マッチョと私の過ごし方

緒方あきら

第1話 レンタルマッチョ

 その奇妙な店は、ホコリ臭いさびれた雑居ビルの一階にあった。


『レンタルマッチョ ~筋肉妖精~』


 なんで私はこんな怪しいお店の前に立っているのだろう。

 紫色に輝く妙になまめかしい看板には、丁寧にルビまで書きこまれていた。


「マッスルフェアリー……」


 本当に、どうかしていたんだと思う。

 道ばたで見かけた矢印にフラフラと誘導されてしまう人なんて、きっとロクなものじゃない。

 よほど好奇心が旺盛なのか、または今の自分がイヤになってしまうほどクタクタで、どんな些細な変化でもいいから求めてしまうような人間くらいだろう。


 私は後者だ。

 大学二年生、大学生活にもようやく慣れてきて、サークル活動も順調に……と思った矢先にとんでもない伏兵が私の前に立ちふさがった。

 サークルの四年生で、いわゆるお局様的なポジションにいる先輩である。

 彼女は連日、私の小さな至らない点を見つけては長い時間大声で叱りつけた。


「こんな気持ちで家に帰りたくない」


 大学から目抜き通りに出て駅まで続く道を歩いていた時に、私の本音が口からこぼれた。駅前の大通りは今の私にはあまりにもまぶしすぎる。

 きらびやかな街の明かりから逃げるように、一本の路地を左に曲がった。

 いつもは通らない見知らぬ道は薄暗く、清掃も行き届いていない。ふと、何かが目にとまる。


「楽園まで、二百メートル?」


 電柱に括りつけられたその看板は汚れていて、上のほうを読むことは出来なかった。私はいかがわしい矢印に誘われるように道を曲がり、暗い道を歩く。

 そして見つけたのだ、このお店を。


『レンタルマッチョ ~筋肉妖精~』


 マッチョを、レンタル。

 それがなんなのか、皆目見当がつかなかった。


「いらっしゃいませ」

「きゃあ!」


 突然後ろから野太い声をかけられた。振り返った先には、髭をたくわえたマッチョ。

 白髪のナイスミドルが黒のベストとビキニパンツで腕の筋肉を強調するポーズをとっていた。


「えええっ、えっと、どちらさまですか?」

「失礼、私この店のオーナーで筋骨隆と申します。貴方様が店の前でたたずんでおりましたので、歓迎のポージングを、はい」


 喋りながらもうごめく筋肉。

 右手をあげては筋肉を主張し、左手をあげてはまた筋肉を主張し、ネオンに照らされた姿はまさに非日常な世界――。


 ……って違う!

 私が求めているのはこういう非日常じゃなくって!


「一名様ごあんなーい!」


 言葉も出ずに固まっている私を尻目に、オーナーが声高に叫んだ。


「はいよろこんでー!」


 その瞬間、その店、マッスルフェアリーのドアが勝手にオープン。

 扉の先にはめくるめくマッチョたちの筋肉ワールド。

 そこら中に張られたポスターも含め、私の視界は三六〇度ナイスマッチョに占領されてしまう。


「さあ、どうぞお姉さん!」

 前門のマッチョ。

「じっくり見てってください!」

 後門のマッチョ。


 路地裏に求めた癒しとは似ても似つかぬ幻想空間に、私はめまいを覚えた。

 とはいえ倒れこんだらマッチョマチョにされかねない場面。ここはなんとか逃げ出さなくてはいけない。


「当店では厳選されたマッチョの」

「あの、私! 帰ります!」

「レンタルを行っておりまして」

「聞けよ人の話」


 私を無視して延々と続くマッチョの説明。

 あーあ、やんなっちゃう。これじゃあサークル活動の時と同じだ。

 言いたいことも言えないままに、一方的にやりくるめられちゃって。私、何をやってるんだろう。涙ぐんだ私に、一人のマッチョがそっと何かを差し出した。


「当店の名刺です、どうぞー!」


 わぁ、そこ ハンカチじゃないんだ。

 ダメ、この店は何かがズレている。とにかくここを離れよう。


「私、帰ります」

「おや、お気に召しませんでしたかな?」

「マッチョ、好みじゃないんで」


 そそくさと小走りに駆け出した私の背中を、オーナーの宣伝文句が追いかけてきた。


「今だけマッチョお試し、無料レンタル三日間!」

「今だけお試し、無料レンタル……!?」


 今だけ。

 無料。

 そんなフレーズに足を止めてしまう貧乏学生の性が憎い。マッチョ、無料でもいらないのに。でもマッチョを借りたら、人生何か変わるのかな?


