えば、ウチの庭の一角に、酒造り用の建物を作るという話だったな。

 うーむ。確かに、麹菌をどうこうする前に、建物作りの方を優先するべきだったか?

 それなりに時間もかかるだろうし。

「すみませんでした。ダンジョンの方が忙しかったので……。それで、いつから作業を始めますか?」

「今からだ!」

 シモンさんが「ドンッ」と足を踏み鳴らし、宣言する。

「えぇっ!? そこまで急がなくても――」

「バカヤロウ! 新しい酒なんだぞ!? 急ぐに決まっとるだろう! 代官も期待してんだぞ!」

「え? いや、なんで、代官が……」

 ラファンの町の代官。

 名前は確か……ジョセフ・フェイダーだったか?

 家具で成り立っていると言っても過言ではないこの町故に、家具工房の中でもそれなりに大きく、ベテランであるシモンさんと代官とは、ある程度の繋がりがあるらしい。

 その関係で顔を合わせる機会も多く、その中でお酒の事が話題になったようなのだが……。

「シモンさん、お酒を造るのには米が必要なんですが、そこは? このあたりでは作ってないみたいですし」

「そんな事、儂は知らん。それを考えるのはあいつらの仕事だ! つーか、あいつらに取り寄せさせる!」

「えぇ……」

 いや、まぁ、それはそうなのかもしれないが……良いのかそれで?

 と言うか、あの時言っていた“つて”って、代官の事だったのか?

 代官が関わってくるとか、ちょっと不安があるんだが……。

 だが、そんな俺の心情など関係無いとばかりに、シモンさんは俺の背中をバシン! と叩く。

「ほれ、どこに作るんだ? 早く案内しろ!」

「わ、解りました」


 追い立てられるように家を出た俺たちがシモンさんを案内したのは、敷地の門を入ってすぐ左側のエリア。

 この辺りは使っていない場所なので、今は草木が生い茂ったままになっている。

 どのぐらいの酒蔵を作るつもりかは知らないが、普通の家が十分に建てられるだけのスペースがあるので、広さとしては十分だろう。

「どうです? この辺りで」

「ふむ。悪くねぇな。ユキ、それにナオは土魔法が使えるんだよな? チョイと手伝え」

「え? あたしたち? 土台作りぐらいなら、別に良いけど、大工仕事はできないよ?」

「そんな事は期待してねぇ! 地下室を作るんだよ」

「は、はぁ……」

 シモンさんは担いでいた袋からロープを取り出すと、俺が示した部分を検分し、ちゃっちゃと手早く縄張りを終える。

 広さ的には五メートル×一〇メートルぐらいだろうか?

 これだと、平屋でも小さな家ぐらいの広さはある。

 その上で地下室を作ると言うのだから、床面積はかなり広くなりそうだ。

「よし。こっからこの部分、掘り下げていけ」

 シモンさんが地面を指さすのを見て、これは時間が掛かると理解したのか、ハルカたちは顔を見合わせて口を開いた。

「あー、それじゃ、私たちは戻るわね。ナオ、ユキ、頑張って」

「疲れたら休憩を入れてくださいね? 何か用意しますから」

「頑張ってください、ナオさん」

「ユキお姉ちゃんも頑張って!」

「ガンバレ~。力仕事が必要になったら、呼んでくれ」

 そんな応援の言葉を笑顔で残し、去って行こうとするハルカたち。

 メアリたちやトーヤ、それにナツキは別に良いのだが――。

「あ、おい、ハルカも――」

「ほれ! さっさとやれ!」

 多少はハルカも、土魔法で手伝えるよな? と俺が口にする前に、シモンさんに背中をドヤされる。

 そしてその隙にフェードアウトするハルカ。

 くそう。曲がりなりにも恋人の俺を見捨てるとは。

 俺の魔力が切れたら、引っ張り出してやるっ!

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