192 働かないの?
ネーナス子爵から宿に連絡が来たのは予想外に早く、その日の夕方のことだった。
時間が取れるのは5日後。その日の午前中に館に訪れるように、とのこと。
招待状も渡され、それによって屋敷の門を通してくれるらしい。
「しかし、結構先だな」
「ん~、早い方じゃない? 現状を考えれば」
少し不満げなトーヤに対し、ユキが反対のことを言う。
その言葉に、トーヤは少し考えて理解したように頷いた。
「……あぁ、ケルグのことがあったな。後始末で忙しそうだよな」
「きちんと仕事をして頂けているようで、逆に安心ですね、ここに住む身としては」
確かに、騒乱があっても、それを適当に処理するような領主の元ではあまり暮らしたくない。
ケルグでの後片付けの進行具合や、町を歩く兵士などを見ても、結構しっかり対処されていたように見えたので、少なくともネーナス子爵は無能な領主ではないと思われる。
但し、騒乱自体は起きてしまったわけで、特別有能とも言えそうに無いのが、少し気になるところではある。
「5日後ってことは、丸4日は空き時間って事になるわね」
「ぼーっと過ごすには長いな」
これが1日、2日なら、適当に街でもぶらついて時間を潰すという選択もありだが、丸4日はちょっと長い。
「さすがに本屋はもう良いよね」
「ケルグでかなり買い込んだからね。行くとしても、今ある本を読んでからでしょうね」
ユキの言葉に、ハルカが頷く。
俺なんて未だ1冊も読めていないので、仮に本屋に行っても、どんな本を買うべきか決めることもできないだろう。
「あとは……ギルドの資料室か?」
「そこまで代わり映えはしないと思いますが……読むとしても、1日もあれば十分じゃないですか?」
トーヤの提案に、ナツキが消極的賛成。
しかし、ナツキの言うとおり、ケルグよりも大きい資料室があるとしても、そこまで差があるとは思えない。
魔物に関する資料はすでにディオラさんに注文済みだし、後は周辺の地理に関する資料を読む程度しかすることは無いだろう。
そうなると、残りの選択肢は少ない。
「やはり依頼か。冒険者らしく」
「だな。けど外は暑いし、あんま請けたくねぇな」
「暑くない仕事があれば良いんだけどねー」
「さすがに無理でしょ。都合良くダンジョンでもあれば別だけど」
俺たちがそんな事を話していると、ミーティアが不思議そうな視線を向けているのに気付く。
「ミーティア、どうかしたか?」
そう訊ねた俺の言葉に、ミーティアから帰ってきた言葉は、とても根本的で純粋な質問だった。
「ハルカお姉ちゃんたちは、暑いとお仕事しないの?」
「え?」
「お父さんは真夏でも、毎日お仕事に行っていたの」
「「「………」」」
ある意味、当然の疑問に、俺たちは揃って沈黙する。
『暑いから仕事しない』。
まるで『雨が降ったら休み』みたいな、南国の島である。
普通の職業ならあり得ない。
そんな俺たちの様子を見て、メアリが慌てたようにミーティアの手を引っ張った。
「す、すみません。ミーティア、変なこと言わないの。冒険者と普通のお仕事は違うんだから」
メアリのフォローに乗っかるように、ハルカがミーティアの純粋な疑問に答える。
「そ、そうね……。あのね、ミーティア。冒険者って命懸けの仕事も多くて、精神的にも、肉体的にも、とても消耗する仕事なの」
「うん」
「だから、1回仕事をしたら、しっかりと回復させて、万全の状態で次の仕事を請けることが安全に繋がるの」
「そうなの? でも、毎日仕事してる人もいるの」
小首をかしげるミーティアに、ハルカは深く頷き、言葉を続ける。
「休めるだけのお金を稼げない冒険者はそうなるのよ。つまり、そういう冒険者は余裕が無いから危ないの」
「そっか! お姉ちゃんたちは高ランクだから、よゆーを持ってお仕事できるの!」
ハルカの説明に、『納得!』とばかりに笑顔で頷くミーティア。
間違ってはいない。
間違ってはいないのだが、微妙に子供を丸め込んだような気分になるのはなぜだろう?
ちょっと教育に悪いような気も……いや、間違ってないのだから問題は無いのか?
