13−8
キヨツグが都市の交通機関に関心を持っていることを事前に伝えていたところ、イリア・イクセンは見学の予定を知らせてきた。巡回バスで都市内を巡る計画だ。
「よろしければ、そのまま散歩にいたしませんか? 行きたいところがあればご案内します」
にこやかにそう提案するイリアは、見えないところで走り回ったことだろう。だが、まるで水鳥のように、その美しい面を決して乱さず、働いているところをこちらに見せることはない。並々ならぬその努力が認められたからこそ、彼女はいま、キヨツグの歓待役を担って、ここにいるのだ。
先導をイリアに任せ、キヨツグはユメを隣に歩いている。左右には建物の群れと鉄の塊が唸りを上げる広い道がある。住居が集まる住宅地区はもう少し静かだそうだが、それにしても賑やかだ。バスの停留所間の距離を確認するために、しばらく歩道を行くと、通り過ぎる人々が一瞬、何事だろうという顔をする。他のリリスや職員たちは前と後ろに、少し距離を置いて付いてきているが、長身のリリス族が固まって動いているように感じて目立つのだろう。
普段はヒト族として平均的な身長の持ち主であるアマーリエを伴っているので、半歩後ろにいるとはいえ、ユメと歩いているのは少々違和感があった。すると彼女はそれを見越して、悪戯っぽく笑う。
「せっかくの都市散策、お供するのが真様でなくて残念でございましたな?」
「そうだな」
素直な返答に、ユメはくすくすと笑った。彼女はアマーリエを近しく思っているようなので、キヨツグが妻に心を寄せていることを、喜ばしく思っているのだろう。それでいて揶揄できるのは、付き合いが長いからにほかならない。
すると、巨体を揺らした車両が、キヨツグたちを追い越し、前方の停留所に停車する。イリアが振り返って手を振る。腕時計を見ると、発車時刻の一分前だった。
「走るぞ」
「はい」
駆け出すと、後ろの者たちが焦ったのがわかった。イリアが手振りをして、彼らに先に行くことを知らせて乗り込んだところで、扉が閉まる。
大きく揺れる車両の中に押し込まれた椅子には、様々な年齢層の人々がまばらに着席していた。スーツの者も、普段着の者もいるが、だいたいの人間が端末を見つめ、操作していた。
都市にあって、リリスに存在しない『コンピューター・ネットワーク』というのものに、キヨツグは大きな関心があった。都市側に交通網のことを伝えたのは偽装だ。こちらが、その電子の海とやらに手を出そうとしていることを、いまはまだ知られたくない。無知である、と勘違いされることが有利になる可能性もあるからだ。
最後方の席に座ると、ユメは後からやってきたイリアに窓際を譲り、自らは通路側の席に腰を下ろした。
しばらくもしないうちに再び停車し、扉が開く。
新しく乗車してきた客は、背が高く、頭巾のついた衣服を着ていた。目深にかぶったそれと、青い色眼鏡という格好は、見るからに不審だ。イリアは警戒し、ユメは顔を上げ、すぐに興味をなくした。
「……それにしても、バスという乗り物はこんなに揺れるものなのですね」
そうしてごく自然にイリアに話題を振っている。ユメが警戒しないのでイリアは肩の力を抜き、笑って会話を楽しみ始めた。
(……御前は気付いたか。さすがだな)
キヨツグと同じ並びの最後尾の席の、最も離れた窓際に座った乗客は、ぼんやりと窓の外を眺めている。
「……シュプリア・ウッドロード十一時四十五分発」
キヨツグは呟いた。声をほとんど必要としない囁き声で。
一つ前の席にいるイリアは気付いていないのに、窓の外を見ていた不審な男はにやりと唇を歪めた。
ヒト族には聞こえない音量だ。だが、リリス族なら届く。
彼はこちらに目を向けずに、同じく唇を動かすだけのような呟きで話しかけてきた。
「バスに乗られるのは初めてですか?」
「そうだな。乗用車が常だった」
「慣れると便利ですよ。時間通りに来るし、ネットで調べれば各停留所の時刻表が確認できて、一日の予定が一週間以上前から立てられます。本当は免許を取りたいんですけど、身分証がアレなので無理そうなのが残念です。……って、どうしてため息をつくんです」
彼は声を跳ねあげる。
「不本意なら呼び戻すつもりだったが、馴染んだようで、何よりだ」
「呼び戻される方が不本意ですね。俺はこっちの生活の方が性に合ってます」
バスが停まり、新しい乗客が乗り込んできたので、一度会話を止める。ユメは話し声を聞いているだろうが、イリアが気付いている様子はない。気質が合うのか、ユメと話す彼女の顔は明るい。アマーリエが近くにいるときは年長者の顔をするが、彼女はまだ年若い柔らかな心の持ち主なのだ。老獪な者たちに混じって立ち回るために、それこそ水鳥のような努力をしていることだろう。
「アマーリエは?」
イリアの面影に彼女を見たのか、彼が問う。キヨツグは短く答えた。
「来ている」
式が終わったら、境界で落ち合う予定だ。都市で共にいるところを見られると、騒ぎになると判断したからだ。
「なら早く済ませましょう。鉢合わせするのも、ましてや何か言われるのもごめんなんで」
会いたい、と言うかと思ったが、どこか硬い口調で答えが返る。キヨツグは息を吐いて瞑目した。彼の言葉に言い返すには、キヨツグは微妙な立ち位置にいる。そして彼は、慰めも揶揄も必要としないだろう。
「……では、報告を聞こう」
こうして、都市の巡るバスの中で、キヨツグと彼は密かに進めている計画について話し合いを始めた。話しながらも、キヨツグの目はそびえ立つ市庁舎にあり、心はいまこのとき、一人にしているアマーリエのことを思っていた。
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