115 鹿と蛇を喰う (1)

「お見事」

 鹿が倒れると同時に、そう言いながら向こうの茂みから出てきたハルカたちに、俺もまた歩み寄る。

「ま、デカいとは言っても、動物だからな。警戒心は魔物より強い気はするが」

「私たちに気付いていた風だったしね」

「私なら……なんとかなったでしょうか?」

 遠距離攻撃を持たないナツキだが、スキル的にはスカウトタイプ。

 【隠形】スキルも持っているし、もしかすると1人だけなら、気付かれずに槍で突ける距離まで近づけたかもしれない。

「目的は斃す事なんだ。無理する必要は無いだろ?」

「そうだよ。反撃されて怪我する可能性もあるんだから。この足で蹴られるだけでも死ねるよ?」

 ユキが指さした足は、近くで改めて見ると本当に太い。

 蹄の大きさも、俺が手のひらを広げても全く届かないほどに大きく、この太さの筋肉とこれで蹴り上げられるとか、恐怖である。

 普通の馬でも肋骨ぐらいは簡単に骨折するのだから、これだと内臓は確実にぐちゃぐちゃになる事だろう。

「おーい、それよりも早く解体しようぜ? 時間が経つと不味くなるって書いてあっただろ?」

「おっと、そうだった。まずは吊り下げるか」

 トーヤに声をかけられ、俺は慌てて近くの木に登った。

 幸い、この近辺には太い木が何本もあるため、場所には苦労しない。

 しっかりとした枝の上からロープを下ろすと、そのロープをトーヤが鹿の両足にくくりつける。

 それを確認してから、ロープを枝に通して下に降りる。それからロープをぐいぐいと引っ張って鹿を吊り下げれば解体準備は完了である。

「しかし、あれだな。鹿を狩るなら滑車が欲しいな。ただの枝だと、結構重いし」

「そうだな。できれば動滑車、なければ普通の滑車でも、摩擦が減る分、楽になるよな」

 今回は俺とトーヤ、ついでにユキにも手伝ってもらって引き上げたが、かなり重かった。

 血抜きをしっかりしないと不味い、という情報が無ければ、寝かせたまま解体すれば良かったんだが、解体が下手なら安くなると言われては、やるしかないだろう。

「それじゃ、最初に首を落としますね」

 そんなことを軽く言いながら、ハルカから借りた小太刀で首を切り落としたのはナツキ。

 頸椎もモノともせず、スッパリと。見事な技術である。

 その切り口から流れ出た血が、その下に掘っておいた穴に溜まっていく。

「次は内臓ね。これは捨てるのよね?」

「食べられないことは無いらしいが、面倒なようだし、ポイで良いだろ。あ、腹を割く時は、内臓を傷つけないように注意してな」

「了解。っと……手が届かない」

「そうだな?」

 ハルカは頑張って手を伸ばしているが、胴体部分だけでも3メートルほどはあるのだ。

 それをぶら下げれば、上まで手が届くはずも無い。

「えーっと、何か土台は……」

「ナオ、肩車」

「はい」

 不満そうな顔でハルカに言われては、否やは無い。

 トーヤが本を見ながら指示を出し、俺の肩の上に登ったハルカが、解体用のナイフで腹を割く。

 そして、出てきた内臓をごっそりと取り出すと、穴の中に落とし、魔法で出した水をかけながら中身を洗う。

「次は皮だな。デカい方が高く売れるから、破かないようにな」

「いや、それはまたで良くないか? 血抜きが終わったら冷やして、帰ってから処理しようぜ?」

 吊したままだと、再び俺が肩車をするはめになる。

 それ自体は別に良いのだが、確実に作業しにくいし、それで失敗したら皮が勿体ない。

「それもそうだな。それじゃ次」

 俺の言葉にトーヤも頷き、本のページを指でなぞりながら手順を確認。

「えーっと……あとは、川の中に放り込んで冷やすのがベスト、って書いてあるが、これは無理だな。血が出なくなったら、ハルカの魔法で冷やすか」

「はいはい」

 しばらくして血が出なくなった頃を見計らい、ハルカが鹿全体を魔法で冷却していく。

 ハルカの魔法なら瞬間冷凍も可能だが、皮を剥ぐ時を考慮して、そこまでは冷やさない。

 後は、下にマジックバッグを広げて枝から下ろせば、解体作業は終了。

 切り落とした頭から角をのこで切り離し、角はマジックバッグ収納。頭は穴の中に放り込み、土をかけておく。

「解体の手順は難しくは無いですが、少し面倒ですね」

「うん。大きさがネックだよね。毎回ナオに肩車してもらうのもどうかと思うし?」

 大きさだけで言うならオークも十分に大きいのだが、鹿の場合、何らかの方法で上手く血抜きをしないと不味くなるというのがいただけない。

 ぶら下げるためには丈夫な木が必要だし、川に浸けるなどの方法を試すなら、かなり移動する必要がある。

 ぶら下げた状態ではハルカの身長では――いや、誰であっても手が届かなくなるというのも面倒だ。

「斃した直後にマジックバッグに放り込む、という方法もあるんじゃないか? 家まで持ち帰って、足場でも組めば、簡単に解体できるだろ? ほぼ時間が停止するんだから、肉の味も落ちないし」