「……取りあえず、ギルドに行って依頼を見てみるか」
「そうですね。請けるかどうかは、効率なども考えてから決めれば良いでしょうし」
さすがにこの状況で、『暑いからギルドに行かない』なんて口にするメンバーは一人もいない。
問題の先送り感はあるが、取りあえずはそういう方向でまとめ、その後は夕食を食べるため、宿の食堂へ向かう。
そこで饗された夕食は、特別美味しいとまでは言わないが、幸いなことに十分に食べられる味だった。
あの宿泊料金で、もし食事が不味かったりしたら、宿の変更も辞さなかったところである。
だがそれでも、食事の味自体は全体的に微睡みの熊亭の方が上だったのが微妙なところ。
食事の傾向としては、ガッツリ系の微睡みの熊に対し、この宿は女性好みの少しあっさり系だったのだが、それを考慮しても、ハルカたちでも微睡みの熊の方が上と言うのだから、その程度って事である。
全体的にやや割高なのは、都会価格として受け入れるしか無いのだろう。
サールスタットの事を思えば、多少の事は大きな心で許せてしまう。
あそこで得られた一番の経験は、多少の料理なら我慢して食べられる根性かもしれない。
◇ ◇ ◇
明けて翌日。俺たちは昨日決めたとおり、冒険者ギルドを訪れていた。
時間帯はいつもと同じ、やや人が少なくなった頃。
メアリたちは宿でお留守番である。
一応、仕事をするつもりはあるわけだし、さすがに冒険者でもない2人を連れてくることはできない。
2人には暇つぶしに、本でも渡しておこうかとも思ったのだが、実はメアリたち、文字が読めなかった。
いや、正確に言うなら、メアリの方は数字や多少の単語ぐらいなら読めたのだが、本をすらすらと読めるまでには至っていなかった。
この国の識字率や年齢を考えればそう不思議ではないのだろうが、読み書きの能力は、かなり重要――というか、1つのアドバンテージである。
俺たちから自立するにしても、その能力があるかどうかで、できる仕事の幅に大きな違いが出てくる。
なので、俺たちが持っている本の中でも簡単な物をメアリに、ミーティアにはナツキがさらさらっと作った文字表を渡して、練習しておくように言って出てきたのだった。
「帰りにでも、絵本でも買って帰ろうかな?」
「そうだな。子供を引き取るなら、教育は俺たちの責任だろうし」
「あとは、文字の読み書きの教本とかかしら? 売っていれば良いんだけど……」
「一度、イシュカさんに、どんな教育をしているのか聞いてみても良いかもしれません」
孤児院では独立までに、どのようなことをしているかを訊いておけば、最低限やるべき教育というのは見えてくるだろう。
「ま、今はオレたちの仕事の方だけどな」
「ですね。取りあえず、私は資料室の方を確認してみます」
「じゃ、オレもそっちに」
「なら俺たちは依頼の方を見るか」
トーヤと共に資料室へと向かうナツキを見送り、俺たちは依頼を貼ってある掲示板へ。
ケルグと比べても大きな、掲示板に貼られている依頼の数は多いが……。
「雑用が多いわね」
「しかも、結構報酬が微妙……」
「良さそうな物はすぐに請けられるんだろうな」
草刈りや探し物、荷物運びの様な力仕事、他には飲食店の給仕など。
俺の感覚からすれば、冒険者の仕事ではない様にも思えるが、冒険者ギルドが日雇い労働者の斡旋なども行っていることを考えれば、そうおかしくはないのかもしれない。
ただ、この時間に残っている物だけに、その報酬額はかなり低い。
「これらを請けるぐらいなら、訓練してる方がまだマシだよねぇ」
「小金を稼がないといけないほど、困窮してないからね、私たち」
「それに、取りあえず、街中で受ける依頼は無しだな」
「えぇ、そうね」
俺の言葉にハルカは当然と頷くが、ユキの方は首を捻る。
「ん? なんで? 確かに請けたいような仕事は無いけど」
「ラファンを出る前に、ディオラさんがフラグを立ててくれたじゃないか。『ピニングで行方不明事件が――』っての。街中をうろちょろしてたら、巻き込まれる可能性、高いと思わないか?」
「そんなバカなって言いたいけど……否定できない」
「単純に確率だけを考えるなら、低いと思うけど、そういうときに限ってヒットしたりするからねぇ。大抵は気のせいなんだけど」
そう。大抵は、何も起きなければ忘れて、何かあれば強烈に印象に残っているだけの事なので、フラグとか関係ないはずなのだが……縁起は担ぎたいよな?
