45:爽やかイケメンと肉食フレンド

「菓子研」のみんなと喫茶店でプリンパフェを食べた数日後。

 麻里菜と優美がスーパー「河丸」へ来店することになった。

 もちろん、松田さんと面識を得るのが目的だ。


 どういう段取りで紹介するかについても、ある程度話し合って決めた。

 麻里菜と優美がお店を訪れる日時は、あたしのシフトが入っているときにするらしい。

 でもって、レジ打ち業務が休憩時間になったら、三人でベーカリーコーナーへ向かう。

 そこであたしが「学校の友達が来た」と言って、松田さんに引き合わせる計画だった。


 正直言えば、全然こっちは気乗りしない。

 だってあたしがシフトの日は、先輩もお店で働いているわけだよね。

 つまり、あたしの片想いの人が友達と接触する可能性もあり得る……

 それは何となく面倒臭いことになりそうで、好ましく思えなかった。


 なので、一応「あたしが非番の日にしない?」と持ち掛けてみた。

 しかし麻里菜と優美は、どうしても聞き入れようとしてくれない。


「非番の日じゃ、ハルカがスーパーの制服着てるところ見れないじゃん」


 かなり他愛もない理由で、あたしの要望は却下されてしまった。

 あのバイトの制服って、そんなに頑張って見る価値があるほど可愛くないんだけど……。

 むしろダサめの部類だと思うし、身近な同級生に観察されるのは、ちょっと恥ずかしい。

 ていうか、あたしの制服姿を見るのって、松田さんを紹介することと関係ないよね? 


 ただ何にしろ麻里菜は、こうと言い出したら引き下がらない。

 あたしも断わり切れなくて、渋々ながらも承知してしまった。



 ……かくして、麻里菜と優美がバイト先へやって来るという当日になった。

 午後四時からのシフトなので、普段通り余裕を持って一〇分前に出勤する。

 従業員の皆さんと挨拶を交わしてから、あたしは女子更衣室の中へ入った。

 そこで制服の白いブラウスと茶色いスカート、緑色のエプロンを着用する。


 従業員控え室に引き返すと、入れ替わりで他のバイトの人が更衣室へ駆け込んでいた。

 あたしと同じレジ打ち担当の女性だった。たぶん、シフトの時間帯も同じなんだろう。

 控え室の隅でスチール製のイスに腰掛け、レジに立つ時間まで少しだけ暇を潰す。


 と、商品搬入通路に続くドアを開けて、誰かが入室してきた。

 振り返って見ると、先輩だった。もう制服に着替えを済ませている。

 品出し作業をはじめる前に、搬入された商品を確認していたらしい。


「やあ晴香ちゃん、おはよう」


「おはようございます、先輩」


 互いに決まり事通りの挨拶を交わす。

 丁度そのとき、所定の時間になった。

 あたしはレジに立ち、先輩は売り場に出なきゃいけない。

 できればちょっとぐらい、仕事の前に話したかったけど。


「お互い、今日も頑張ろうね」


 控え室を出るとき、先輩が優しく声を掛けてくれた。

 あたしは「はい!」と明るく答えて、笑ってみせる。

 それから、レジカウンターまで早足で急いだ。



 ところで、麻里菜や優美の件はさておき――

 実は近頃、ほんの少し気になっていることがある。


 それは先輩がバイトで出勤してくる時間のことだ。


 あたしは、いつも店へ始業の一〇分前に来て、制服に着替えてから更衣室を出る。

 そうすると、これまでは概ね同じタイミングで、先輩も控え室に姿を現していた。

 だから大抵、その際に軽く雑談するような機会があったんだよね。

 少なくとも二年近く、それは変わらない習慣みたいになっていた。


 でも最近、なぜか先輩は出勤時間がやや早まったような気がする。


 あたしが出勤したときには、もう着替えを済ませていることが多くなった。

 そうして始業前の時間は、今日みたいに品出しする荷物をたしかめている。


 改めて考えてみても、やっぱり少し不思議に思える……

 たしか先輩は平伊戸のアパートに一人暮らしで、バイト先までは徒歩で来ているはずだし。

 だから少なくとも出勤が早まったのは、バスや地下鉄の時刻が変わったせいとかじゃない。

 なのに突然、二年間も同じ習慣を続けていた人が、急に出勤時間を変えるだろうか? 


