13−9
ホールの片隅に掲げられた式次第の通りに、市長の挨拶や祝辞の読み上げ、新成人の宣誓などが行われた。オリガたちの気遣いで、舞台から最も遠い隅の席に座ったアマーリエは、その距離から新成人へ祝福の言葉を送る父親を見ていた。
もし、この人がアマーリエの成人を祝うとしたら。
(きっと、『ますますマリアに似てきた』って言うんだろうな……)
父は特にアマーリエを見ることなく、挨拶を終えた。気付かないふりをしているのかどうかは、わからなかった。
式が終わり、新成人たちの流れに乗って会場を出た途端、アマーリエは閃光を浴びせかけられた。身を竦めた途端、無数の声が飛び交う。驚きのあまり上手く聞こえていなかったそれらは、しばらくすると誰もが同じような言葉を繰り返しているのだ、とわかるようになった。
「アマーリエ・コレットさん! 成人式はいかがでしたか!?」
「リリス族長は一緒ではないんですか!」
「コレット市長とお話はされましたか?」
目眩を起こすような点滅は、間断ないカメラのフラッシュだった。
緊張か、怒りや諦めなのか、視界がくらくらとして、立っていられなくなりそうだ。
しかし、それを引き止めたのは、冷静な自分の心の声だった。
(ここで倒れたら、リリス族長に泥を塗ってしまう――)
それだけはしてなるものかという意識が、アマーリエに力を与える。
毅然と顔を上げた。こういうときこそ笑うのだ。どんな言葉をも跳ね除ける最高の笑顔を。泰然と、そして優雅に。背筋を伸ばして、凛と気高く。
「成人の良い思い出になりました」
フラッシュが激しくなるが、笑顔は崩さない。
この約一年間、実質的には半年間、アマーリエは真夫人として公務に携わってきた。領主家への訪問、神域への参拝といった年中のよくある仕事から、年末年始の重要な行事にも参加した。すべて初めてのことで上手くこなせたとは言い難いが、一方で腹は据わった。私はリリス族長の妻なのだという意識が、確かに根付き始めたのだと思う。
「お一人で都市に来られたのですか? 族長はいらっしゃらないんですか?」
「はい。友人たちに会ってきなさいと送り出してくれました」
非公式の訪問なので、キヨツグはここにはいないことになっているから、そう答えた。
「夫婦仲はいかがですか? 慣れない土地で、気苦労も多いですよね?」
「そこは、夫が気遣ってくれますから。私たちなりの夫婦の形を作れていると思います」
「お子さんのご予定は?」
しかし、その質問には凍りついてしまった。
「子ど、もは」
笑顔を消さなかったのは上出来だったとしても、言葉はぼろぼろに崩れてしまって、動揺したのは誰の目にも明らかだった。何か言わなくては、と思いながらも、視界が眩しくて声が出ない。
すまぬ、と言ったキヨツグの声が思い出されたのは、そのときだった。
誰のせいでもない。その通りだ、けれども。
リリス族の出生率は、低い。無事に成長する子どもの数も多くない。アマーリエはヒト族で、妊娠と出産に耐えうる身体でいられる年齢は限られてくる。もしこのまま子どもを授からなかったら。授かったとしても、その子が大きくなるとき。
――私は、そのときどんな姿をしているのだろう?
