13−7

 母が用意していた着物が振袖ではなく、留袖だったのは、既婚者であるアマーリエに対する気遣いだろう。改めて袖を通してみると、リリスの装束と大きく変わるところはなかったので、ユメに手伝ってもらって身につけた。

 朱地の色留袖を見たユメは「きっと女官たちが騒いで眺め回すでしょうね」と興味深そうだった。アマーリエは「でもきっと地味だって言う気がするな」と笑って返したのは、こんな明るい色合いでも控えめに感じるくらい、リリスの装束は模様も縫取りも、手仕事による贅沢できらびやかなものだったからだ。

 一定の格式がある家の人間が着物という旧暦東洋の民族衣装を着る現代で、お下がりだというそれをアマーリエに手渡したアンナは、それを身にまとった姿を見て「成人式に留袖はと思ったんだけれど」と零していた。高価で貴重な衣装を娘に相続するつもりでいて、出来れば振袖を着せたかったと思ったのかもしれない。どこにでもいる普通の娘でいられなくて、少し、申し訳ない気持ちを抱いた。

「……よく似合っている」

 アマーリエの着物姿をキヨツグはそう褒めた。いつもとは違って威圧感を解いているからか、誰の目にもわかるように微笑んでいる。

 着替えている間、母と二人きりだったはずだが、険悪な様子はなかったのでほっとした。どちらも大人で賢い人だから、適切な距離を取ったのだろう。何より母の表情が柔らかいことに胸を撫で下ろした。

「上手く着られてよかった。それ、あなたにあげるわ。よかったら持って行ってちょうだい」

「本当? 嬉しい。ありがとう」

 ここで断るのは母の気持ちを無下にすることになるだろうと思って、そう返事をした。アンナはどこか肩の荷が下りたようだった。

 そんな母に見送られて、アマーリエたちは再び車に乗って、成人式が行われる第二都市公会堂へ向かった。

 そこでは第二都市のほとんどの成人とその家族が集まっているから、おおっぴらにアマーリエの護衛をつけることはできない、と事前に都市側から通達されていた。ユメや今回の護衛の責任者であるキクノは、アマーリエの安全を確保することを優先すべきだとキヨツグに訴え、交渉の末、イリアを中心として市職員がアマーリエを見守る配置で妥協することになったようだ。

 駐車場で停まった車の中で、キヨツグが言った。

「……何かあったら、大声で呼べ。リリスの耳ならば必ず聞こえる。すぐ駆けつける」

「はい」

 まとめ髪の後れ毛を撫で付けたキヨツグの手が、アマーリエの頬に触れる。これから何が起こるのか、怯えていることが知られてしまいそうだったけれど、アマーリエはなんとか笑みを作った。

「いってきます」

 駐車場から大ホールへと移動する。

 会場には新成人となる若者が多数集まっていた。男女ともにスーツが多いが、自らのルーツに由来する民族衣装を身にまとっている人の姿もあった。友人同士でお揃いにした着物姿で写真を撮っているグループがあちこちに見受けられる。第二都市大学で見たことのある顔もたくさんいる。

 そこで声をかけられた。

「……アマーリエ? アマーリエだ!」

 わっと集まってきたのは懐かしい友人たちだった。

「ミリア、キャロル、リュナ、オリガ、わっ!」

 振袖かつ盛り髪のミリアに飛びつかれて、よろけそうになりながら受け止める。アマーリエの存在は見る見る間にその場の人々の知るところとなり、ミリアたち以外は遠巻きにこちらの挙動を伺っている気配が感じ取れた。

 だがそれを気にしている暇もなく、目の前の友人たちから次々に言葉を投げかけられる。オリガだけがスーツで、キャロルとリュナは振袖だ。

「アマーリエ、アマーリエ!」

「久しぶりね。元気そうでよかった」

「ちょっと痩せたね」

「まさか来るなんて思わなかったわ! どうしたの、その格好」

「ええと……成人式だから、来たの」

 言いたいことがありすぎて、結局、曖昧に笑いながらそんな台詞を言うことになってしまった。リュナは目をぱちぱちとさせ、キャロルは困ったような顔をして、オリガは呆れたように顔をしかめて、ミリアはまだアマーリエにしがみついている。

「大丈夫なの? ……立場とか」

 押し殺した声でオリガが囁き、アマーリエは眉尻を下げた。周囲がこちらを遠巻きにしているのは、それを考えるからこそなのだと思う。好奇心以上に、厄介ごとに巻き込まれたくないという警戒心が先立つのだ。

