第3話 サンキュベリマッチョ

 日曜の朝が来た。

 明け方にウトウトしただけの目に入りこんでくる朝日が痛いくらいにまぶしい。

 いつもなら何をしようかとワクワクしていたこの時間。

 まるで心に空洞ができちゃったみたいに、何をして良いかわからなかった。


「肉山君、朝ご飯」


 言葉にしたってむなしいだけ。

 彼はたった三日のレンタルである。まさか、短い間レンタルしただけのマッチョにこんなに心の中を埋められてしまうなんて。

 ふと思い出して、三日前お店で渡された名刺を取りだした。


「……バカね、私」


 こんなの、ホストに貢ぐのと同じじゃん。

 疲れて弱った気持ちの中に、タイミングよく頼りがいのある人が現れただけ。私はそれにコロッと行っちゃうほどにはお子様じゃない。

 そう、思いたかった。

 けれどこの心の中に空いた穴はどうしようもなく大きくなっていって、少しずつ私の気持ちに影を落としていく。


 肉山君の笑顔。電車で包まれたたくましい腕。

 酔っ払いに絡まれたときに助けに来てくれた、ヒーローのようだった彼。

 くそ真面目な顔で羊を数えながらスクワットをして、私の心の傷まで見つけて、それをさりげなくケアしてくれて――。


 部屋を出ていくとき、一度だけ振り返った肉山君の表情。

 私はきっと、あのときもっとわがままになればよかったんだ。

 どうして彼を呼び止めなかったんだろう。たった一言、待ってと言えなかったのだろう。


「私……。昨日、失恋したんだ」


 肉山君と過ごした日々に後悔はない。それどころか感謝でいっぱいだ。

 ただ、私が最後の最後で一歩前に踏み出せなかっただけ。彼は本当に良くしてくれた。


 でも――。


 気づいてしまった。

 私、自分の事にいっぱいいっぱいで。

 肉山君に、三日間ありがとうって言えてない。


 大急ぎで着替えて家を出る。

 どうしてたった一言、ありがとうさえ言えなかったんだろう。

 頭の中がメチャクチャで心もボロボロだったこの三日間、彼は私を支え続けてくれた。助けてくれていたんだ。


「私、ほんっとバカ」


 お店の最寄り駅に着いた。路地裏を走る。あのお店は確かここを曲がって……。

 大きな扉は締め切られていて、ドアの前に張り紙が貼ってあった。


『臨時休業』


「休業? 嘘でしょ!?」


 呆然と立ち尽くす私の視界の隅に、扉に挟まれたチラシが目に入った。


「全国大学ボディビル選手権……」


 チラシに書かれた会場はここからそう遠くない場所だ。肉山君はこれに出るのだろうか。

 彼に、会えるかもしれない。私は急いで来た道を戻り、会場のある駅目指して電車に飛び乗った。


 会場に駆け込んで、受付で入場料を払う。

 私は手渡された参加者案内に視線を走らせた。


「あった! 男子七十五キロ級、バルク肉山!」


 会場に入り、観戦スペースの最前列に座った。

 私が着席してすぐに、大会がスタートする旨のアナウンスが流れた。

 次々と入場してくる競技用パンツ一枚のマッチョ。黄色い歓声とむさくるしい叫びを受け、マッチョがズラリと並ぶ姿は壮観であった。


「あ、肉山君!」


 マッチョたちの列に、パンツに十二番という番号をつけた肉山君が登場した。

 選手たちが思い思いにポーズをとり自らの肉体美を競いだす。

 そうか、鏡の前の練習はこの日のために――。


「五番いいよー、筋肉の理想的間取り図! 契約したーい!」

「七番EXPO! 筋肉のひとり万博大行列!」



 周囲から聞こえる謎の応援。

 私も肉山君の掛け声を思いだして、全力で彼を応援した。


「十二番、筋肉のバミューダトライアングル! 溺れちゃうー!!」


 肉山君は得意のポーズ、モストマスキュラー披露して、満面の笑みで答えてくれた。私は競技の間中、ありがとうの気持ちを込めて彼への応援を叫び続けた。



 結局、表彰台に肉山君の姿はなかった。

 私は会場の外で彼が出てくるのを待っていた。日が傾き始めたとき、見慣れたたくましい影が現れる。


「肉山君、お疲れ様!」

「小山さん! 待っていてくれたんですか?」

「うん、どうしてもお礼が言いたくって」

「お礼を言うのは自分のほうです! 今日は本当にありがとうございました!」

「残念だったね。肉山君が一番カッコよかったのに」

「自分なんてまだまだですよ! でも、そう言って頂けて嬉しいです」


 微笑む肉山君に、私は深々とお辞儀をして言った。


「肉山君、三日間どうもありがとう。とっても楽しかった」

「小山さん、自分も楽しかったです! ありがとうございました!」


 肉山君が笑って大きな手を差し伸べてきた。

 私も手を伸ばして、大きな手と握手を交わす。

 ああ、情けないなぁ私。これ以上、どうしていいかわからないや。

 それはきっと、ちょっと照れて微笑んでいる彼も同じで。

 夕日が、私たちの影をどんどん長くしていく。

 この距離が心地いいような、でも寂しいような。そんな私たちを急かすように、太陽は少しずつ傾いていった。


