172 2階層
2階層――坂を下りたので便宜上、そう呼ぶ事にした――の探索を開始した俺たちだったが、戻れないという若干の不安感以外には、案外問題は無かった。
普通に寝られるベッド、美味しい食事、清潔に過ごせる魔法、そして適度な運動。
陽の光に当たれないという不満点はあれど、まあ、我慢できる範囲。
ストレスが無いとは言わないが、他の冒険者のことを考えれば、贅沢という物だろう。
少なくとも、日雇いで働きながら、トミーが最初に泊まっていた宿で生活するよりはよっぽどマシである。
一応、ユキを付き合わせながら時空魔法の訓練は続けているが、今のところ、あまり切羽詰まってはいなかった。
これで『すべての道が行き止まり』とかであれば精神的にも追い詰められるのだろうが、未探索エリアはまだまだ広そうな感じがする。
それに、これまで手に入れたダンジョンに関する知識に依れば、なぜか『理不尽すぎるダンジョン』という物は無いらしい。
今回のケースであれば、『別の通路がある』とか、『何らかの条件を満たせば戻れるようになる』とか、そんな風に。
理由はよく解っていないようだが、ある意味でダンジョンはフェアなのだ。
なぜそんな仕様なのか疑問はあれど、神様が実在したり、魔法があったりする世界なのだ。そういう物として受け入れるしかないだろう。
俺たちからすればありがたいのだし。
さて、そんな状況もあって、俺たちは特に焦らず慎重に探索を進めていたわけなのだが、2階層に入ってもダンジョンの様子はあまり変化が無かった。
あえて変化を挙げるとするなら、アンデッドが出なくなったぐらいで、ジャイアント・バットなどの敵は相変わらず。
俺たちからすれば弱い敵ばかりで、代わり映えがしない。
ただ、肉が得られる敵が出てくるというのは、ある意味では利点かも知れない。いざとなれば、それを食べて生き延びられるわけだから。
逆にアンデッドばかりになっていたら、最悪だっただろう。いくら何でも腐った人肉や人骨なんて、餓死しかかっていても食べたくない。
変化があったのは、探索を続けて12日目の事だった。
「おっと、トーヤ、親戚がやって来たぞ?」
「誰が親戚だっ、コラァ!?」
久しぶりに見つけた新しい敵の反応。
結構素早く近づいてくるので待ち受けてみれば、やって来たのは狼の群れ――いや、パックと言うべきなのか?――だった。
やや身体の大きい1匹を中心に、5頭のグループが走って近づいてきていたが、ナツキがやや先へと飛ばしていた『
足音はごく僅かで、体毛は黒。その身体はダンジョンの闇の中に紛れている。
もし【索敵】が無ければ、かなり近くに来るまで気付くことは無かっただろう。
その移動速度といい、かなり厄介な敵である。
すぐに【看破】スキルでステータスを確認。
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種族:ハウリング・ウルフ
状態:健康
スキル:【噛み付き】 【爪撃】 【咆哮】
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「コイツら、【咆哮】のスキルを――」
ガウッ!!
俺が言い切る前に、ハウリング・ウルフの1匹が放った咆哮。
それにより、俺たちの動きが止まったのは一瞬――。
グワォォッ!!
やり返すようにトーヤがすぐさま声を上げ、ハウリング・ウルフたちが目に見えて怯む。
「やっぱ親戚じゃん!」
「ちゃうわっ!」
トーヤが対抗するように叫んだ声も、恐らく【咆吼】。
相手を怯ませるこのスキル、俺たちにはちょっと不評で、普段はあまり出番が無い。
味方である俺たちに影響は無いのだが、
特に、こんなダンジョン内だと良く響く。
尤も、あまり使わない主な理由は、俺たちに不評だからではなく、森の中で大声を上げれば魔物を引き寄せかねないから、なのだが。
目の前の敵を多少楽に倒せても、後から後から敵がやって来ては本末転倒。
経験値稼ぎならそれもありだろうが、銘木の伐採などではただ邪魔なだけである。
「来るぞ!」
怯んだとは言っても、魔物故か退くという選択肢は無いのだろう。
5匹が同時に走り出し、先頭の2匹がトーヤとナツキの正面へ。そして残りの3匹が――。
「――なっ!?」
ほぼ垂直に近い壁面。そこに張り付くようにハウリング・ウルフ3匹が走る。
狙いは……2人の側面か!
俺たち後衛に攻撃するより、先に前衛を倒すという戦術なのか?
