第九章 一周年と……

272 久々の自宅へ

 ネーナス子爵から報酬を受け取った翌日の早朝、俺たちは急いで帰宅準備を進めていた。

 少々断りづらい依頼だったので引き受けたが、報酬とは言っても、この仕事で現金収入があるわけではない。

 それにあんまりのんびりしていては、また面倒な依頼をされるかもしれず、準備が終わるやいなや、俺たちは使用人を通じて執事のビーゼルさんにアポを取り、暇を告げて館を出る。

 そんな俺たちを見送ってくれたのは、ビーゼルさん本人と、走ってやって来たイリアス様。

 より正確に言うなら、イリアス様が見送りに来たのは、メアリとミーティアの二人と言うべきだろう。

 俺たちに対しては軽く「お世話になりました」とだけ言ったのに対し、メアリたちとは抱き合って別れを惜しんでいる。

「メアリ、ミーティア、離れていても私たちは友達ですからね!」

「はい、イリアス様。ありがとうございます」

「イリアス様、楽しかったの!」

 この格差。

 ……いや、べつに抱きついて欲しいわけじゃないぞ、もちろん。

 だが、これでも結構苦労したんだがなぁ……。

 襲ってきた刺客は強かったし、ハルカと共に挑んだ慣れない貴族のパーティーでは、なかなかに神経をすり減らした。

 もちろん、仕事と言えば仕事なんだが……まぁ、メアリたちとは仲良くなれたみたいだし、子供たちが仲良くしているのは微笑ましくはある。

 俺たちが渡したお菓子は三人で仲良く食べたようだし、あの様子ではイリアス様も、無事に耳や尻尾を触らせてもらえたんじゃなかろうか?

 俺としても、あれをきっかけにハルカとの仲が一歩前進したわけで、プラスかマイナスかで言えば、プラス。

 見たくない部分も多く見たが、クレヴィリーでは美味い食事と米を手に入れることもできた。

 総合的に考えれば、今回の依頼はメリットの方が多かったと言えるだろう。

「それじゃ、そろそろ行きましょうか」

「だな。ビーゼルさんも、お世話になりました」

「いいえ、私どもとしては大変感謝しております。御館様も『困った事があれば連絡しろ』と仰っていました。――まぁ、また私どもが依頼する事もあるかと思いますが、その時はよろしくお願い致します」

「えぇ、その時は……はい」

 少しは経験を積んだとは言っても、貴族関連の付き合いはやはり面倒。

 できればあまり請けたくはないのだが、はっきりとそう言うのも角が立つ。

 俺は少し曖昧な答えを返し、やっとイリアス様との別れが済んだメアリとミーティアを連れ、領主の館を後にした。


 ピニングを出たあとは、ケルグまで走り、ヤスエの食堂で昼食を摂り、彼女ともサトミー、および加地の情報を共有する。

 サトミーが脱走した事、そして彼女を脱走させるような組織力がサトミー聖女教団に残っている事に、若干不安そうな様子を見せたヤスエだったが、併せてネーナス子爵が広範囲に捜索を進めている事も伝えておく。

 逆に加地の方は、『へー、そんな事が……』的なあっさりとした反応だったのだが、自分に関係が無いとそんな物なのかもしれない。

 テレビのニュースで見る通り魔事件みたいに、怖いとは思っても、どこか自分には関係ないと思うような。

 実際、加地は死んでいるわけで、彼に思い入れがなければ、ヤスエの反応はそうおかしくはないのだろう。

 彼女との話と食事を終えた後は、メアリとミーティアの父親が埋葬されている神殿で軽く祈りを捧げてからケルグを出発。

 メアリたちが順調に成長していることもあり、俺たちの移動速度は十分に速く、なんとかその日のうちに、久しぶりの自宅へと帰り着くことができたのだった。


    ◇    ◇    ◇


 普段は仕事を終えると数日の休みを入れている俺たちだが、帰宅後に相談した結果、今回の休日は一日のみとなった。

 その一番の理由は、しばらく現金収入が途絶えている事。

 蓄えはあるのだが、入ってくるお金が無いというのは、なかなかに焦燥感を煽るものがある。そういう事である。

 パーティー結成一周年という事で、無事に一年間生き残れたお祝いのパーティーでも、という話も出たのだが、ナツキとユキが参加した日まではまだしばらくあるし、資金的な問題もある。