 ドタバタと動き回った日曜日が終わり、月曜日の朝が来た。

 昨日の別れ際、肉山君は「一から鍛え直して優勝目指します!」といって手を振ってくれた。きっと肉山君なら、近いうちに優勝出来るに違いない。


「思い切って連絡先、聞けばみればよかったな。でも、お店の名刺はあるし……」


 日常は私の気持ちなんかお構いなしに動きだし、私はやっぱりサークルでお局様にお説教をいただいていた。


「小山さん、ちゃんと聞いてるの!?」


 お説教は、いつにも増して厳しかった。

 嫌々あげた目線の先で、サークルのお局様は般若の形相で私を怒鳴りつけている。その向こう側、校舎の窓ガラスの向こうで黒い影が動いた。


(何、あれ?)


 四角い大きな長方形の影は、どうやら窓の外側を清掃する業者のゴンドラらしい。

 あーあ、怒られているところを知らない人にまで見られてしまうのか。

 憂鬱な気持ちで窓の外に視線を送ると、そこには見慣れたマッチョの姿が――


(えええっ!? 肉山君!?)


 お局様のお説教は続く。

 その後ろの窓ガラス越しに、ムキムキマッチョの肉山君。

 シュールな光景に目を丸くしている私に向かって、肉山君が大きく手を広げ、指を動かした。指がカウントを始める。


 三つ、二つ、一つ……そして、握りこぶし!

 カウントダウンを終えた肉山君が、次々とポーズを繰り出していく。

 あれは――。


「なにぼーっとしているの!?」

「キレてる!」


 肉山君がポーズを変える。


「きゃ!? な、何よ突然大きな声出して!」

「デカいよ!」


 肉山君の筋肉は止まらない。


「小山さん、あなた口答えする気!?」

「バリバリ!」


 最後は得意の決めポーズ、モストマスキュラー!


「なんて生意気な子……。もう知らない!」

「バミューダトライアングル! 溺れちゃうー!」


 突然の私の勢いに退散していくサークルのお局様。

 満面の笑みでモストマスキュラーを決めた肉山君の乗ったゴンドラが、ゆっくりと上の方へせりあがっていく。

 急いで屋上に駆けつけた時には、もうゴンドラも肉山君もいなくなっていた。

 またお礼を言いそびれてしまった私は、大学が終わったら彼のお店に行こうと決めた。


 大学を出ると目抜き通りから路地を曲がって、目指す場所まで二百メートル。いつもより遠く感じられる道を早足で歩く。

 筋肉妖精のドアのノックすると、この間のオーナーさんが迎えてくれた。


「お久しブリーフ、レディ。当店がお気に召されましたかな?」

「あの、肉山君いますか!?」


 オーナーのクソつまんないダジャレを無視して、私は肉山君のことを切り出した。するとオーナーは眉間にしわを寄せて、全身をくねらせた。


「実はですね、彼は昨日づけで退店いたしまして」

「えっ!?」

「しかぁし! 当店ではほかにもナイスマッチョを多数ご用意しております。ささっ」


 オーナーの言葉を無視して、私は駅の改札まで走った。改札に行けば、いつものように肉山君がいてくれる。そんな気がして……。

 だけど、私の身勝手な期待は空振りに終わる。

 帰宅ラッシュで人で溢れた駅前には、どこにも彼の大きな影は見当たらなかった。

 校舎の向こう側に現れた、ゴンドラに乗った肉山君を思いだす。

 あれは、律儀な彼のお別れの挨拶だったのだろうか。

 息苦しい満員電車にゆられて、おぼつかない足取りでアパートに帰るまでの間、私は彼と過ごした日々をぼんやりと思い返した。


 楽しかった、充実していた。

 それなのに、ううん、だからこそ。胸の奥がチクチクと痛む。


「どうして私って、うまく出来ないのかな……」


 アパートの階段を昇り玄関へ足を向けた私の耳に、男の人の吐息が聞こえた。

 変質者……ううん違う。

 この息の吐き方は、吐息と一緒に漏れる声は――

 私は慌てて廊下を曲がる。私の部屋の前に、どうしても会いたかった彼がいた。


「肉山君……!」

「小山さん!」


 玄関の前で腕立て伏せをしている肉山君が、立ち上がって笑顔で親指を立てる。私は、そのたくましい腕の中に飛び込んだ。


「小山さん! 俺、小山さんにレンタルしてもらってから、どうしてもほかの人にレンタルされることとか考えられなくって」

「それでお店を辞めてここに来てくれたの?」

「はい! 出来れば、その、小山さんとのレンタル契約を、もっと延長したいのですが」

「肉山君! 私の方こそ、契約の延長どうぞよろしくお願いします!」

「小山さん! ほんとに? 嬉しいです!」

「肉山君、ありがとう。ほんとに、ありがとう! ……大好き」


 肉山君のたくましい腕の中で目を閉じる。

 私とマッチョのレンタル期間は――

 きっとこれからも、ずっとずっと続いていくのだろう。

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マッチョと私の過ごし方 緒方あきら @ogata-akira

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