普通であれば、後衛の魔法使いを放置するとか悪手なのだろうが、全員がそれなりに戦える俺たちからすれば逆に面倒くさい。
それぞれが1匹ずつ相手をする方が楽なのだから。
俺はすぐさま前に出て、ナツキの方へ向かうハウリング・ウルフを牽制する。
トーヤの方は無視。
盾を持っているのだから、問題は無いだろう。
素早い動きと壁を使った多少トリッキーな動きには少し驚いたが、所詮は狼。
普通なら【咆哮】スキルが厄介なのかも知れないが、トーヤが対抗できるのであれば、俺たちにはあまり関係が無い。
正面から向かってきた2匹は早々に切り捨てられ、側面から攻撃しようとした3匹も、1撃を防がれた後は何もできずに、俺たちに斃されることになったのだった。
「新しい敵だったけど、問題なかったね? あたしたちは手を出す暇も無かったし」
「不意打ちをされれば別だが、正面から戦えばな」
「魔石も1,800レアだから、そのレベルだな」
トーヤが試しに1つ、魔石を取りだして【鑑定】をしてみたようだ。
魔石の価値的にはゾンビ以下なので、単純な強さはさほどでもないのだろう。
このあたりで出てくる他の魔物と比べても、順当と言えば順当。
但し、不意打ちに対応できれば、という条件は付くが。
コッソリ忍び寄られて【咆哮】で動きを止められると、それなりに危険だろう。
少なくとも、ラファンで木こりの護衛をしているレベルの冒険者では、恐らく厳しい。
「しかし、これまで使ってこなかったが、案外【咆哮】って便利なのか?」
ハウリング・ウルフの【咆哮】で動きを止められたのは一瞬。
だが、戦闘に於いてはその一瞬が生死を分けかねない。
ハウリング・ウルフに関しては、おそらく心構えがあれば対抗できるレベルだと思われるが、ここぞという場面で不意に使われたりすれば、致命的かも知れない。
そしてそれは、逆も言えるわけで。
「いやー、そう簡単じゃないぞ? 接近戦をしながら【咆哮】を使うのは。戦闘開始時に使うのならともかく、声を出す分、呼吸は乱れるし。たぶん、お前たちが戦いながら魔法を使うような感じじゃないか?」
「――なるほど。それは確かに難しいかもな」
ただ大声を上げるだけではなく、何らかの溜め――魔力的な物(?)が必要なのだろう。
魔法だって、派手に身体を動かしながら使うのは結構難しい。
もしそれが簡単にできるなら、俺だって槍で戦いつつ、『
「でも、戦闘開始時に多少硬直するだけでも意味はあるし、訓練、しておこうか?」
「んー、そうだなぁ……」
「使える場面が限られるというのも、変わりませんしね」
そう、俺たちがうるさいという点は我慢するにしても、魔物を呼び寄せる危険性があるという問題点は同じなのだ。
最初の頃、タスク・ボアーを狩っていた頃であれば、周辺に魔物が少なかったのであまり問題は無かった。
あの頃の強敵、ヴァイプ・ベアーにしても分類としては『動物』。人を襲うために、わざわざ近づいてくることは無い。
その点、魔物は人を襲うのが生き甲斐なのか、あえて人のいる方へ近づいてくる。
「あと、どこで訓練するかが問題よね。いくらうちの庭が広くても、あそこでやると近所迷惑だし」
「犬の鳴き声って、ご近所トラブルになるからね」
「犬じゃねぇ!」
「うん、犬より迷惑だよね」
トーヤの抗議に、ユキはウンウンと頷きつつ、酷いことを言う。
だが実際、犬の鳴き声よりも迷惑なのは否定できない。精神的ダメージ(?)を喰らうようなスキルなのだから。
朝早くからそんな声が聞こえてきたら、苦情の1つや2つ、入れたくなるだろう。
「まぁ、どうするかはトーヤの自主性に任せましょ。但し、庭での訓練は無しで。ご近所さんとは仲良くやりたいからね」
「戸建て、買ってしまいましたからね」
「そうそう。簡単には引っ越せないから」
「……了解。考えてみる」
ハルカたちの言い分が否定できないのは理解しているらしく、トーヤは不承不承ながら頷いたのだった。
◇ ◇ ◇
あれから更に10日ほど探索を進め、新しい敵にも何種類か遭遇した俺たちだったが、いずれもあまり歯応えの無い魔物ばかりであった。
必然的に魔石の価値も低く、1日あたりの稼ぎは少ない。
マッピングだけは順調に進み、すでに1層目と同じぐらいの枚数描き上がっているが、宝箱が見つかっていないので、ボーナスも無い。
