234 しばしの休息、そして……

 俺たちは魚釣りから戻って以降、護衛依頼の予定日が来るまで特に仕事をすることも無く、のんびりと日々を過ごしていた。

 日課の訓練と趣味と実益を兼ねた料理、錬金術、魔法、その他。

 そんな事を行って過ごす日々。

 俺を兄のように慕ってくれるミーティアや訓練を頑張るメアリは可愛いし、成果がスムーズに現れる家庭菜園も面白い。

 こちらに来てそろそろ1周年ってところだが、ここまで穏やかな日々は初めてじゃなかろうか?

 何というか……うん、懐が温かいと、穏やかな気持ちになれるよね?

 もし働けなくなったとしても、十分に生きていけると考えるだけで、余裕が全然違う。

 レッド・ストライク・オックス、最高です。


 さて、そんな穏やかな日々にも何時しか終わりが来る。

 ――ってほど、大げさな話じゃないのだが、お仕事の時間です。

 今回はメアリたちも参加させるので、少し余裕を持ってピニングに移動する予定である。

 足で走って移動するのは変わらないのだが、前回とは違ってメアリもミーティアも、自分で走ることになる。

 日本でこの年齢を何十キロも走らせるとか、普通に虐待だが、こっちの世界では常識も種族も違う。

 さすがに俺たちと同じ速度では走れないが、毎日のジョギングを見る限り、速度を落とせば特に問題なく走りきれるだろう。

 そんなわけで、護衛対象の出発予定日まで1週間少々となった今日、冒険者ギルドに運搬するレッド・ストライク・オックスのミルクを受け取りに来たのだ。

「お待ちしてました! っていうか、間に合うんですか!?」

「うん、大丈夫、大丈夫。数日は余裕があるから」

 俺たちがギルドに顔を見せると、ディオラさんは焦れていたのか、慌てたようにカウンターから出てきた。

 そんなディオラさんにハルカはパタパタと手を振って、軽く応える。

 ま、実際、俺たちが全力で走れば、ここからピニングまで1日もあれば到達できる。

 今回はメアリたちの父親のお墓参りを兼ねて、ケルグで1泊して、そこの神殿に寄る予定だが、それでも2日の行程である。

 もしミーティアが途中でへばったとしても、リカバリーできるだけの余裕は十分にある。

「だと良いのですが……。それでは、レッド・ストライク・オックスのミルク、お渡ししますね」

 少しだけ不安そうな表情を浮かべながらも頷いたディオラさんは、カウンターの上にマジックバッグから取り出した牛乳瓶を並べていく。

 それは基本的に俺たちが納品した物と同じなのだが、よく見ると瓶の蓋を蝋できっちりと密閉した上で、印章が押されている。

 これは、未開封のしるしだろうか?