「わああぁっ! カメラだカメラ! おかーさん見てるー!?」
その途端、賑やかな声がして、肩を掴まれた。オリガの長い爪がもたらす痛みが、アマーリエを我に返らせる。
押しのけるようにしてカメラとリポーターの前に立ったのはミリアで、子どものようなはしゃぎぶりで、飛び跳ねてはポーズを決める。すると、それに気付いた新成人の男性たちが背後で目立とうと動き始め、次第にその周囲も、カメラに写り込もうとこちらに押し寄せてくる。
アマーリエをそこから救ったのはキャロルだった。腕を引いて、道を開いてくれるリュナに続く。だがその向こうにもマスコミが先回りしていた。
それを阻んだのは、スーツの男たちだ。
「退いてください! 退いて! っ、いいから退くんだ!」
聞き覚えのある声だが、誰かわからない。そう思って振り返ると、額から汗を流す市職員の姿が見えた。顔を見ても名前が思い出せなかったが、襟章を見て、父の前で頭を下げていた姿が浮かんだ。
(異種族交流課のモーガンさん……? だったらこの人たちは、市職員の……)
バリケードとなってマスコミを押しとどめているスーツの男性たちは、第二都市の市職員だろう。イリアが連絡したのだろうか、と思っていると、ちょうどイリアが駆けつけてきた。だが彼女は、モーガンの姿を見て、はっとし、顔をしかめた。
「……誰が……」
だが思考停止している暇はないと、すぐさま先導を始める。
「こっちへ!」
彼女の指示で、迂回しつつ駐車場に向かう。
かっかっかっ、とヒールを響かせるイリアは、怖いくらいの気配を漂わせている。だが耳を澄ませると、何事が呟いているようだった。
「……どうしてここに……知らせないよう手を回したはず……」
「多分どっかの馬鹿がメールでタレ込んだんだと思います。そういうことするのが好きなやつってどこにでもいるから」
「え?」
嫌悪感を滲ませたオリガの言葉に、イリアは驚いて目を瞬かせた。何を言われたかわからなかったような間があって、「ああ……」とやっと気付いた様子で苦笑した。
「ええ、そうね。
「…………?」
イリアの言葉を思わせぶりに感じたのは、どうやらアマーリエだけだったらしい。従姉としての彼女を知っていたからかもしれないが、彼女がそんな風に言う理由が思いつかなかった。
(誰に、何を、告げ口されたんだろう?)
「ほんっとむかつくわ!」
「マスコミって遠慮ないねえ。名前聞いた方がよかったんじゃない? お父さんに社会的に潰してもらうために!」
ミリアはぷりぷりしていて、リュナが明るく怖いことを言う。「こら」とたしなめたオリガだが、微笑みを浮かべているキャロルと顔を見合わせて苦笑していた。どうやら二人とも、リュナの意見に同意しているらしい。
たどり着いた車の前で、彼女たちは手を振った。
「それじゃ、あたしたちはここで」
「身体に気をつけて」
「元気でね!」
それは、少しばかり離れた人間にかける、別れと励ましの言葉だった。確固たる約束ではない。遠いところでそれぞれの生活を送ることの宣言のようなものだ。
けれど、深く心に染みた。こうして別れを交わせる当然さを、なんて尊いことだろうと思ったのだ。
ミリアはそっぽを向いていたけれど、アマーリエが目を潤ませていると、弾かれたように飛びついてきた。ぎゅうっと強く抱きしめられたアマーリエが「ごめんなさい」と囁くと、何度も首を振る。
だがいつまでもそうしていることはできない。恐る恐るといった様子でミリアは離れた。目の周りのメイクが崩れ、黒く滲んでいる。それでも、懸命に形作った笑顔はとても可愛らしくて、綺麗だった。
「アマーリエ、ありがとう……またね」
アマーリエは頷いた。
「うん。……うん、ありがとう。会えて、嬉しかった」
車に乗り込むと、みんなが外で手を振ってくれた。車が動き出しても、見えなくなるまで、ずっとこちらを見守ってくれていた。オリガは腕を組んでいた。リュナが大きく手を振っていた。キャロルが微笑んでいた。ミリアは、走り出そうとしたような姿勢で寂しげな顔をしていた。