敵が弱い分、経験値にもあまり期待できず、俺たちは少々探索に飽きが来ていた。
「しかし、ゲーム的に考えると、バランスが悪いよな、このダンジョン」
トーヤがそんな事を言いだしたのは、通路に散らばったリッパー・ビーを回収しているときのことだった。
リッパー・ビーは体長50センチぐらいの蜂の魔物で、魔石は800レアほどなのだが、半透明の羽がそれなりに高値で売れるらしい、このダンジョンでは少し効率の良い魔物。
とは言え、毒針はダールズ・ベアーの革で作った手袋すら貫通できないので、俺たちからすれば多少気を付けていれば、あまり脅威ではない。
「バランスって、なにが?」
トーヤの言葉の意味がよく解らなかったらしく、ユキが回収の手を止め小首をかしげる。
「ダンジョンに来るまでに出る魔物――ダールズ・ベアーは別格にしても、スタブ・バローズとか、明らかにこのダンジョンの魔物より強いだろ? ゲームだと普通、逆じゃん?」
「確かにね。魔石の価値を考えれば10倍以上。単純にレベル換算できるわけじゃないけど、敵の強い森を探索していて、ダンジョンに入ったら一気に敵が弱くなるとか、ゲームじゃあり得ないわね」
「ゲームじゃないからだろ」
ゲームバランスを取る意味が無いし、取る人もいない。
あえて言うなら神様だろうが、多分、そのへんのことには関わってない……よな?
「いや、それ言ったらお終いだけどよ。縄張り的におかしくね?」
「ダンジョンは基本的に独立してますから。ダンジョンから魔物が出てくることはあっても、その逆は無い、みたいですよ?」
俺はまだ読み途中なのだが、『ダンジョンとは』をすべて読み終わったナツキによると、普通の洞窟に魔物が住み着くことはあっても、周辺に生息している魔物がダンジョンに住み着く事例は確認されていないらしい。
逆にダンジョン内から魔物が溢れることはある様なので、周辺に住んでいる魔物にすれば良い迷惑だろう。
なぜそうなのかは判っていないようだが、これは一見洞窟に見える物がダンジョンかを判断するための材料として使えるらしい。
つまり、ここのダンジョンのように、中に入ると明らかに弱い魔物が住み着いていれば、ダンジョンの可能性が高いということになる。
もちろん、単純に周辺の魔物が洞窟をねぐらにすることを好まないだけ、という可能性もあるので、断言はできないのだが。
「なるほどなぁ。まぁ、稼ぎが悪いのは残念だが、閉じ込められている現状では、助かったのかもな」
トーヤはそう言って、困ったようにため息をつき、力を込めて言葉を続けた。
「けど、オレの一番の不満は、ハウリング・ウルフがちっとも可愛くないことだ! 子狼もいないし!」
「……いや、魔物相手に、何を期待していたんだ?」
「せっかく異世界に来たのに、ちっともモフモフが楽しめてねぇぇぇ!」
「まぁ、おとなしい魔物は死んだ魔物、だけだよねぇ。当たり前だけど、野生動物も警戒心強いし」
そしてトーヤは、死んだ狼を撫で回すほど倒錯はしていない。
「理想と現実……。テイマースキル、要望しておくべきだったか……」
「気持ちは解らなくもないけど……。虎とか熊とか、元の世界だと絶対に触れないわけだし」
ハルカは少し呆れたような、それでいて少し納得できるような微妙な表情を浮かべる。
しかし、出会えば例外なく襲いかかってくる魔物は勿論として、動物に分類されるタスク・ボアーやヴァイプ・ベアー、ブラウン・エイクであっても、簡単に懐いてくれるはずがない。
ダールズ・ベアーなど、ある意味、超巨大なモフモフだったが、生死がかかった状態で楽しめるわけもない。
もしトーヤがモフモフを存分に楽しみたいのであれば――。
「レベルを上げまくって、噛み付かれても、引っかかれても怪我しないぐらいになる事か?」
「それしかねぇのか……」
トーヤは血を吐くようにそう言うと、ガックリと肩を落とした。
だが、それで触れるようになったとしても、トーヤの望むモフモフとはちょっと違う気がする。
懐いてくれているわけじゃないし。
案外、モフモフを楽しむのであれば、元の世界で大型犬を飼うのが一番の早道なのかも知れない。
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