 ――もしかすると何か、理由があるのかな。


 そのうち機会があれば、それとなく先輩に事情を訊いてみるのもいいかもしれない。




     〇  〇  〇




 レジカウンターに立って、買い物カゴを運んできたお客さんをさばいていく。

 やがて三時間ほど経過すると、舟木店長から休憩を取るように指示された。

 あたしは、他の従業員さんに仕事を任せ、持ち場を離れる。


 それから事前の計画通り、店内のエントランスホールへ移動した。

 お客さんの邪魔にならないように気を付けながら、周囲を見回す。

 すると見知った友達が二人、こちらへゆっくりと近付いてきた。

 麻里菜と優美だ。どちらも涼しげで洒落た服に身を包んでいる。


「いやっほーハルカ。バイトお疲れーっす!」


 優美は、両手を頭の上に掲げつつ、こちらへ陽気な調子で声を掛けてきた。

 一方の麻里菜は、あたしの全身を上から下まで眺めると、面白そうに笑う。


「やっべハルカ、制服けっこー可愛いじゃん」


「いやそういうの別にいらないからねマリナ」


 どうせ揶揄からかっているだけだろうから、適当に受け流しておく。

 ていうか、麻里菜や優美みたいな服装している友達に言われても、居心地悪くなる台詞だ。

 少なくとも二人の方は、夏休みに住宅街のスーパーへ買い物に来るときの恰好に見えない。

 まあ当然、これから松田さんと会うことを意識しているせいなんだろうけど。


「じゃあ、とりあえず付いて来て。あとは打ち合わせの流れで」


 あたしは、それだけ言うと、早速ベーカリーコーナーへ向かった。

 休憩時間には限りがある。こっちは夕食も済ませなきゃいけない。

 あらかじめ言い聞かせておいたので、麻里菜と優美は大人しく従う。



 ベーカリーコーナーの売り場では、最初にトレイとトングを確保する。

 次いで、商品棚を眺める素振りを交えつつ、おもむろにカウンター側へ歩み寄った。

 すぐ傍で作業していた男性従業員が顔を上げ、ショーケース越しに話し掛けてくる。


「やあ今井さん。今日の夕食は、どの菓子パンにするんだい?」


 松田さんだった。元スポーツマンらしく、相変わらず物腰が爽やかだ。

 ただし、あたしぐらいの背丈だと、長身なので少し見上げなきゃ顔が見えない。

 ベーカリーコーナー専用の白い調理服を着て、首回りにスカーフを巻いている。


「えっと。りんごデニッシュとチョココロネはまだありますか」


 あたしは、目当てのパンを探しながら、ショーケースの前を横切った。

 すぐ後ろで順に並んで、麻里菜と優美もベーカリーコーナーの通路を歩く。

 松田さんは、その有様を見て取り、二人があたしの友達だと察したらしい。


「こちらのお客さんは、もしかして今井さんのお知り合いかな」


 上手い具合に向こうから訊いてくれた。

 ちょっと想定外だったけど、こちらから水を向ける手間が省けた。

 この際は好都合だよね。いっそ素直に会話に乗っかってしまおう。


「ええ、はい。実はどっちも同じ学校に通ってる友達なんです」


 あたしは、いったん立ち止まって、松田さんの方を振り返った。

 麻里菜と優美を紹介するため、用意してきた作り話をはじめる。


「今日は偶然、この近所まで二人で来たらしくて。折角だからって、寄ってくれて――」


「あのっ、アタシは南野麻里菜っていいます! いつもハルカがお世話になってます!」


 そこで突然、麻里菜が話に割って入ってきた。

 メイクで大きくなった両目が強く輝き、声もやけに弾んでいる。

 どうやら松田さんをひと目見て、よっぽど気に入ったみたいだ。


 これまた、台本無視の展開だなあ。

 好みのイケメンと遭遇して、興奮が抑え切れなくなったんだろうか。それとも当初の予定から計画がズレたせいで、細かい段取りには固執しないことにしたんだろうか。

 ……本能に忠実なところのある麻里菜なら、その両方なのかもしれない。


「ここのパンを以前に食べたことがあるんですけど、メッチャ美味しくて大好きなんですゥ! 

それで久し振りに買って帰りたくなっちゃってー……」


 でっち上げたエピソードの続きを、麻里菜は無駄に生き生きとした表情でしゃべる。

 まあ、ここのパンを食べたことがあるのは事実だから、全部が狂言じゃないけれど。

 あたしがバイトで休憩入りする際に貰った菓子パン(※日持ちするもの)を、次の日に学校へ持っていったことがあったんだよね。そのとき麻里菜にも、一個お裾分すそわけしてあげたんだ。

 ……たしか「ふーん、まあまあじゃん?」とかって、忌憚きたんのない感想を述べていたはず。


 そこで優美もやり取りに加わって、作り話を補足する。


「それとお店の中を見て回れば、ハルカにも会えるかもしれないと思って来たんだよねー?」


「あん? ――あ、そうそう。ハルカがシフトで入って頑張ってたら、応援しようかなって」


 麻里菜は一瞬、ぽかんとしたような顔になったけど、すぐに取りつくろって首肯した。

 今来店した理由のうち、あたしの顔を見に来たって目的を完全に忘れてたよね? 