「ディオラさん、これって?」

「ギルドで検査済みの印です。一種の品質保証ですね。何か問題があった場合、採取してきた人の責任になっては困りますから」

「それは、ありがたいわね」

 魔物の肉の様な一般的な素材ならともかく、レッド・ストライク・オックスのミルクぐらい希少な物になると、調べれば誰が採取してきたか簡単に解るわけで。

 万が一、毒でも入れられた際、『最初から入っていた!』と罪をなすりつけられたりすると堪らない。

 ギルドによる保証は、購入者に対する安心を提供すると同時に、冒険者もまた守ってくれる仕組みなのだろう。

 さすが、手数料を取るだけのことはある。

 直接販売とは違う安心感。

 保険と考えれば、ギルドが徴収する手数料も安い物だ。

 ちなみに、この封印を行った状態であれば、常温でもある程度の期間は保存ができるらしい。

 日本のロングライフ牛乳みたいに、滅菌・密封しているのか、それとも別の方法で対処しているのか。魔法や錬金術があるので、やろうと思えばなんとかできそうな気はする。

「保存可能とは言っても、新鮮な方が美味しいですので、マジックバッグからは出さないでくださいね? 万が一割れてしまった場合は、ピニングのギルドで申し出てください」

「一応、予備はあるけど……向こうのギルドでもこの処置はしてもらえるのかしら?」

 今回ギルドに納品したのは115本分。

 俺たちが採取した量はそれより多く、また少なくとも今の俺たちでは使い道の無い代物だけに、そのままマジックバッグの肥やしとなっているのだ。

「はい。ですが、普通は1日ほどは時間が必要ですから、気を付けてください」

「了解。ま、引き渡しまでマジックバッグから出す予定は無いから、大丈夫だとは思うけどね」

「ミルクの方は、直接依頼者の方――子爵家の担当者に渡してください。護衛依頼はこちらの紹介状を門番に見せて頂ければ、取り次がれますので」

 次にディオラさんから渡されたのは、牛乳の引き渡し証明書と護衛依頼を請けるための紹介状。

 これを子爵のところで見せた後は、向こうの指示に従えば良いらしい。

 基本的には行き帰りの道中のみの護衛なので、向こうに着いた後は自由行動が許されているようだが、場合によっては依頼者から何か頼まれる可能性もあるので、『そのあたりは臨機応変で』との事。

 ディオラさんとしては、何か頼まれた場合は、可能な限り請けて欲しいとのこと。

 但し、その依頼内容によっては別料金を請求することは可。

 こちらで交渉が難しければ、帰還後、ディオラさんが交渉もしてくれるらしい。

 なんとも至れり尽くせりである。

「随分と手厚いサポートだけど、こういう物なの?」

「依頼によりますけど、貴族の依頼だと、ままあることですね」

「なかなかに大変そうね?」

「えぇ、まぁ、大変ですけど、やらなかったときの方が、むしろ後から大変なので……」

 ディオラさんがフッと目を伏せて、哀愁を帯びた表情を浮かべる。

 その視線の先には何が浮かんでいるのだろうか?

 少なくとも、楽しい記憶で無い事は間違いなさそうだが。

「あ、でも、皆さんは安心ですね! とてもありがたいことに、礼儀正しいですから」

「……普通に対応するならともかく、貴族相手の礼儀なんて無理よ?」

「良いんです! その『普通』で! 普通ができない冒険者なんていっぱい……いえ、大半はできませんから」

 冒険者の出身を考えれば、それも仕方ない。

 学校に行くこともなく、成人するか、しないかで町に出てきて、柄の良くない冒険者の中で生活。

 そんな状態で礼儀を身に着ける機会なんて無いだろう。

 その点、神殿の孤児院出身の冒険者は、イシュカさんたちの教育のたまものか、そのあたりが比較的できている様で、強いかどうかは別にしても評判は良いようだ。

「冒険者相手に、貴族の礼儀を求める方は普通、いませんから。いたとすれば、その方は確実に、貴族社会で愚か者の烙印を押されますね。そういう人材が必要なら、自家の騎士を使え、という話ですから。それができない時点で、お察し、です」

「そう言ってもらえると、私たちとしてもかなり気が楽ね」

「はい、気楽に行っちゃってください。もう、護衛対象さえ無事なら後はどうでも良い、ぐらいな気持ちで!」

「いえ、さすがにそこまでは。けど、頑張ってきますね」

「はい。どうか、よろしくお願いします」


    ◇    ◇    ◇


 翌朝は少し早めに朝食を摂って、ケルグに向かって出発した。

 すでに晩夏ではあるが、走るのだから涼しいに越したことはない。

 ペースメーカー的にトーヤが先頭を走り、その後ろをミーティアとメアリ。周りを囲むように俺たちが走る。

 街道を走っている限り、襲撃を受ける可能性は低いが、一応の用心である。

「今回は、私たちも走れますね!」

「らくらく、なの!」

 俺たちだけで移動するよりは少し遅いが、それでも十分に速い速度。

 そんなスピードで走りながら、メアリとミーティアは笑顔である。

 ラファンに来た時は火傷から回復したばかりだったし、体力的な問題もあったので、俺たちに背負われて移動することになった。

 対して今回は、自分たちの足で移動できるようになったわけで、それが嬉しいのだろう。

「メアリもミーティアも、ここ数ヶ月、訓練頑張ったものね?」

「うん! 頑張ったの!」

 少なくとも俺たちが家に居るときに、2人が訓練をサボったことは1度も無いし、恐らく俺たちが居ない時も、2人で訓練は続けていたのだろう。

 でなければ、いくら獣人とはいえ、ここまでの体力上昇は見込めない。

 後はどれぐらいそれが保つか、なのだが……。

 

