80:お姉さんと浴衣姿で楽しいひととき
縁台の隣に座る男性は、ほどなく串団子をすべて平らげ、抹茶を飲み下した。
腕時計で時刻をたしかめると、おもむろに腰を上げ、もう列車で帰るという。
僕はそれを、茶店の前で見送る
男性は別れ際、折角だから……と言って、仕事の名刺を差し出してきた。
「もし笠霧市で家電製品を購入する機会があったら、是非うちの店に来てください。オレのことを呼んでくれれば、サービスさせてもらいますよ」
______________
|家電のイシカワ 笠霧支店 |
| PCデジタル機器コーナー |
| 主任販売員 |
|
| |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
僕は、名刺に印字された名前を、何気なく確認するように読み上げた。
「ええと。源馬政和さん、ですか」
「うん、よろしく頼むよ。ハハハ」
相手の男性――源馬さんは、にこやかに笑った。
先程までの気落ちした物腰は、もう感じられない。
わりとメンタル強くて、切り替えが早いみたいだ。
「そう言えば、君の名前も教えてもらえますか」
「あっ、僕は小宮です。小宮裕介っていいます」
今更ながらに問われ、こちらも
名刺がないので体面は良くないが、フリーターだし
だが源馬さんは、
「じゃあ小宮くん、これでオレは失礼するよ。機会があったら、またお会いしましょう」
〇 〇 〇
源馬さんが立ち去ってから、おおよそ三〇分後。
ようやく茶店の縁台から、こちらへ歩み寄ってくるお姉さんの姿が見えた。
美織さんは、愛用のデジカメを手に持ち、満足そうな表情を浮かべていた。
合流して話を聞くと、想像以上に温泉街で親切に対応してもらえたようだ。
作画資料用の写真も、当然たっぷり撮影できたらしい。
それにしても、けっこう長い時間待たされてしまった。
「実はね、ここの観光協会で毎年、地域PR用のポスターを作ってるみたいなんだけど――」
美織さんは、撮影交渉が円滑に進んだ点について、意外な事情を教えてくれた。
「そのイメージイラストを数年前から、私のお知り合いのイラストレイターさんが手掛けていたらしいんだよね。ほら、最近は町興しにも二次元キャラがよく使われるでしょう?」
そんなわけで温泉街の店へ入ってみると、すぐさま見知った絵柄のイラストが印刷されているポスターを発見したそうだ。
で、たちまち悪知恵が働いた。スマホでポスターイラストに
加えて美織さん自身もイラストレイター(※しかも売れっ子)だと打ち明けたところ、温泉街の皆さんは大変親切に対応してくれたとか何とか……。
まあつまり、肩書きと人脈の
あまり普段は職業を人前で明かしたがらないお姉さんだけど、今回は仕事上やむを得ない判断と踏んだのだろう。どうせ写真撮影の目的を説明しようとしたら、イラストレイターだってことは話さざるを得ないわけだし。
それで身分が露見するなら、いっそ逆に最大限利用してやろう――
とまで考えたかは
かくして写真撮影が
「ごめんね裕介くん。一人で待っていて、退屈じゃなかった?」
美織さんは、そう言って申し訳なさそうに何度も謝罪した。
左右の手を胸の前で合わせ、
それがやけに一生懸命だったので、やや
「まあ美織さんが
僕は年上の恋人を、幾分微笑ましく思いながら返事した。
「
「……そう? 本当に一人で
美織さんは、おずおずと重ねてたずねる。
そんなに気にするなんて必要ないと、首肯して
「うん。実は茶店で知り合った男性が居てね、その人と世間話していたから……」
僕は、退屈しなかった理由を納得させようと、源馬さんについて話した。
三〇代半ばの人物で、現在婚活中らしく、普段は家電量販店に勤務しており、遠乃原の温泉街には先週末に笠霧市から来訪していたこと、など……。
それから、別れ際に名刺をもらったことを思い出し、取り出して渡した。
そこに印字された名前を見ると、美織さんはまず「へー、なるほど……?」とつぶやき、次になぜか眉根を寄せた。ちいさく
「……家電量販店勤務の、源馬さん――どこかで名前に聞いた覚えがあるような……?」
「え、そうなの? もしかして笠霧市の人だから、美大時代に会ったことがあるとか?」
思いも寄らない言葉を聞かされ、仔細を問わずには居られなかった。
お姉さんは尚も「う~ん……」と
しかし結局何も思い出せなかったようで、残念そうにかぶりを振った。
「駄目だなあ、やっぱりわかんない。美大時代の知り合いとは、皐月ちゃんを含めて今も何人か連絡を取る機会があるけど、それらしい人物にも心当たりないし。勘違いだったみたい」
「そっか……。まあそうそう都合良く、こんな場所で知り合いと再会したりしないよね」
少し残念に思いながら、美織さんから返却された名刺を受け取る。
僕は、それを着衣のポケットへ入れる際、もう一度だけ見返した。
――源馬さん、穏やかでいい人だったな。どうか婚活が上手くいって欲しいなあ。
旅先で偶然出会った男性の幸運を祈りながら、僕はお姉さんと茶店の前を離れた。
〇 〇 〇
その後も温泉街をぶらついているうち、陽も
そこで頃合を見計らって、今来た道を二人で旅館まで引き返す。
部屋に着いたら、いったん地下の大浴場へ向かった。夕食前に湯船に
