二巻発売記念SS「漢の約束」
ナツキたちと合流することで、宿の部屋は俺とトーヤの男部屋、ハルカたち三人の女部屋の二つに分けることになった。
そしてこれは、ハルカたち女性陣だけでは無く、俺たち男性陣、特にトーヤにとっても一定の恩恵をもたらしていた。
俺は普段からハルカが自分の部屋にいることも多かったので、同じ部屋でもあまり気にならないのだが、トーヤはそうではない。
それ故、久しぶりに異性のいなくなった部屋で思いっきり気を抜いて、ベッドの上に垂れていた。
「やーっと、一段落、だな」
「ああ、当面の懸案事項はな。ナツキたちも見つけた時には少し心配だったが、元気になったみたいだし」
サールスタットからラファンまで、初めての町の外と、初めての戦闘という経験を経て、肉体的な疲労は蓄積しているはずだが、彼女たちの表情は逆に明るくなっていた。
意に添わぬ仕事と精神的な疲労、そして展望の見えなさ。
それに付け加えるなら、食事のまずさ。
それがナツキたちの表情を曇らせていた原因だが、ハルカたちと合流する事で、それらが全て解消されたのだ。
疲れは溜まっても、その意味合いはまったく異なるだろう。
今もナツキたちがいる隣の部屋から、かしましくも華やかな声がこちらの部屋まで響いてきている。
「何を言っているのかはよく判らないが、明るく騒げるのは良い事なんだろうな」
俺が隣の部屋を見ながらそう言うと、トーヤは僅かに耳をピクピクとさせ、しばし沈黙、それから口を開いた。
「……そうだな」
「……トーヤ、お前、実は聞こえてるんじゃないか?」
不自然さを感じさせる返答に尋ねてみれば、トーヤはベッドに顔を伏せたまま、首を振る。
「いやいや、まさか、まさか」
これは……聞こえているな。おそらく。
だが、あえて聞き出しはすまい。
トーヤが口にしないのだ。きっと聞かない方が良い会話なのだろう。
ここで俺が、壁に耳を付けて盗み聞きなどしようものなら、それはギロチンに首を突っ込むに等しい蛮勇となることだろう。
そういう時に限って、盗み聞きしたのがばれる、それがお約束という物だからして。
「次は個室になれるように頑張るってところか?」
「いや、宿暮らしだとそれは難しくないか? 個室の宿屋もあるが……」
この宿に泊まるようになって以降、多少はそっち方面についても調べているのだが、少なくともこの町に、この宿以上の宿は存在しなかった。
個室の宿屋もあったのだが、それはかなり低ランクの宿であり、もしそこに定宿を換えたとなれば、支払う宿代はここよりも大幅アップ、生活の質は大幅ダウンという事になるのは確実。
一人部屋が良いとか、そんな贅沢を言ったのが、どんなに愚かしい事だったのか、嫌ほどに理解することになるだろう。
「むしろ、家を借りる方が現実的だろうな。個室が欲しければ」
「やっぱそうなるかぁ……。そりゃ、当分先だな」
少し残念そうなトーヤに俺は頷き、その懸念に対して提案を口にした。
「まぁ、部屋を空けて欲しい時には気軽に言ってくれ。ハルカがいたら言いづらかっただろうが、俺たち、男同士だからな。――一時間ぐらいあれば大丈夫か?」
「いらねぇ!」
「……お、トーヤ、実は早い?」
まぁ、若いしな。
溜まってたらそうなるよな。
「違う! そんな気遣いがいらねぇ! こんなところでできるか!」
「……あぁ、なるほど。おかずが無いもんな」
「そこは、ほら、オレの妄想エンジンがフル回転で――って、だから違う! 我慢できるから!」
まだ一月ほどだからなぁ。けど――。
「あんま、我慢しすぎるのは身体に良くないぞ?」
「お前に言われたくねぇ! つーか、ナオ、お前は大丈夫なのかよ?」
「あー、そっち方面の欲は薄くなったんだよなぁ、俺」
エルフという種族の問題か、それとも人間の二倍ほどあるという寿命の関係か。
もしかすると、年齢的に思春期はもう少し後なのかもしれない。
単純に年齢を半分にしたら、一〇歳未満って事になるし。
「うらやましい……って事もねーか。いや、どうなんだ……?」
あった方が良いのか、悪いのか。
ある種、生物としての活力でもあるだけに、難しいところである。
「まぁ、トーヤが我慢できずに暴走するとは思わないが、程々に発散しておいた方が良いんじゃないか? フラフラッと娼館に入られても困るし」
ハルカには『病気になったら危険だから、出入り厳禁』と言われている娼館。
ナツキたちの働いていた宿でも普通に売春が行われていたように、ごく普通に、身近に存在するから困る。
所謂色街などに出かけなくても、その機会があるのだ。
ヤりたい盛りの意志の弱い青少年には危険すぎる。
「……まぁ、そんな金も無いか、俺たちの小遣いじゃ」
「いや、それが、実はそうでもない」
「え、マジで? そんななのか?」
「お、ナオも興味ある? ある?」
「そっち方面では無いが、経済的には興味あるな」
ニヤリと笑うトーヤに、俺は苦笑を浮かべつつ頷くが、トーヤはその答えが不満だったらしく、舌打ちをする。
「ちぇっ、やっぱ興味ねーのか。そんなんじゃ、男子の話題の八割に入れねぇぞ?」
「いや、そんなに割合、高くないだろっ!? お前、普段、どんな学生生活送ってたんだよ!」
俺たちの会話、そんなに猥談比率、高くなかっただろうが!
他のクラスメイトとの会話、全部猥談かよ!
「冗談だ。まぁ、なんだ。飯一回分とかでヤれる、ってのもあるみたいだぞ?」
「マジか……。とんでもないな、異世界」
「異世界っつーか……、まぁ、そう言う地域もあるわな」
異世界には限らない、と。
そう言えば、歴史物の小説とか読んでいると、“夜鷹”とかいう遊女とか出てくることもあったよなぁ。
“世界”と言うよりも、時代、地域の違いか。
「と言うか、トーヤ、絶対にそんなのに手を出すなよ? 確実にハルカのお世話になることになって、ボロクソに言われるぞ?」
「出すわけねぇって。解ってるって」
「本当か……?」
そっち方面に関して、男があんまり信用ならないことは、俺自身、理解している。
それだけに、トーヤの言葉は……。
「マジ、マジ。オレを信じろって! 約束する!」
曇りの無い
その澄んだ瞳は信じて良さそうだが……。
「頼むぞマジで」
どこか信じ切れない物を感じながら、俺は再度念押ししたのだった。
――確かにトーヤは、その言葉を守った。
その事だけは認めよう。
だが後日、その反動とばかりに、とんでもないものに嵌まることになったんだけどな!
それじゃ、意味ねぇだろうが!
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