215 牛乳を効率よく (1)

 話し合いの結果、俺たちは一度帰還することにした。

 理由は3つ。

 搾乳器が無いと大量に搾るのはキツいという事、牛乳を入れるのに適した容器を作るべきという事、そして、『アイス食べたい』。

 一番の要因はもちろん搾乳器だが、この牛乳で作ったアイスが食べたいという意見も、かなり大きなウェイトを占めていた。むしろ俺が声を大にした。

 そんなわけで、11階の転移ポイントまで魔法で転移、階段を上って、10階の魔法陣でダンジョン入口へサクッと跳び、そのまま自宅へと帰還したのだった。


    ◇    ◇    ◇


 俺たちが家へ帰ると、メアリとミーティアは2人して、庭で鍬を振るっていた。

 トーヤが作った三つ叉の鍬、それで土に埋まった菜の花の根っこを掘り起こし、隅に集めている。

 油を搾る際、地上部に関しては綺麗に刈り取り、不要な部分はコンポストで堆肥に変えたのだが、根っこ部分はそのまま放置していたのだ。

 そのままでは次の種が播けないため、処理を行っているのだろう。

「暑いのに精が出ますね」

「あれ? お帰りなさい。みなさん」

「お帰りなさいなの!!」

 ナツキが近づき声を掛けると、メアリたちは予定よりも早く戻ってきた俺たちに、少し驚いたような表情を見せたが、すぐに笑顔を浮かべて出迎えてくれた。

「ただいま。メアリたちもお疲れ様」

「このくらい問題ないの! ミーは大丈夫なの!」

 その言葉通り、ミーティアはとても元気に、ザクザクと鍬を振るう。

 見た目は幼女だが、その力強さは下手な大人顔負けかもしれない。

「次の種も播かないといけないですから」

「そこまで急ぐ必要は無いけど……無理しない範囲で頑張ってね?」

「はい!」

 きちんとした仕事ができるのが嬉しいのか、メアリは笑顔で頷く。

 子供なのに、と思わなくもないが、これがこちらの世界の常識的な反応で、働かざる者食うべからず。

 逆に言えば、働いていないと何時食わしてもらえなくなるか解らないし、文句も言えないのが普通なのだ。

 つまり、働いている方が安心。

 働かずに食うメシが美味い、などと言っている余裕は、この世界の庶民には無い。

 それが自分の子供であっても、普通に放り出される。

 俺たちとしても、天ぷらに使える菜種油が増えるのはありがたいし、メアリたちも天ぷらは喜んでいたので、それもまたモチベーションになっているのかもしれない。

「取りあえず今日は、お土産があるから、中に入りましょう?」

「おみやげ! 食べ物なの?」

「えぇ。果物を採ってきました」

「「くだもの!」」

 ナツキの言葉に、目を輝かせた2人の声がハモる。

 ディンドルほどの高嶺の花ではなくとも、普通の果物ですら庶民はなかなか手が出ない。

 特にやや貧乏な暮らしをしていたらしい2人にとっては、果物はかなりのご馳走なのだろう。

「それじゃ、中に入って食べましょうか」

「はい!」

 メアリたちはパタパタと走り出し、鍬を片付ける。

 そんな2人にハルカたちが『浄化』をかけて、家の中へ。

 壁面を漆喰で処理した屋内は案外涼しいが、それでもさすがに夏の気温。歩きながら『冷房クールズ』を唱え、家の中を冷やしていく。

「わぁ~、涼しいの! ナオお兄ちゃん、ありがと!」

「俺たちもちょっと暑いからな」

 問題ないとは言っても、さすがに夏の日差しの中での畑仕事は暑かったのだろう。ミーティアは涼しい風に気持ちよさそうに目を細めた。

 この地域の気候は日本に比べて湿度が低く、夏も多少過ごしやすいのだが、それでもエアコンに慣れた俺たちからすれば、少々暑い。

 だが、あばら屋的な家に住んでいたメアリたちからすれば、この家の中は十分に涼しいらしい。

 更に、俺たちが家にいる間は、俺とユキ、それにハルカの3人で適当に『冷房クールズ』を乱発して歩いているので、屋内の気温はあまり上がらない。

 故に2人とも「今年の夏はすっごく快適!」と口を揃えている。

 まぁ、俺たちが過ごしやすいように調整しているわけで、自然のままに生活していた2人からすればかなりの贅沢なのだろう。

「お土産はいくつかありますが、今日は梨を剥きましょうか」

 居間へと移動した俺たちが、適当に好きな場所に座ると、ナツキがマジックバッグから梨を7つほど取り出した。

 手分けしてそれの皮を剥くと、ハルカがまとめて冷やしてくれる。

 日本のスーパーで売っているような梨であれば、1人1個はちょっと多いが、今回の梨はやや小ぶり。間食にはちょうど良いサイズだ。

「しゃくしゃくして、じゅわってして、甘いの!」

「はわぁ~~、冷たくて甘い~」

 頬を緩め、ゆっくりと噛み締めるように食べるメアリたちの様子に、俺たちもまた頬を緩め、梨を食べる。

 うん。なかなか。

 日本で買える梨とどちらが美味いかと言われれば、少々劣ることは否定できないが、こちらは自然に実った物を採取しただけで、栽培しているわけではない。比較すること自体が不適切だろう。

 って、あれ? 確かお土産の果物って、トーヤのための好感度アップアイテムだったんじゃ?