「できるとは思うけど……そこまでやる価値がある? 小屋を作るコストとか」

「そこはほら、ナオとユキの土魔法で解体小屋を作れば」

「不可能では無いが……」

 浴槽を作れるようになった俺とユキなら、確かになんとかなりそうではある。

 小屋を作るだけなら、だが。

「ちょっと臭いとかが気になりますね。森の中のように不要な物を放置するわけにもいきませんし」

「そこはネックだな。やるならかなり深い穴を掘って埋めることになるだろうが」

「ま、そのへんは収益性を見てから考えましょ。いくらで売れるかや出現頻度を考慮しないとね」

「まぁ、そうか。それじゃ、後はまっすぐ帰るか」

 解体作業で汚れた身体をハルカとナツキの魔法で綺麗にしてもらい、俺たちは町へと足を向けた。


    ◇    ◇    ◇


 ラファンへと戻った俺は、保留になっていたバインド・バイパーを売りに行くハルカたちとは別れ、1人、アエラさんの店へと向かっていた。

 せっかくバインド・バイパーと鹿の肉が手に入ったのだから、アエラさんのお店の予約を取って、調理方法を教えてもらおう、という事になったのだ。

「いらっしゃいませ~」

 そんな声と共に俺を迎えてくれたのは、20歳前後の、初めて見る女性だった。

 俺が内心『おや?』と首を捻っている間に、ニッコリと微笑みながら声をかけてきた。

「今の時間だと、閉店まであまり余裕がありませんが、よろしいですか?」

「あ、いえ。アエラさんに用事があってきたんですが……。私はナオと言います」

「店長に? 少々お待ちください」

 そう言ってキッチンの方に向かう女性を見送り、俺は店内を見回す。

 先ほどの女性が言ったとおり閉店時間まで間がないためか、満席と言うことは無かったが、それでも半分以上の席は埋まっている。

 客層も落ち着いた感じの女性が中心で、目論見通り、という感じだろうか。

 カウンターの近くに移動してそんな風に店内を観察していると、キッチンから顔を出したアエラさんが、嬉しそうな笑みを浮かべてパタパタと駆け寄ってきた。

「ナオさん! お久しぶりです!」

「え~っと、数日前には会ったよな?」

「でも、お肉を納品したら、すぐに帰っちゃったじゃないですか」

 少し頬を膨らませて不満そうなアエラさんに、俺は苦笑を浮かべる。

 家を手に入れたおかげでハルカたちが料理を作れるようになり、保管庫のおかげで、作りたての料理の保存も可能になった。

 そのため、アエラさんのお店に限らず、外食する機会というのが殆ど無くなったのだ。

「すまん、俺たちも一応、冒険者が本職だからな。ところで、そちらの女性は?」

「あ、ナオさんたちには初めてでしたね。私の修業時代の友達なんです。忙しくなってきたので、来てもらったんです」

 そう言ってアエラさんが手で示すと、俺を出迎えてくれた女性がぺこりと頭を下げて自己紹介をした。

「初めまして、ルーチェと申します。あなたがアエラの言っていた『ナオさん』なんですね」

「ナオです。アエラさんにはお世話になっています。修業時代ってことはルーチェさんも料理人で?」

「いえ、私の方はアエラの働いていたお店で給仕をしてました。アエラが前のお店より給料アップを約束してくれたので、引っ越してきたんです」

「あ、給料アップで引き抜いたんだ? 友達だからとかじゃなく」

 俺のそんな言葉に、ルーチェさんは悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「ナオさん、友情でお腹は膨らまないんですよ?」

「もう、ルーチェったら。殆ど同じ額しか受け取ってないじゃない。それなのにこんな所まで引っ越してきてくれて」

「それはほら、せっかく引っ越ししたのに、このお店が潰れちゃったら困るじゃない?」

 どうやらルーチェさんはツンデレさんのようだ。

 不満そうに言うアエラさんにそう言い返しているが、照れ隠しなのだろう。

 この2人、外見的にはルーチェさんが年上に見えるが、実際にはアエラさんの方が上、なんだよな?

 どちらにしろ、とても仲が良いのは間違いないだろう。

「それよりもアエラ、ナオさんは放っておいて良いの?」

「あっ、ナオさん、すみません。それで今日は?」

 ルーチェさんに指摘され、慌てて俺の方に向き直ったアエラさんに、俺は今日の用件を伝える。

「予約を取れないかと思ってな。新しい肉を手に入れたから、それで料理してもらって、調理法も教えてもらえたら、と」

「新しいお肉、ですか?」

「ああ。最近北の森付近に行っていてな。バインド・バイパーと鹿を狩ったんだが……」

「なるほど。解りました! ですが、ちょっと予約が立て込んでいるので、今日、もしくは……」

「次に空いているのは5日後ですね」

 少し考え込んだアエラさんに、すぐさまルーチェさんがフォローに入る。

 その様子を見るに、単純な給仕だけじゃない頼もしさを感じる。

 彼女がいればまた騙されたりする危険はない……と良いなぁ。クラスメイトの意味不明なスキルさえ無ければ、素直に安心できるんだが。

「それなら今日頼めるか?」

「はい。それではお待ちしていますね!」

「ああ、後ほど」

 新しいお肉で料理できるのが楽しみなのか、嬉しそうに言うアエラさんに見送られ、俺は店を後にした。

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