第2話 レッツ・ボディビル

「おはようございます!」


 翌朝目が覚めると肉山君はすでに朝食の準備を整えていた。

 予想以上に、細やかな気配りをしてくれる。キレイに畳まれたタオルケットを見て、私はそんなことを思いながら家を出た。

 肉山君もついてくる。朝の通学ラッシュもなんのその。


「モーニング・マッスルサークル!」


 二回目の筋肉バリアーは、一回目よりも恥ずかしさを軽減する……わけはなく、私は筋肉の円陣の中で明日は電車を一本ずらす決心をした。


 電車を降りて、マッチョに見送らせて私は大学へ歩きだした。彼も学生で、お見送りが終わったら大学へ出て、その足でお店で待機らしい。


 今日も今日とて、サークルのお局様は私の服装から活動内容まで、ネチネチと小言を浴びせ続ける。

 だけど私は、マッチョと過ごす残りの日々をどうしたものかという問題で頭がいっぱい。「もっと力をつけなさい」と言われてもそれってどこの筋肉かしら、とか思っちゃうあたり私もヤバイかもしれない。


 大学を出た時のは、夜の八時を回っていた。

 週末の街はあちこち楽し気な声で溢れかえっている。不意に赤ら顔の男性が数人、私の前で立ち止まった。


「お姉さん、今帰り? 遊ぼうよ」


 ナンパだ。しかも酒臭くって強引ときている、最悪だ。

 私は彼らを無視して歩きだした。酔っ払いの汗ばんだ手が、私の腕をいきなり掴む。


「おい、待てよお嬢ちゃん」

「離してよ、酔っ払い!」


 背の高い男に囲まれて、私は苛立ちを超える恐怖に包まれた。

 私を囲む輪が少しずつ小さくなっていって……。


「だ、だれか……」


 恐怖で声がでない。

 不意に、彼らの後ろから大きな影が迫ってきた。あれは――


「マァァッスル! エスコォート!」


 肉山君!


「な、なんだお前は!?」

「小山さんにレンタルされし筋肉の妖精、バルク肉山参上!」


 男たちに向かってポーズを決める肉山君。

 突然現れたマッチョに男たちの動きが止まる。肉山君は彼らをかき分けて私の前にやってくると、優しく手を引いてくれた。


「小山さん、遅くまでお疲れさマッスル!」


 さっきとは打って変わってさわやかな笑顔で、ぎゅっと拳を握って微笑んだ肉山君。

 逃げていく男たちを尻目に彼と駅まで歩く。背中にくっついて電車に乗って、満員電車で守られて。

 私はすっかりマッチョを見直して、それ以上に肉山君に感謝した。


「悔しいけど、見直した」


 家に帰り、姿見に向かってポージングしている肉山君に私は声をかけた。


「ほんとですか!?」

「うん、カッコよかった」

「ですよね! やっぱりこのモストマスキュラーが最高っすよね! 筋肉のバミューダトライアングル!」


 腰の高さに右手を突き出し、右手首を左手で掴んで肩と胸の筋肉を強調しながら肉山君の笑顔が弾ける。

 違う、そういう意味じゃない。

 だけど、これ以上はっきりと言葉を伝えるのは気恥ずかしい。


「今日は疲れちゃった。もう寝よっか」

「羊、数えますか!?」

「ぷっ、また? じゃあ、お願いしようかな」


 薄暗い部屋の中を、肉山君の声と羊たちが駆け回る。

 元気の良い羊が三十匹に達する前に、私は穏やかな気持ちで眠りについた。



 翌朝。

 レンタル三日目は土曜日で大学もお休みだ。

 目を覚ますと、エプロンをつけたマッチョの後ろ姿。そんなシュールな光景にも慣れつつある自分がいる。


「今日は最終日なんで、腕によりをかけてご飯を作りますから!」


 ――ああ、そうか。

 彼のレンタル期間は三日間だっけ。

 パジャマのままベッドからテーブルについて、彼が作った豪華な朝食を二人で食べる。


「今日はお休みですよね? 何かしますか?」

「えっ。じゃあ、部屋の模様替え」


 肉山君の手際は見事なものだった。

 私があれはこっち、それはあっちと指示すると、テキパキと荷物を運んでいく。自分ひとりなら夕方までかかる模様替えも、お昼前にはほとんど片付いていた。


「お疲れ様。掃除機は私がかけるから、ゆっくりしてて」

「ありがとうございます。ふん!」

「好きね、姿見」


 私が部屋に掃除機をかけている間、彼は色んなポーズを延々と繰り返していた。

 時々「キレてる!」「デカいよ!」ともはやお馴染みの掛け声を発しながら、お昼ご飯をはさんで夕方まで練習は続いていた。


「筋肉ってそんなにいいもの?」


 肉山君のトレーニング眺めながら、私は何気なく聞いてみた。


「最高です! 美しいし健康的だし実用的だし、言うこと無しです!」

「美しい、かな?」

「小山さんも一緒に筋トレ、どうですか!?」

「私は遠慮する」


 鏡の前の肉山君が、珍しく真面目な顔をして苦笑する私を振り返った。


「小山さん、すごく余計なお世話なんですが」

「なに?」

「小山さんは頭と心ばっかり使って疲れちゃっている気がします。だから身体も強くして、バランスをとりましょう」

「突然、何を言って……」


 戸惑う私の顔を覗き込んでくる肉山君。

 その顔には、今までにない真面目な表情が浮かんでいた。


「きついっすよね、学校のこと。毎日怒鳴られて、頭も心もクタクタで、でも体を使ったりはしない。だから、眠れなかったりするんです」

「それは、肉山君がいるから緊張して……。それになんでそんなこと知っているの?」

「勿論それもあると思います。でも小山さん毎晩うなされていました。心身って言葉あるじゃないですか。心と身体。バランスよくしなきゃいけないんだと思います」

「……」

「っていうことで、さあ! レッツボディビル!」


 私がうつむくと、肉山君はふっと笑っていつもの肉山君に戻った。

 その日、私は肉山君とともに久しぶりに筋トレをした。


「はぁー、疲れた。夕飯どうしよっかな。……肉山君?」

「小山さん……。時間です、その、レンタルの」


 気まずそうに、肉山君が下を向いて言った。

 私は内心複雑な気持ちだったけど、めずらしくへこんでいる肉山君を元気づけようと、明るい口調で笑いかけた。


「そっか。じゃあ、ここでバイバイなんだね」

「はい、スイマセン」

「なんで謝るの? お店に帰るんだよね、交通費いる?」

「無料レンタルですから! ジョギングして帰ります!」

「そ、そう。気を付けて」

「はい!」


 二人の間に、微妙な間が出来た。肉山君が、行ってしまう。

 当たり前のことだけど、突然過ぎることのようにも思えて――。私の頭は束の間混乱状態におちいってしまう。

 もう少し、一緒にいたい。

 胸の奥にあるその気持ちを、不器用な私は上手に言葉にすることが出来なかった。

 重い空気を壊すように、肉山君が「それでは!」と告げて一度だけ私を振り返ると、大きく息を吸って玄関から駆け出していった。

 不意に、部屋が静寂に包まれる。

 私の部屋、こんなに広かったっけ?

 姿見に視線を送ると、なんだか胸がチクリと痛んだ。


 感傷的になってしまいそうな気持ちを抑え込み、ベッドに横になった。

 きっと疲れているんだ。そうに違いない。

 ただ、今までの日常に戻るだけ、いつも通りの生活がやってくるだけ。

 何度も自分に言い聞かせて、毛布に顔をうずめる。


 その晩、私のもとに一匹も羊はやってこなかった。 

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