 せっかくなら気兼ねなくやりたいし、こちらはもう少ししてからでも良いだろうという事になった。

 ナツキなどは、『その時までに、カレーを完成させます!』と言っていたので、少し期待したいところである。


 さて、そんな一日だけの休日。

 ハルカとナツキは、買ってきた米の籾摺りをする機械を作るため、トミーの所へ出掛け、トーヤはメアリとミーティアと共に、家の家庭菜園の手入れを始めた。

 対して俺は、街へと買い物へ出ていた――なぜか、ユキと共に。

「えーっと、ユキ、何で俺に付いて来たんだ? ハルカたちじゃなくて」

「そりゃ、面白そうだから?」

「面白そうって……単に買い物に行くだけだぞ?」

 買い物なら女の子同士、ハルカたちと行って欲しいところ。

 と言うか、できれば付いてきて欲しくないのだが……。

「その買い物が面白いんじゃん! ナオ、指輪、買いに行くんだよね?」

 俺の顔を下から覗き込むようにして、口元に手を当てたユキがニシシと笑う。

「な、なんで――」

「判らないわけないじゃん。昨日の夕食時、あんな話して。バレバレだよ?」

 思わず動揺を顔に出してしまった俺に、ユキはむしろ呆れたように応えた。

「………」

 昨日の夕食の時、俺はさりげなく――ユキ曰く、『バレバレ』だったらしいが――指輪の話を振り、ハルカの指のサイズなどを聞き出した……いや、正確には聞き出そうとした。

 で、まぁ、『この世界の指輪のサイズって、どうなってるんだ?』みたいな話をしたわけだが、残念ながらこの世界、“何号”みたいな規格が存在していなかった。

 そもそも庶民が指輪を買う事自体、ほとんど無く、金持ちは自分の指に併せてオーダーメイド。

 更に手袋の上からも着けたりするので、いろんなサイズの指輪を持っている。

 ついでに言えば、結婚指輪みたいな風習もないので、規格を作る意味も無いのだろう。

 指輪は一種、権威の象徴みたいな物で、雑用を自分でする必要が無い立場である事も示しているのだとか。

 シンプルなリングなら普及しても良さそうに思うのだが……まぁ、風習なんてそんなものか。

「そういえば、ユキたちは、あんまりアクセサリーを着けてないよな」

「まぁ、ちょっとした物ならともかく、冒険中は邪魔になるからね。ナツキのネックレスみたいに特別な効果があれば別だけど、ただのアクセサリーが原因で死んだとか、シャレにならないし?」

 確かに、あんまりブラブラするようなアクセサリーだと、どこかに引っかかったり、音がカチャカチャ鳴ったりしそうではある。

 特殊効果があるアクセサリーも、そのへんを考慮しなければ、逆に欠点となりかねない。

「着飾るよりは、仕事と安全優先って事か」

「そういう事。日本でだって、指輪をしてる寿司職人とか、ちょっと……って思うでしょ?」

「うん、ちょっと不衛生に見えるよな」

「休日は多少着けてるけど……ま、ちょっとした物だよね」

 元々が高校生。

 高価なアクセサリーには縁が無かったせいか、こちらに来てお金に余裕ができても、ハルカたちが派手なアクセサリーを買っている様子は無かった。

 たまにシンプルなネックレスやブレスレットを着けているのを見るぐらい。

 まぁ、機械加工ではないせいか、多少のアクセサリはかなり高いという事もあるのかもしれないが。

「あ、でも、そういえば、ハルカはいつもペンダントを着けてるよね。シンプルな物だけど……」

「……そう、だったか?」

 いや、本当は知っているけど。

 目立たないよう、そして邪魔にならないように服の内側に入れているが、ハルカがいつもペンダントをしている事は。

「ふむ。なるほど。あれ、ナオが贈ったんだ?」

「……ユキ、お前、察しが良すぎないか?」

 俺のわずかな沈黙からすべてを察したというのか? おい。

「いや、だって。あのハルカが常に着けてるんだよ? 自分で買ったとは思えないよ。日本にいた時だって、あんまりアクセサリーを着けるタイプじゃなかったし、入手した時期を考えたら、ハルカがアクセサリーにお金を使うとは思えないもん」