 俺の懸念を他所に、数時間後の俺たちは、ケルグで昼食を食べていた。

 所要時間はメアリたち無しで移動する場合の1.5倍ぐらいか。予想の範囲内だな。

「しかし、思ったより復旧が進んでるな?」

「少なくとも、崩れた家や焼けた家は撤去されてたな。空き地はまだ目に付くが」

「あと、兵士の姿ね。やっぱりまだ多いわ。騒乱の前、最初に来たときには、ほぼ見かけなかったから」

 俺たちが食堂に入るまでの間でも、何度か兵士が巡回しているのを目にしている。

 サトミー聖女教団の方は首謀者が捕まっているわけだし、そこまで心配する必要はない気がするのだが、別の懸念材料があるのだろうか?

「貴族関連、かもしれませんね。あれで身代を潰してしまった貴族や、不正に手を染めた貴族がいたという話も聞きましたし」

「ゴソッと捕まえてしまえば良い気がするんだが、そういう訳にもいかねぇのかねぇ?」

「まぁ、私たちの常識とは違う部分はあるでしょうね」

 まさか日本みたいに、必要以上に労働者の権利が守られていて、不正をした公務員も簡単には首を切れない、とかあるのだろうか。

 普通なら考えにくい気がするが、縁故採用が多い事を考えると、紹介者次第では難しい、とかはあるのかもしれない。

「でも、治安に問題が無さそうなのは安心だよね。ネーナス子爵、様々?」

「ですね。路上生活者も見ませんでしたし」

 単に目に付かなかっただけかもしれないが、少なくとも、大火傷をして道端に転がっている子供が放置されていた状況と比べれば、確実に良くなっているはずである。

「この後は、宿を取って神殿か?」

 そう言った俺に、メアリたちは遠慮がちに首を振る。

「あの、私たちは別に良いですよ? 神殿に寄らなくても」

「うん。アドヴァストリス様の神殿でちゃんとお祈りしてるの」

「そういうものか……?」

 庶民は個別のお墓を作らない関係か、俺たちの考える『お墓参り』的な感覚はあまり持っていないらしい。

 一応、2人の父親の遺骨はこの神殿に埋葬されているはずなのだが、それはそれ、必要であれば(何処でも良いので)神殿で祈る、という感じらしい。

 母親も亡くなっているはずだが、その遺骨が何処にあるかすら、2人は知らなかったぐらいである。

「ま、せっかく来たんだから、寄れば良いじゃねぇか。少しぐらい寄付しても良いと思うしな。ここの孤児院も大変だろうし」

「あぁ、そうですね。はい、それなら」

「わかったの」

 トーヤの言葉に2人は頷き、俺たちは昼食後、神殿に寄って祈りと多少の寄付をすませた。

 寄付は俺たちがまとめて払うつもりだったのだが、2人とも孤児院のことが気になったのか、それとも父親が埋葬されているからか、自分のお小遣いから支払うと主張し、お賽銭箱にジャラジャラと投げ入れていた。

 実際、現在の孤児院がどうなっているのかは解らないが、少なくとも神殿を後にする際、あの時のような修羅場風の声は聞こえていなかったので、改善されていると思いたいところ。


 神殿を出た後は宿を取り、メアリたちの疲れも考えて早めに就寝。

 翌日も早朝から起き出し、ケルグを朝のうちに出発して走り続ける。

 前日の疲れを見せない2人のおかげで行程は順調に進み、俺たちは予定通りその日のうちに、ピニングの門をくぐったのだった。

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