 彼女たちはそれをどう思っているのだろう、と考えてしまう。少なくとも、真っ先に駆け寄ってくれたミリアや、事情を聞こうとしている彼女たちからは、アマーリエを忌避するような様子は感じられない。だからアマーリエは、それらを頭の隅に追いやって、以前と変わらないような態度で答えることにした。

「今日は非公式なんだ。だからあんまり目立つことはできないんだけど、異種族交流課に話は通してあるから、大丈夫」

「あああぁっ!?」

 すると突然、ミリアが素っ頓狂な大声を上げて、アマーリエは固まった。

「な、なに、どうしたの!?」

「アマーリエ、振袖じゃない!!」

 約束を破ったと言わんばかりのミリアに、オリガは「……はあ?」と顔をしかめる。

「それが何よ。そんな大声出すようなこと?」

「大事なことでしょ! アマーリエにはもっと可愛い色とか綺麗な柄の着物の方が似合うよ! ピンクとか薔薇とかレースとか! 髪ももっと盛って、花とか飾った方がいいって!」

「そ、そう?」

「そうだよぉ。メイクはちょっと、ううん、かなーり上手くなってるけど、全体的に地味! これだったらドレスの方がいいかも……いまから着替える?」

「それは、ちょっと……」

 ミリアの想像は膨らみ続ける一方らしく、イヤリングをした方がいいとか、いまからでもリボンをつけるべきだとか、思いつくままに改善案を口にしている。どのように落ち着かせようか困っていると、それよりも先に、オリガが爆発した。

「ミリア、無茶言うんじゃないの! 目立つことはできないっていまアマーリエが言ったでしょ。それにこの着物、地味だって言うけど、あんたが着てるものの数倍の値段がするわよ。派手なのがいいってものじゃないの!」

「ふーんだ。そういうオリガはそんな派手派手メイクのくせにスーツとかさあ」

 鼻で笑ったミリアに、オリガが切れた。

「うるさいわね! 自分の好きな格好をしているだけよ!」

「そっちこそうるさーい!」

 人目も憚らず言い争う二人を見て、ふっと息が漏れた。

「ふ……ふふ、あはは……!」

 肩の力が抜けていく。アマーリエはくすくすと笑い、キャロルも呆れて笑って、リュナは肩をすくめている。

 リリスにいる間、友人たちのことを思うときもあった。いま何をしているのだろう、私のことを覚えていてくれているだろうか、それとももう忘れてしまっただろうか、などと考えはするものの、これだという想像ができないでいた。なのに、こうして顔を見ただけで、ぼんやりしていたそれらが急に形を成して心にはまっていく。満ちていく。

 そう、いつもこうして笑い合っていた。ここも、私の場所だった。

「アマーリエ」

 懐かしい声がして振り向くと、濃紺のスーツに身を包んだルーイの姿があった。

「ルーイ! どうしてここにいるの?」

「やあ、アマーリエ。元気だった?」

 そう問うルーイはどこかやつれた顔で、アマーリエに笑いかけた。

「君に会えるかと思って来たんだけど、会えてよかったよ。成人おめでとう」

「ありがとう」

 そんな小さな可能性にかけてわざわざ来てくれたのか。おめでとうという祝福の言葉に笑みと感謝を返していると、キャロルがおっとりと首を傾げた。

「久しぶりね、ルーイ。あなたが休学してからまったく連絡が取れないって、ノルドが心配していたわよ?」

「休学?」

 初めて聞く話だったが、アマーリエのもとになかなか都市の最新情報が届かないのは当たり前だ。変化を突きつけられた気がしてルーイを見ると、彼は困ったように額を押さえていた。

「ああ、うん……実はいま忙しくて。休学して、製薬会社で研究員として働いてるんだ」

「スカウトされたって聞いたよ。すごいよねー!」

 リュナが無邪気な賞賛にルーイは苦笑している。そうすると目尻にできた皺が影になった。疲労の色だ。

「スカウトされたって言っても、下っ端研究員だから、雑用ばっかりだよ。関わってるプロジェクトはすごいけど、僕は全然すごくないよ」

「でも大変そう。やつれてる。無理はしないで」

 アマーリエがそう声をかけると、ルーイはますます笑みと疲れを濃くして頷いた。

「大丈夫。君がそう言ってくれるから頑張れるんだ。絶対成功させるよ。心配しないで、アマーリエ」

 そうしてじっと、食い入るように見つめられるので、アマーリエは身動ぎした。まるで、都市を離れてからの変化を一つも見逃さないとでもいうような、見透かそうとする視線のように思えた。

 まだこの街がアマーリエの世界のすべてだった頃。彼に付き合ってみないかと言われた夕方のことを思い出す。それに何の答えもせずに都市を去ったことは、もしかして裏切りだったのではないか。