 ――まぁ、トーヤも気にしていない様子だし、別に良いか。

「はふぅ~。美味しかったです~。……あ、そういえば、今回は帰ってくるの、何で早かったんですか?」

 俺たちに比べて2倍ぐらいの時間を掛けて、梨を満喫していたメアリが大きく息を吐き、思い出したようにそんな事を訊ねる。

「ストライク・オックスのミルクが手に入ったから、それをたくさん搾れるよう準備するために戻ってきたの。とても美味しいミルクだったけど、2人も飲んでみる?」

 ハルカが取りだした壷を見て、ミーティアは不思議そうに首をかしげ、メアリは少し嫌そうに顔をしかめた。

「ミルク、です?」

「そう。なかなかに美味しかったわよ? 飲む?」

「飲みたいの!」

「メアリは?」

 嬉しそうに応えたミーティアにミルクを注ぎつつ、ハルカが訊ねると、メアリは少し困ったように首を振る。

「私はあまり……ミルクは少し苦手で……」

 言葉を濁すメアリに対し、ハルカから牛乳の入ったコップを受け取ったミーティアは白い液体に少し不思議そうな表情を浮かべつつも、臆すること無くコップを傾けた。

「……すっごく美味しいの!」

 ミーティアは一口飲んですぐに笑顔になり、更にゴクゴクと牛乳を飲んでいく。

 そんなミーティアの様子に、メアリは驚いたような表情を浮かべる。

「ミーティア、大丈夫なの? 昔はあんなに嫌がったのに……」

「? よく解らないけど、これはとっても美味しいの! はい、お姉ちゃんも!」

 妹から笑顔で差し出されたコップは無視できなかったのか、メアリは受け取った牛乳を恐る恐る口に含む。

 と同時に、「あれ?」とでも言うように、不思議そうに首を捻り、更に一口、二口。

「うわぁ……すごい……」

 信じられない物を見たかのようにコップの中を覗き込み、再びコップを口に運ぼうとしたメアリの袖を、ミーティアが少し不満そうに引っ張った。

「お姉ちゃん、ミーのミルク!」

「あ、あぁ、ごめんね? はい」

「――んく。あ、無くなっちゃいました……」

 メアリから返ってきたコップを嬉しそうに傾けたミーティアだったが、すでに殆ど残っていなかったようで、一口ほどでコップは空になる。

 ミーティアは悲しそうにコップの中を見て、ハルカの方に視線を向けた。

「ハルカお姉ちゃん、お替わりもらって良いです?」

「えーっと、そうね。あと一杯だけね?」

 残りの牛乳でアイスを作るわけで、あまり余裕は無いのだが、ミーティアの表情に負けたのか、ハルカはミーティアのコップにお替わりを注ぐ。

「ありがとうなの!」

 ミーティアは満面の笑顔でお礼を言い、半分ほど飲むと、「お姉ちゃんも飲んで良いの!」とコップを差し出した。

 そんな風に姉妹で分けるのはいつものことなのか、メアリもお礼を言って受け取り、先ほどよりも良く味わうようにしてミルクを飲む。

「このミルク、前に飲んだことのあるミルクとは全然違います」

「前に飲んだ? 何のミルクを飲んだの?」

「私が飲んだのは山羊です。ミーティアを育てるときに……」

 訊いてみると、メアリたちの母親はミーティアを産んだ後、産後の肥立ちが悪く、すぐに亡くなってしまったようで、ミーティアは何とか工面した山羊のミルクで育てられたんだとか。