成人式に集った人々の中には、異種族であるリリス族と結婚したアマーリエを、好奇の目や嫌悪の感情を持って見ていた者もいたはずだ。それでも、そんな視線を無視して、こちらに駆け寄ってきてくれた友人たちがいる安堵と幸せが、嫌な気持ちを押しのけてくれる。
大丈夫。何が大丈夫なのか、具体的でなくともそう思えた。故郷の友人たちの存在と変わらない態度は、泣きたくなるほどの励ましをくれた。
車はそのまま都市を出て、境界へ向かう。
すでにそこにはリリスの迎えが待機していて、アマーリエが戻ってくるのを待っていた。
降車したアマーリエは、同じく車を降りたイリアに言った。
「色々とありがとう、イリア。無理を言って、本当にごめんなさい」
「いいのよ。これでも主任なんだから、それくらいお安い御用よ」
「でも、あれだけの職員を動かすのは大変だったでしょう? おかげで、なんとかマスコミから離れることができたけど……」
周りを取り囲んだ大勢の市職員を思い浮かべる。マスコミが集まってくることを見越して、警備を強化したに違いない。ああなってはリリスの親衛隊は手加減しなかっただろうし、そうなると事件になっていたかもしれなかった。とてもキヨツグを呼ぶなんてとても出来やしない。
すると、イリアは表情をなくし、次に唇の端に笑みを浮かべ、首を振った。
「あれは、私じゃないわ」
「え?」
そのときエンジン音が聞こえて、振り返ると、停車した車からキヨツグが降りてくるところだった。最初からアマーリエに気付いていて、黒い瞳がかすかに笑う。
「アマーリエ。市長に会わなくてよかったの?」
尋ねたイリアに向き直って、アマーリエは頷いた。
「うん。きっと困ると思うの。私も、なんて言っていいのかわからないから」
「おじさまのこと、許してないのね」
その指摘には不意を突かれた。
許す。許さない。その物差しであの人のしたことを測ったことがなかった。けれど心の奥底で、それは眠っていた。
許すことは、難しい。
「……私はお嫁に行ったんだもの。そう簡単には会えない」
それに親子の関係は義務だった。突然、そう思った。父親と娘でいるのは、幼い頃からアマーリエに課せられた仕事だった。何故なら父は、ただ一人にしか。
『お前は――――に、よく似ているよ』
風が吹いて、声を掻き消していく。目を閉じて身を縮こめた途端、何かに守られた。
目を開けると、キヨツグがアマーリエの隣に立ち、手にしていた毛皮の外套を着せ掛けてくれていた。目が合うと、息苦しさが消えていくのがわかった。大きく深呼吸して、イリアに向き直る。
「ありがとう、イリア。またね」
イリアは微笑んでアマーリエを抱きしめた。帯が邪魔なのか、少しぎこちない動きだった。
「またね、アマーリエ」
境界を超えて、キヨツグとともに馬車に乗り込むと、全身の力が抜けた。どこかほっとしたような気持ちになることに罪の意識を覚えて、アマーリエの短い帰郷は終わった。
*
王宮に戻り、それぞれの仕事を果たした後、アマーリエは寝殿でキヨツグを待っていた。夜遅くになってやってきた彼は、アマーリエが起きていることを知って、かすかに眉をひそめた後、言った。
「……何があった?」
「お話したいことがあるんです。人払いをお願いします」
キヨツグは自分たちの他に誰もいないことを確認し、アマーリエを促した。
「着物の帯に、これが挟まっていました。多分、イリアからです」
恐らく別れの抱擁のときに入れたのだろう。小さな紙片を受け取って、キヨツグは素早く目を通し、考え込むようにわずかに目を細めた。
そこには、都市における異種族対策、現在はモルグ族からの防衛に使われている予算額が跳ね上がったこと、不透明な予算の流れが感じられる旨が記されている。そしてアマーリエ宛の私信として、コレット市長がルーイと数回接触したらしい、と書かれていた。
「……ルーイとは何者だ?」
「大学の友人です。いま、製薬会社で仕事をしていると聞きました」