 うんうんと頷きながら、ユキが言ったとおり、あれを贈ったのは、ユキたちと合流する直前。

 そこまで高くない――それこそ、日本で考えれば少し頑張れば、高校生のお小遣いでも買える程度の安物だが、まだ完全に財布を分けていなかった頃の事である。

 俺とトーヤは小遣い的に多少の金をもらっていたが、それ以外のお金はハルカが管理していたわけで。

 そんな状況でハルカが、自分のためにお金を使う事は……まず無いよなぁ。

「それで今度は指輪を贈ろうって事だよね、ナオ?」

「……それを検討している事は否定できない」

 ニヤニヤと笑いながら俺の顔を窺うユキに、俺は仏頂面で頷くしかない。

 この状況で否定しても意味ないし。

「いや、持って回った言い方なんかせず、素直に『ヤっちゃったから、婚約指輪を贈りたい』で良いんじゃない?」

「ちょ、おまっ――」

「バレてないとは思ってないよね?」

 あまりに直接的な物言いに、俺は焦ってユキの口を塞ごうとしたのだが、ユキは俺の手を掴んで、にんまりと笑う。

 そんなユキの様子にため息をついた俺だったが、せめてもの抵抗と、彼女の非乙女的な所を指摘してみる。

「……察したとしても、口には出さないデリカシーとかは?」

「そんな物は売り切れです。こっちに来て、一年経ってない事を考えると、『早くも』と言うべきか、それとも幼馴染み期間を鑑みて、『やっと』と言うべきか……」

 ちょっと考え込むように言うユキだが、幼馴染みだから難しい部分もあるんだぞ?

 安定してしまっている分、勢いが無いから。

 若さに任せた暴走とか、俺たちには無縁のお話である。

「年齢的には高校生だし、『婚約とか早すぎない?』と言った方が良いかな? あ、でも、あたしとナツキにも手を出すつもりなら、それはそれでオッケーだよ?」

「すまん、ユキ。お小遣いをあげるから、デリカシーを買い戻してきてくれないか? 一〇年越しでくっついたばかりの友人に言う事じゃないだろ、それ」

「えー、別にハネムーンの邪魔はしてないよね? 先日、二人だけでこっちに戻ってきた時の数日間――」

「わぁぁ、聞こえない聞こえない! 解った。解りました! 付いてきて良いから!」

 耳を押さえて首を振り、俺はため息と共に白旗を揚げる。

 まさか、ハルカ。二人に話したりしてないよな?

 いくら仲が良いといっても……。

「最初から素直にそう言えば良いんだよ。それに、むしろあたしがいた方が良いと思うよ?」

「なのか?」

「指輪、買うって言っても、売ってる場所、知ってるの?」

「金属製品だし、ガンツさんにでも訊けば――」

「金・属・製・品! 大雑把すぎ!」

 ユキの力強いダメ出しに、思わず口ごもる俺。

 でも、指輪って金属だよな?

 まぁ、俺もちょっと、『武器屋は少し違うかな~?』と思ってたんだけど。

「そもそもガンツさんの所にはハルカたちがいるよね?」

「……まぁ、そこは、上手く時間をずらして?」

「誰かに紹介してもらうなら、むしろ大工のシモンさんじゃないかな? 家具の飾りとかは金工職人の分野だから」

「それじゃ、シモンさんの所に――」

「いやいや、素直にお店の方に行こうよ。案内するから」

「知ってるのか?」

「これでも女の子ですから!」

 反っくり返って「まかせて!」と胸に手を当てるユキに、少し不安を感じつつも、事実、俺はそれらの店を知らないわけで。

 躊躇いつつも、俺は「任せた」と頷くしか無かった。

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