 もう松田さんに自分が気に入られることしか頭の中になくなってるよこの子……。

 いやある意味じゃ麻里菜らしいし、別にどうでもいいけど。


「ふうん。そうか、今井さんの友達なのか。随分と仲がいいんだね」


 松田さんは、麻里菜と優美を順に見てから、穏やかに微笑んで言った。

 何となく、年少者を扱う場合に特有な、大らかな柔和さが感じられた。


「それにうちのパンを気に入ってもらえて、嬉しいよ。ありがとう」


 ひょっとしたら、あたしたちの作り話は見抜かれていたのかもしれない。

 でも松田さんは、少なくとも表面的に洞察の素振りを一切見せなかった。

 うーん、やっぱり大人だ。麻里菜は気付いているかわからないけど。



 何はともあれ、松田さんを紹介することはできた。

 あたしの役目は、無事に果たせたんじゃないかな。


「じゃあ麻里菜、あたしはそろそろ控え室に戻らなくちゃいけないから」


 好みの菓子パンをトレイに乗せて、カウンターで清算してしまう。

 ここであたしがベーカリーコーナーを立ち去るのは、計画通りだ。

 優美も申し合わせに従って、目で合図しながら返事を寄越す。


「ウチらは、もう少し売り場にあるパンを見せてもらってから帰るわー」


 あたしは、胸の高さでちいさく手を振ってみせ、そそくさと二人の傍から離れた。


 ちなみにあたしがベーカリーコーナーへ背を向ける直前――

 麻里菜は「どんなパンがおすすめですか?」などと、松田さんに質問していた。

 普段は絶対に使わないような声色を出して、ぐいぐい迫っているみたいだった。


 ――この子には、やっぱり勝てる気がしない。




     〇  〇  〇




 いつもより少し遅れて従業員控え室へ引き返すと、すでに先輩が一人で夕食を取っていた。

 長机の前に座って食べているのは、惣菜そうざいコーナーで販売しているチキン南蛮弁当みたいだ。

 麻里菜と優美を手引きしていて疲れたけど、ここで先輩の顔を見ると安心する。


「今日は休憩入りが遅かったけど、何かあったの」


 先輩は、ご飯をはしで口へ運びながら、問い掛けてきた。

 隣の席に腰掛けると、あたしはつまんで事情を話す。


「学校で部活の同じ友達が、お店に来てたんです」


「部活って……ああ、『お菓子研究会』だっけ?」


 ちょっと考えてから、すぐに先輩はあたしが所属する課外活動団体を思い出したらしい。

 あたしは「はい、そうです」と答えて、松田さんに伝えたのと同じ作り話をしてみせた。

 念のために事態の真相は明かさない。万が一、先輩経由で松田さんに知られたら大変だ。

 それに麻里菜や優美の陰謀に加担したとわかったら、あたし自身の心証にも関わるし。


「へぇ。この店のパンって、そんなに地元の女子高生に人気だったのか」


 先輩は、すんなりと作り話を信用してくれる。

 ああ、やっぱりお人好しで可愛いなあ。本当に真面目で優しいよね。

 年上の男性に対して、こんなこと考えるのは失礼かもしれないけど。


 このお人好しな先輩が、麻里菜や優美と会わずに済みそうで良かった。

 まあ、かなりニアミスっぽくて、危なかったような感じはあるけどね。

 きっと今はまだ二人共、ベーカリーコーナーで松田さんと話すのに夢中だろう。

 でも休憩時間が終わる頃には、たぶんパンを買って先に帰宅しているはず……



 なんて考えつつ菓子パンを食べていたら、そのとき思い掛けないことが起きた。

 不意に事務室のドアが開いて、舟木店長が従業員控え室に姿を現したんだよね。


「ええと小宮くん、まだ休憩時間だよね? ちょっとこっちに来てくれ」


 店長は、手招きして先輩を事務所に呼び出す。

 これにはちょっと驚いた。いったい何の用事だろう。

 今まで休憩中にこんなことはなかった気がするけど。


 でも先輩は、意外に慌てた素振りを見せず、短く「はい」と答えて席を立った。

 空になった弁当の容器を不燃ゴミの箱へ捨ててから、事務所の中に入っていく。



 あたしは、菓子パンをかじりながら、それを見送ることしかできなかった。

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