「その人物と市長が関わりを持っていると聞いて、思い当たることはあるか」
アマーリエは首を振った。心当たりが何もない。
一年前にもその前にも、父とルーイに接点はなかったはずだった。ルーイは父を市長としてマスメディアを通して認識していたと思うが、父の方はルーイのことをよく知らなかったに違いない。もしかしたら身近に、例えば議員など共通の知人がいたのかもしれないが、数回会ったようだというその理由らしいものは思い浮かばない。
「ただ、強いて言うなら……彼は私に、好意を持ってくれていたんです」
口にして、恥ずかしくなった。まるで自分が、男性に好意を寄せられる魅力的な人物だ、とひけらかしているように思える。決してそうではないけれど、受け取る側によってはそう取られるかもしれない。
「……ルーイか。覚えておこう」
キヨツグはどうだろう、と心配していると、低い声で言われた。だが表情が変わらないので、どう感じたのかはまったくわからない。しかしとりあえず、彼の中ではルーイは要注意人物になったらしかった。
どちらにしろ、イリアが知らせてきたように気になることではあるけれど、繋がりが見えない状況では、警戒するしか手段がなかった。
問題は他にもある。異種族対策の予算の増加についてだ。
「異種族対策ということは、モルグ族との戦争に関係する予算ってことですよね。モルグ族に対して何か仕掛けるつもりなんでしょうか。モルグ族の様子って、特に変化はないんですよね?」
「……そうだな。この一年で小競り合いが数回、という程度だ。都市側の動きは、ヒト族が異種族に対して何らかの手段を講じようと準備しているか、すでに何者かの攻撃を受けてのことかもしれぬ」
キヨツグはそう答えて、思案に沈んでいく。その横顔を見つめた。燈籠の光のゆらめきに、濃い睫毛の影が揺らめいている。アマーリエの手の届かない深みで、彼は打つべき手を考えていて、自分の無力さを思い知らせる。
キヨツグはアマーリエに与えるべき情報を選り分けることが非常に巧みだった。無理はさせず、努力すれば可能になる程度の仕事を振り分け、やりたいと申し出れば出来る範囲のものを任せてくれる。よくやった、と褒めて伸ばすことを目的としているのもあるだろう。その結果、人には自信が備わる。反面、失敗したときのことを考えると身が竦むが、キヨツグがそのようにして周囲に情報や仕事を振り分けることで、リリスは本当に上手く回っているのだと、近頃強く実感するようになった。
アマーリエはそんな彼の一番近くにいられる。穏やかに、温もりを感じながら、守られていると実感できるそこで、心の花を育てている。日に日に、彼への思いが大きくなっていくのだ。
「……モルグ族を探らせる」
「はい」
策を巡らせ、アマーリエに告げられたのはそれだった。残念ではあったけれど、わがままを言いたくはないから、素直に頷いた。
「……戻って、指示を出してくる。お前は先に休みなさい」
キヨツグはそう言って、早々と出て行ってしまった。
アマーリエは深く息を吐いて、少し重い胸を押さえる。そして、意図的に唇を尖らせて、呟いた。
「仕事ばかりなんだから、少し休んでほしいなあ……」
そうして、火の始末をし、寝室に行ってベッドに潜り込んだ。
暗闇に包まれると、不安が覆いかぶさってくる。心を落ち着かせて、大丈夫と唱えた。
(大丈夫。守ってくれるもの。誰と、どこにいるのか、選ぶのは私。だから、大丈夫)
目を閉じた瞼の裏に過っていく、いくつもの、故郷の景色。ビルの群れが、倒れてのしかかってくるような錯覚を覚えながら、夜を耐える。悪夢めいたそれらにうなされていたアマーリエは、それらが不意に遠ざかったのにほっと息を吐いて、眠りに落ちていくことができた。それは、戻ってきたキヨツグがベッドに入り、うつらうつらとするアマーリエを抱きしめてくれたからだった。
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