ちなみに露天風呂や内湯には、改めて夕食後に入浴してみる予定だった。
大浴場は、他の旅館の客も利用するため、もちろん男女別々に入浴する。
なので僕とお姉さんも入場口で、男湯と女湯に別れ、あとから再度合流することにした。
温泉街での写真撮影の際といい、案外と別行動が多いな。まあいくら仲のいいカップルでも、四六時中一緒に居なきゃいけないなんて決まりはないけど。
地下の大浴場は、その名に恥じない大きな入浴施設だった。
浴槽や柱の形状には、古代ローマの建築を想起させるような装飾が
まずはシャワーの前で身体を洗ってから、施設中央の浴槽で、湯の中に
広い湯船に身を委ねていると、みるみる手足の緊張が
男湯から上がったあとは、脱衣所で浴衣に着替え、大浴場を出た。
美織さんとの待ち合わせ場所は、同じ地下に併設された遊技場の一隅だった。
卓球場やゲームコーナーの脇で、自販機が並ぶ休憩スペースみたいな場所だ。
そこでお姉さんと合流したのは、僕が大浴場を出てから、さらに二〇分が経過したあとのことだった。女性の方が入浴や着替えに時間を要するのは、致し方ない。
自販機で買った清涼飲料を一人でちびちび飲んでいたら、美織さんがこちらへ大浴場の方から歩み寄ってきた。それを見て、僕は自然と
「……う~ん。やっぱり似合っているなあ、美織さんの
「えっ、いきなりどうしたの? 止めてよ恥ずかしいから……」
そう。湯上りのお姉さんは今、浴衣姿なのだ――
厳密に表現すると、浴衣の上から薄手の丹前を羽織った格好、ということになるが。
いや無論、旅先の旅館で風呂上りならば、浴衣を着用するのは事前にわかっていた。
だが実際に目の当たりにすると、やはり独特な情趣に
まだ
そこにはおそらく、年上女性のみが
――ていうか美織さん、まるっきり想像通りの可愛らしさと色っぽさなんだよなあ……。
僕は、気付くと釣り込まれるまま、尚も浴衣姿に対する感動を言語化し続けていた。
「いやこうなんて言うかさ、かれこれ同棲して八ヶ月ぐらいになるじゃない? それで毎日一緒に居るにもかかわらず、まだこうして好きな女性の魅力を再認識できるのって、素晴らしく幸福なことなんだろうなって。しみじみ嬉しくなっちゃってさ……」
「……もぉー。またそうやって、年上のお姉さんをおだてたりするんだから。それこそ二人一緒に暮らしはじめて、かれこれ八ヶ月ぐらいにもなるのに、だよ」
こちらの言い分をひと
でも不機嫌そうな素振りじゃなく、それが単なる照れ隠しなのは明らかだった。
何しろ頬が上気したままだし、口元の
そんなところも、つくづく可愛いなあ……などと思っていたら。
お姉さんは、にわかに僕の隣に立って、ぐいと身を寄せてきた。
ちょっぴり
「――そんなふうに私のことを喜ばせていたら、夕飯のあとにどうなっても知らないよ。だって二人の夜は、これから長いんだから……ねっ?」
…………。
甘い声音で聴覚を刺激され、身体の
湯上りの火照りは、もうかなり冷めはじめていたはずだっていうのに。
恋人の言葉が意味するところを、旅先で理解できない僕じゃない。
年下男子の心を
これは今夜その際に至ったら、僕の方が美織さんより美織さんを大好きだって、しっかり証明してみせなくっちゃ――……。
などと内心、密かに意気込んでいたのだが。
その直後に浴衣の
お姉さんが遊技場の方を眺めながら、僕の注意を引こうとしている。
「ねぇねぇ裕介くん。ちょっと向こうのゲームコーナーで遊んでいかない?」
指し示す先にあるのは、様々なゲーム
温泉旅館には最早お約束の設備だが、
まあ美織さんはサブカル女子だし、自宅にも新旧多様なゲームハードを取り
「そうだね。じゃあ、どんなゲームが置いてあるか、ひと通り見てみようか」
僕が同調してみせると、美織さんは途端に満面の笑みを浮かべる。
率先してゲームコーナーへ歩み寄り、各筐体の画面を確認しはじめた。
まるで玩具店へ駆け込んで、目当ての品を探そうとする子供みたいだ。
年上女性の無邪気な姿には、何とも言えない愛らしさを感じちゃうな。
たった今「二人の夜は長いから……」なんて言っていたのが同一人物だと思うと、正直魅力のギャップが激しすぎる気もするけど。
とにもかくにも美織さんに
設置されている筐体のゲームは、案外色々なジャンルのものがあった。
定番のリズムゲームはもちろん、対戦格闘ゲーム、パズルゲーム、レーシングゲーム、クイズゲームなどの他、クレーンゲームやエアホッケーもある。
もっとも、この種の施設にはありがちなことだが――
どれも当該ジャンルのシリーズ最新作と比して、たぶん三、四世代ほど古いタイトルだ。
街中のアミューズメント施設と異なり、定期的に新作と入れ替えたりしないせいだろう。
ただまあ、これはこれでいかにも「田舎の温泉旅館」といった風情がなくはない。
それにたまにはレトロなゲームを遊ぶのも、こういう場所では一興かもしれない……。
そんなことを考えながら、僕にもプレイできそうなゲームはないかなと探していたら。
「――わあ~っ、私これプレイしてみようっ!」
美織さんが突然、ある筐体の前で立ち止まり、感激の声を上げた。
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