238 出発

 出発の朝。俺たちは共に警護を担当する領兵と共に、ネーナス子爵家の屋敷前に集合していた。

 今回の旅に同行するのは、一〇人の領兵と俺たち七人、それにイリアス様と二人の侍女の計二〇人。

 整列した領兵の前には、ネーナス子爵と執事のビーゼルさん、それに子爵夫人が立っている。

 移動は馬車で、ここピニングから山を越え、南東にあるミジャーラを経由して、目的地のダイアス男爵領の領都、クレヴィリーへと向かう事になる。

 もちろん、馬車に乗るのはイリアス様たちだけで、俺たちは徒歩なのだが。

「エカート以下一〇名、揃いました!」

「うむ。頼んだぞ」

「はっ。身命を賭して」

 領兵を率いるのは、今し方、ネーナス子爵に声を掛けられ、ビシリと敬礼をしたエカートという名前の部隊長で、当然ながらここ五日間の訓練で、俺たちとも面識がある。

 強さとしては、サジウスよりも一段落ちるが、一般の領兵よりは強いというレベル。

 全体の指揮官ではあるが、正確に言うなら、俺たちの指揮官というわけではない。

 万が一の際には、領兵がイリアス様の乗る馬車の周りを固め、俺たちは自由に動いて敵を殲滅、または追い払う予定なので、戦闘に関して俺たちは、半ば独立している。

「“明鏡止水”も、イリアスの事をよろしく頼む」

「微力を尽くします」

 俺たちの前にも歩いて、一声掛けた子爵に、俺も礼をして応える。

 さすがに『身命を賭す』とまでは言えないが、護衛対象がむさいオッサンじゃなくて、可愛い女の子なので、死ぬ直前ぐらいまでは頑張ろうかな、と思う。

 いや、実際に命の危機になったときに、きちんと対応できるかは判らないのだが。

 やっぱ、自分の命が大事だし。

 プロ意識? 知らない言葉ですね。

 ――一年前まで、ごく普通の高校生だったからなぁ、俺たち。

「お父様、行って参ります」

「あぁ。イリアスには苦労を掛けるな」

 続いて、馬車の前のイリアス様に声を掛けるネーナス子爵の表情は、少々苦い。

「いえ。これも貴族に生まれたが故の責務です。お任せください」

 そう言いながらも少し緊張した様子のイリアス様に子爵夫人が近づき、そっと抱き締める。

「あまり気負う必要はありませんよ? イリアスはまだ成人していないのです。多少の失敗程度、許される年齢です」

「お母様……ありがとうございます」

 母親のその言葉に、イリアス様の表情が少し柔らかくなる。

「アーリンとケトラもよろしくお願いしますね?」

「「お任せください」」

「それでは、お母様、お父様、行って参ります!」

 イリアス様はそう言うと、馬車に乗り込み、それに侍女の二人、そしてなぜかメアリとミーティアの二人も続く。

 ――いや、なぜかというか、そう要請されたからなのだが。

 イリアス様の努力の甲斐もあって、二人と仲良くなった事も理由の一つだが、メアリたちが俺たち明鏡止水のメインの戦力ではない事。にもかかわらず、ある程度は戦える事から、護衛兼話し相手として抜擢されたのだ。

 俺たちとしても、メアリたちの安全が確保されるのだから、否やは無い。

 全員が乗り込み馬車の扉が閉まると、全体が動き出す。

 先頭は俺たち。

 このまま馬車の速度で最初の目的地、ミジャーラへと向かうのだが、そこまでの予定時間がおよそ四日。

 距離的にはそこまで離れていないのだが、ピニングはネーナス子爵領、ミジャーラはダイアス男爵領という事と、間に山が挟まっている事から、あまり街道の整備がされていないらしい。