 メアリが飲んだのは、その時のおこぼれと言うべきか、余り物と言うべきか。

 しかしその味は決して美味しいと言える物ではなく、ミーティアに飲ませるのにも苦労したらしい。

 そんな経験もあり、これまでメアリは、ミルクにあまり良い思いを持っていなかったようだ。

 それだけに、ストライク・オックスのミルクの味は衝撃的だったのだろう。

「かなり美味いもんな、この牛乳」

「普通の牛乳を飲んでいた俺たちでも、かなり驚いたからな」

 逆にミーティアが山羊のミルクを飲んでいたのは物心がつく前。

 ミルクを飲んだこと自体を覚えていなかったため、抵抗なく牛乳が飲めたようだ。

「山羊かぁ。マズいのか?」

「私は飲んだことないですが、育成環境で随分と味が変わる、と聞いたことはあります」

「そうなんですか? 私たちが買えたのは安い物だったから、でしょうか?」

「かもしれないわね。山羊に関してはあまり詳しくは無いけど……」

「ミルクは良く知りませんが、シェーブルチーズ――山羊のチーズは結構良いお値段がしますよ? クセがありますけど」

「あたし、食べたことない。美味しいの、ナツキ?」

「う~ん……私はさほど……。好きな人は好きみたいです」

 ナツキが困ったような表情で、曖昧な笑みを浮かべる。

 まぁ、チーズなんてそんな物だよな。

 俺も普段食べるチーズなんて、万人受けするように作られたプロセスチーズぐらいだったし。

「値段と言えば、このミルクはそれなりに高いのよね? トーヤ、いくらぐらいだっけ?」

「コップ1杯の相場で、おおよそ大銀貨2枚から4枚ってとこだな」

「――んぐっ! ごく。ゲホッ、ゲホッ。ほ、本当ですか!? そんなに!」

 お値段的には、ちょっと高価な栄養ドリンクぐらいか。

 買えない価格ではないが、ただの飲み物に支払うと考えると、かなり躊躇するレベル。

 値段に見合うぐらいの味ではあるので、一度味わうと購入に対するハードルは幾分下がるだろうが、どちらにしても庶民には厳しい値段だろう。

「でも、そんなにするなら、帰ってきたのも解ります。冒険者なら、お宝は見逃せませんよね!」

「あー、うん。そうだな?」

 両手をギュッと胸の前で握り、目を輝かせるメアリに、俺は少し曖昧な返事。

 見逃せないのは間違いないが、俺たちからすると、『高く売れる』事よりも、『美味い物が採れる』という事の方が優先順位が高いわけで。

 もしストライク・オックスから得られる素材が、高いだけで食べられない物であったなら、適当に処理して、わざわざ戻って来なかった可能性は高い。

「ま、そんなわけで準備に帰っただけだから、順調にいけば2、3日でまた出かけるわ」

「次回はもっとたくさんミルクが回収できると思うから、お土産、期待しててね?」

「「はい(なの)!」」

 嬉しそうに返事をする2人に和みつつ、俺たちはそれぞれ『たくさんのミルク』を実現するために、作業を開始したのだった。

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