そう簡単に割り切れるなら、お守りとか売れるはずがない。
ちなみに、この街の人にそれとなく訊いてはみたのだが、少なくとも一般人の間では行方不明事件に関する噂話などは広まっていなかった。
直接的な聞き方ではないにしろ、すぐに思い当たることが無いあたり、かなり限定的な事件なのだろう。
そうなると、ディオラさんがなぜ知っていたのか気になるところだが、そこはさすが冒険者ギルドの副支部長と言ったところか。
「全員一緒に行動してればそうそう問題は起きないと思うが、一応、町の外での依頼優先で」
「了解。でも……報酬も低めだし、ランク制限のある依頼も……殆ど無いね」
「だな。領都なのにな」
ランク制限のある依頼なら、総じてある程度報酬も高いのだが、目に付くのは護衛依頼ばかり。
時間的な制約を考えれば、さすがにこれを請けることはできない。
そもそも、これも利益的には微妙なんだよなぁ。
暑さを気にせず仕事をするのであれば、素直にオークあたりを狩ってくるのが安定していて、一番良い。
護衛の場合、戦闘があるとは限らないので、狩りに行くよりも安全性は高いのだろうが……。
「……うん、無理する必要は無いよな?」
「無いけど……ミーティアにあんな風に言われると、あたしとしては仕事しないと、って気になるんだけど」
「それは同感だけどさぁ、何するよ? 今更薬草採取か?」
「適当な魔物狩りは……多分無いわよね。領都の近くでは」
この領では田舎にあたるラファンでも、稼げる魔物を狩るためには森の奥深くまで入る必要があったのだ。
安全性を考えれば、この周辺の魔物は討伐されていると思われる。
「取りあえず、ナツキたちの方へ行ってみるか」
「そうね。そちらで時間が潰せるかもしれないし」
と言うわけで、資料室へと向かった俺たちだったが、足を踏み入れた資料室はやはりあまり広くはなく、資料の方も充実しているとは言えなかった。
順当にケルグよりも大きく、本の数も多かったのだが、その本をパラパラと捲っているナツキの表情はあまり冴えない。
「どうだ?」
「殆どは読む意味がありませんね。魔物に関する本なら意味があるでしょうが、これはラファンへ戻れば購入できる予定ですし。ただ、周辺の地理に関する本は目を通しても良いかもしれません」
ナツキは苦笑しつつ、手にしていた本を本棚へ戻す。
その本棚には数十冊の本が並んではいるが、背表紙から判断する限り同じ本も多くあり、バリエーションとしてはケルグにあった物と大差は無さそうである。
「ちなみに、オレが今読んでるこれな、地理の本は。あと3冊ほどあったぞ。そっちは?」
「大した収穫はなし。少なくとも、今貼ってある依頼では、稼ぎは期待できないな」
ナツキが本棚から3冊の本を取り出し、俺たちに差し出す。
それを受け取りつつ、俺はトーヤに答えた。
ハルカとユキもナツキから本を受け取る。
ナツキは良いのかと訊けば、彼女はすでに読み終わっているらしい。
読むような時間は数十分ほども無かったと思うが、本を開いてみればそれも納得。
イラストなどが比較的多く、読むべき文章はあまり多くない。
「これだと、今日の午後には暇になるな」
「だね。ホント、何しよっか?」
「ん~、ここは受付のお姉さんに相談してみねぇ? 適当な物がないか」
「それはどうかしら? ディオラさんぐらい仲良くなってれば別だけど……」
「私たち、ここでは新参者と言うのも
ディオラさんとは持ちつ持たれつ、ある程度の融通を利かしてもらうこともある。
だが、ここのギルドに来たのは2度目で、依頼は請けたことがない。
多少俺たちのランクが高くとも、特別な依頼を斡旋してもらう様なことは、さすがに難しいだろう。
「一応訊いてみて、無ければ無いで、開き直って観光でもしようぜ? 別に休んで悪いこともねぇだろ。冬の間はしっかり働いて稼いでんだから」
「……ま、そうよね。どうせラファンに戻ったら仕事に行くわけだし」
今の段階で無理して、『ミーティアに働く大人の背中を見せよう』とか思わなくても良いか。
言ってしまえば今も『依頼の途中』。
別に、普段から怠けているわけじゃないのだから。
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