 もちろん、一番危険性が高いのはこの区間。

 ミジャーラから領都のクレヴィリーまではしっかりとした街道が整備されているため、そこまで行けば安全性はかなり高いようだ。

 そこまで危険な魔物が出る事は無いという話ではあったが……護衛を雇っている時点であんまり油断はできないよなぁ。


    ◇    ◇    ◇


 一日目、二日目は比較的平穏だった。

 そこまで整備されていないという街道も、馬車が通るのに苦労するほどではなかったし、出てくる魔物もゴブリンレベル。

 街道近くにいる物に関しては、見つけ次第、俺たちで駆除していたので、領兵が手を出す必要も無かった。

 慣れない野外での野営と三交代での見張りには、少々戸惑うところもあったが、キャンプと思えば一週間程度、耐えられるだろう。

 『浄化』があるおかげで、一番の問題点は解消されるわけだし。

 ちなみに、領兵の中には魔法を使える者はいなかったのだが、ちょっと予想外な事に侍女のケトラさんが光魔法の使い手だった。

 どうもそれが、随行員に選ばれた理由の一つでもあるらしく、イリアス様と侍女たちに関しては、ケトラさんの『浄化』で清潔に保たれていた。

 食事に関しては、俺たちの物も含め支給があるのだが、味の方は程々。

 なので、俺たち提供のタスク・ボアー――と言っても、道中で森から迷い出た物を狩っただけだが――の焼き肉も全員で楽しんだ。

 串焼きではなく、網を使った日本的な焼肉。

 串焼きは串焼きの良さがあるのだが、食べられるまでには時間が掛かる。

 それに対し、網を使った焼肉はとても手軽。

 網さえ準備しておけば、薄切りにした肉を大量に並べ、短時間で焼く事ができる上、パンを温める事も可能。

 雑貨屋には大人数で使うような網は売っていなかったので、これまたトミーに頼んで、予備も含めて多めに作ってもらったのだが、手持ちの網すべてが活躍するのは今回が初めての事だった。

 あまり上品とは言えないような料理ではあるが、俺たちと同じ食事を食べているイリアス様からすれば特に問題も無かったようで、大量に食べるメアリとミーティアにつられて、なかなかの健啖家ぶりを発揮していた。

 その後は動けなくなっていたようだが、まぁ、戦いに備えないといけない俺たちとは違い、護衛対象なので問題は無い。


 そんな状況が少し変わってきたのは三日目の事。

 山に登るにつれて道幅が狭くなり、路面も少しずつ荒れ始め、周囲の森もまた鬱蒼として見通しが悪くなってきた。

 これまでも地面に穴が空いていたりする所はあったものの、ある程度の道幅があったため、避けて通る事ができていたのだが、この頃になると避けにくい場所も出てき始めていた。

 そしてついに、道幅の三分の一ほどもある穴が前方に出現し、俺たちは一時足を止める事になったのだった。

「雨水による土壌の流出か?」

「かもな。専門家じゃないからよく判らないが」

 深さ五〇センチほど、幅が一メートルで奥行きが七〇センチほどはある大きな穴。

 地面の下の土壌が流出したのか、陥没したかのようにポッカリと穴が空いている。

「これは……なかなかに立派な穴だな。埋めるしかないな」

 穴を覗き込んで検分する俺たちの傍に、エカートがやって来て、同じように覗き込む。

 一応、こういう穴を越えるための、橋代わりの板も持ち運んでいるのだが、イリアス様の意向としては、少なくともネーナス子爵領の街道部分に関しては出来る限り補修していきたいらしい。

 少々面倒ではあるが、クライアントの意向は無視できない。

 仕方ない、やるかと顔を見合わせる俺たちを制するように、エカートが口を開く。

「ま、安心してくれ。俺たちは慣れているんだよ、こういう仕事は。最近、良い物も手に入れたしな。オイ! アレを持ってきてくれ!」

「了解しました!」

 これまで仕事が無かったからか、どこか嬉しげに後ろの隊員に声を掛けると、三人の隊員が穴を埋めるための道具を担いでやって来た。

「あ……」

 それを見てトーヤが思わず声を上げる。

 担いでいる道具、それはどう見てもショベル。

 どうやらトーヤプロデュース、ガンツさん&トミー作のショベルは、ピニングの辺りにまで販路を伸ばしているらしい。

「どうかしましたか?」

「あ~、わざわざ手作業でやらなくても、魔法で直せるぜ?」

 自分が作ったと主張するのも恥ずかしいと思ったのか、トーヤが口にしたのは別の事だった。

「えっ……?」

「だよな?」

「うん、このぐらいならね。ダンジョンじゃないし」

 トーヤの確認に、ユキが気軽に答える。

 ダンジョンの壁面などに比べ、ごく普通に魔力が通る土は扱いやすい。

 俺も協力すれば、数分ほどで終わる作業。

 残念ながら、ショベルの出番は無い。

「ま、魔力の残量は? いや、それ以前に土魔法も使えるのか?」

「一応、エルフだからな。魔力も問題ないぞ?」

「そうなのか……。お前たち、そういう事らしい」

「「……うぃーす」」

 仕事が無くなったのに、むしろ少し残念そうに言うエカートと、似たような表情で戻っていく隊員たち。

 うーむ、何か仕事を割り振るべきなのだろうか?