「あの、ルーイ」

「とても、綺麗になったね。アマーリエ」

 ひゅっ、と息を飲んだ。

 同じ台詞を別の人から聞いた。しかし、そのときとは比べものにならない、何か底知れないものが、その言葉とともに自分に向かって押し寄せてきたように思えたのだ。

 そのとき、急に手を引かれる。

「……ミリア?」

「行こ。アマーリエ」

 強い声で名を呼び、何かを睨みつけるような顔をして、彼女はその場からアマーリエを連れ出す。オリガたちを置いて、周囲の視線も振り切って、建物に入り、会場を通り越して、人気のない奥へと進んでいく。

「ミリア、痛い」

 握られた手の痛みを訴えると、ミリアはようやく足を止めた。手を離し、くるりと振り向いて、アマーリエ、ではなくその背後に険しい目を向ける。

「どうしたの、ミリア」

「アマーリエ。ルーイにあんま近付かないで」

 ミリアの、アイライナーとマスカラとエクステンションで縁取られた目は、剣のように研がれて光っている。

「ノルドから聞いたの。ルーイの会社、なんかヤバイって」

「やばい?」

「変な噂がネットでいっぱい流れてる。怪しい薬で金儲けしてるとか、人体実験してるとか」

 ミリアはがしっとアマーリエの肩を掴んだ。

「だから、アマーリエも研究材料にされるかもしれない」

 真剣な顔で言われたその言葉に。

「…………ふ」

 いけない、と思ったけれど、笑ってしまった。

 思わず息を漏らした途端に、込み上げた笑いが抑えきれなくなってしまう。ミリアはもちろん、怒りの声をあげた。

「アマーリエ! あたし真剣なんだから!」

「ご、ごめん! ちょっとびっくりして……流石に、私が実験台になるようなことはない、と思っちゃって……」

 アマーリエはただのヒト族だ。ここにいる新成人たちと何ら変わりない、ごく普通の娘だ。変わったところといえばリリス族と結婚したことくらいなので、もしかしたら観察対象にはなるかもしれないけれど、実験台にするほどの価値は見出せないと思う。

(でも、キヨツグ様はそうかもしれない)

 護衛もいるし、彼自身も戦える人なので、危険はないと思いたい。

 でももし何かあったら、持てる力のすべてで彼を助けようと決める。

 そんなアマーリエに、ひどく泣きそうな顔をしたミリアが手を伸ばし、肩に顔を埋めるようにして額を寄せてきた。

「……どうして黙って行っちゃったの?」

 置いていかれてしまった子どものような声だった。

 胸が痛んだけれど、アマーリエはそれに答えてあげられない。だって、巻き込めない。迷惑なんてかけられない。彼女たちは、アマーリエと同じ、何の力も持たない普通の人なのだから。

「……秘密だったから」

「あたしたちにも言えなかったの?」

「言えないよ。だって、どうにもできなかった」

 諦めしかないアマーリエの言葉は、ミリアの感情に火をつけた。

「どうにもできなくないよ! なんかできたかもしれないじゃん!」

 アマーリエは目を細めた。こうして素直に、怒って、無力感に苛まれる自分を見せられるミリアが、羨ましくて愛おしかった。得難い友人だと思う。こんな風に思われる資格は私にはないとも。

「……ごめん、ミリア」

「謝ってほしいんじゃないよ! あたしは、」

「ミリア、アマーリエ! 自分たちだけで先行くんじゃないの!」

 眉間に皺を寄せたミリアだったが、声を響かせたオリガたちが姿を見せたので、口を閉ざしてしまった。唇をきゅっと噛み締めて、アマーリエに背を向けて会場に入ってしまう。

「どうしたの? ミリアと何かあった?」

「どうせあの子がわがまま言ったんでしょ。リュナ、気にしなくていいわよ」

 オリガが呆れたように言うので、アマーリエは慌てた。

「違うよ、オリガ。私が悪いの。ミリアを傷付けることを言ったから……」

 注意を促してくれたのに噴き出し、心配を無下にするようなことを言った。怒って当然だ。

 そうしていると、市職員が成人を迎えた若者たちをホールへと誘導する声が聞こえてきた。不規則な波のように人が入ってくる中、一瞬見えた外に、ルーイの姿が見えた。

 こちらを、ずっと見ていた。

「……っ!」

 ぞくりとしたものが走り抜けて、アマーリエは息を飲む。

 そろそろ行こうと促されなければ、いつまでもそこに立ち尽くしてしまいそうだった。胸の奥のざわめきを押し殺して、友人たちの言葉に笑顔で答える。会場の扉が閉まっても、しばらく心臓は怯えた鼓動を打っていた。

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