 だが、馬車の護衛を代わって、ゴブリンを斃させるというのもなぁ。

 俺が少し考え込んだのに気付いたのか、ハルカが俺の肩を叩いて首を振る。

「ナオ、私たちがやるべき事は、私たちの仕事。下手の考え休むに似たりよ?」

「そうそう。行程こそ順調だけど、この辺りって一番危ない場所でしょ? 早く通り過ぎた方が良いって」

「ですね。のんびりと道の補修をしていては……。その分、護衛の人数が減るわけですから」

「いや、俺も無理にどうこうと言うつもりは全くないんだがな。それじゃ、ユキ、さっさと埋めるか」

「ほいほい。ついでにちょっと硬くしておこうかな~~」

 簡単なお仕事をサクッと終わらせた俺たちは、再び先へと進み始めたのだが……。

「なーんか、怪しい反応が」

 歩き始めて数十分。

 前方の森の中に魔物とは違う反応がある。

 トーヤに視線をやると、トーヤの方も俺を見て頷いているのだから、俺の気のせいという事は無いだろう。

 そんな俺たちの様子に、ハルカたちも近づいてくる。

「どうしたの?」

「いや、どうも盗賊っぽい反応があってな」

「確定?」

「ほぼ。まさかこの辺でキャンプとか、無いだろ? しかも道の左右に分かれて二人と三人、動かずにいるとか」

「日本なら、普通にレジャーかと思うところだけど、ここだとほぼあり得ないよねー」

「魔物とか、普通に出てくるしな」

「私たちなら、できなくはないですが……知らせてきますね」

「頼んだ」

 ナツキが馬車の方へと下がっていき、すぐにエカートを連れて戻ってきた。

「盗賊が出たと聞いたが?」

「恐らくな。とりあえずエカートたちは、矢に注意して、馬車を守ってくれ。攻撃してきたら、こちらで対処する」

 いきなり魔法を撃ち込むわけにもいかないし、と俺がそんな風に言うと、エカートはむしろ不思議そうに言葉を返してきた。

「別に攻撃を待たなくとも、攻撃を仕掛けても構わないぞ? 子爵家の馬車が通る道で怪しげな行動をしている時点で、殲滅されても文句は言えないからな」

「お、おう、そうなのか……? まぁ、うん、危なそうならそうする」

 さすが貴族。そのあたりは案外理不尽である。

 日本だと、よっぽどじゃ無ければ正当防衛なんて成立しないのに……。

 ――と、思ったのだが、良く訊いてみれば、これは普通の隊商であってもそんなものらしい。

 怪しい場所で、怪しい行動をする方が悪い、これが一般常識。

 うん、俺たちも気を付けないとな。

 冒険者だけに、森の中に潜んで魔物や動物を狙う事もあるわけだから。

 基本的には、街道傍に潜むような事をしなければ、問題は無いようだが。

 まぁ、そんな事をエカートから説明された俺たちではあったのだが、何もされていないのにいきなり殺害に走るというのは少々ハードルが高く、当初の予定通り、相手の反応を待つ事にする。

 先制攻撃を受けるのはかなり不利ではあるのだが、これを選んだ理由の一つは、ハルカが『風壁ウォール・オブ・ウィンド』を使えるようになっている事がある。

 この魔法、風魔法のレベル6にあたるのだが、護衛依頼を請ける事が決まって以降、重点的に練習していたようで、既に遠距離から放たれる矢ぐらいであれば、十分に防げるようになっている。

 もちろん、この魔法の出番が無ければ一番良いのだが――。

「これは、確定だろ」

 うんざりしたように言ったトーヤの視線の先には、道を塞ぐように倒れている、一本の木があった。

 

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