「さあ、貴方は誰を選ぶ!?」

 

 足を止めた私に畳みかけるように、店内にいたマッチョが横一列でポーズを決めた。

 なにこのマッスルウォール。

 けばけばしいライトの中では、誰がどう違うのか私には認識することが出来ない。その中で一人、やや細めのマッチョを発見。

 ここはせめて、少しでもマイルドな人でお願いしよう。


「この人で……」

「バルク肉山君、ご指名でーす!」

「はーい!」


 列から飛び出してきた細身のマッチョが、颯爽と駆け寄ってくる。

 短髪のナイスマッチョ。近くで見たらムッキムキやん……。


「バルク肉山、十八歳! 三日間よろしくお願いしまーす!」

「ブラボー! 肉山の上腕二頭筋マッスルマフラー!」

「筋肉モリモリ、ソルト・レイ! その腕で塩かけられたーい!」


 一列に並んだマッチョたちの雄たけび、もとい声援を背に歩き出す。

 私はありえない光景に意識が遠のくのを必死にこらえて、バルク肉山君と家路につくことになった。


「レンタルって、家までついてくるの?」

「はい! 三日間は貴方様のしもべです」


 私のカバンを持った肉山君は白い歯を輝かせた。

 ピチピチのTシャツにハーフパンツの姿が秋の街並みに浮いている。一人暮らしの家にマッチョは入れたくないけれど、なんだか断りにくい雰囲気。

 どこかでうまく空気を変えられないだろうか……。


「あねさん、駅着きましたよ!」

「誰があねさんよ、私は小山美紀。肉山君と一歳しか違わないんだからあねさんはやめて」

「おおっ、小山肉山コンビですね!」


 とにかく明るいマッチョに脱力しつつ、私は改札を通りホームに降りた。肉山君もしっかりついてくる。

 ホームは帰宅ラッシュで混雑していた。はぁ、今日も満員電車かぁ。

 私のため息に応えるように、人をぎゅうぎゅうに詰め込んだ電車がやってくる。


「この電車に乗るんですか?」

「ええ」

「ウィー、ムッシュ!」


 威勢よく声をあげた肉山君が、片腕をあげて筋肉を強調したポーズで電車の入り口に歩み寄っていく。突如現れたマッチョの圧倒的迫力に、モーゼの奇跡のごとく割れる人波。


「さあ、開きましたぜ小山さん!」

「お願いだから名前を呼ばないで!!」


 もうこの時間の電車は使えないかもしれない。

 発車のベルがなり、駆け込み乗車でさらに車内の人口密度が増していく。その時――


「マッスル・サークル!」


 肉山君が威勢のいい掛け声とともに、両腕で円を描くポーズをとった。

 その円の中心に、私がいる。なんつー絵面よ、これ。


「自分の筋肉でお守りします!」


 うわぁ、超恥ずかしい。

 視線が痛いしヒソヒソと囁かれる声もつらい。

 もう許してほしい。なんか色々許してほしい。

 そんな気持ちで顔をあげると肉山君が暑い車内で汗をかきながら、それでも私を守ってくれていた。


 混雑の中でこんな目立つのは迷惑だけど……ちょっと嬉しいかも。

 一生懸命な彼の顔を見ていると、そんな気持ちもわいてくる。でも、彼の視線は私ではなくまっすぐ外に向けられていた。

 その眼差しの先では、外の暗闇で電車の窓が鏡のように車内を映し出している。肉山君が、うっとりとした顔で窓の向こうの自分の筋肉に見入っていた。


「……嬉しいとか思った私がバカだった」


 いつもより長く感じた電車を肉山君を前にして降りて、駅から歩いて二十分ほどの私が住んでいるアパートに到着した。


「ここまででいいから」

「三日間は家の中でもお供します!」

「お断りします」


 肉山君からカバンを受け取り、彼をおいて部屋に入った。洗面所に行くと、廊下に面した窓から何やら男性の吐息が聞こえた。


「ふう! ふう! ふうう!」

「何? 変質者?」


 そっと小窓を開けると、私の部屋の前で黙々と腕立て伏せをする肉山君の姿が。

 よろけそうになりながら、どうにか玄関のドアを開ける。


「……何をしてるの?」

「腕立てを」

「うん、聞きたいのはそこじゃない。なんでここで腕立てを?」

「小山さんを三日間お守りするには、ここが一番かなと」


 歯を輝かせて笑う肉山君。

 この状況はまずい。

 二〇二号室の小山さんの部屋の前で、マッチョが腕立て伏せしてる。

 いやいやなによそれ、誰かに見られたらなんて説明していいのかわからない状況だ。


「もういいから、あがって」

「お邪魔しまーす」

「変なことしたら承知しないからね!」


 丁寧に靴をそろえて家にあがった肉山君が、早速部屋の隅に置かれた鏡に近づいていった。そしておもむろに掛け声とともにポーズをとり始める。


「ふんす! モストマスキュラー!」

「……お風呂入ってくるから、大人しくしていてね」


 疲れた。

 いつも以上の疲労を抱えてシャワーを浴びる。はぁ、初めてに家にあげた男がナルシストのマッチョ君だなんて。


「私、何やってんだろ……」


 呟いた声は、バスルームにむなしく反響した。

 お風呂を終え髪を乾かして部屋に戻ると、さっきと変わらぬ光景があった。肉山君はずいぶん自分の筋肉にご執心らしい。


「肉山君、夕飯は?」

「自分はマイプロテイン持参してますので。小山さんは?」

「どうしよっかな」

「冷蔵庫開けてよければ、何か作りますぜ!」


 私が曖昧にうなずくと、肉山君は手際よく冷蔵庫の残り物でサラダと鶏肉の卵とじを作ってくれた。


「さあさあ、召し上がれ!」

「い、いただきまーす」


 恐る恐る一口食べて、これは……美味しい!


「すっごく美味しい! 肉山君、料理うまいんだね」

「ありがとうございマッスル」


 微笑む肉山君がプロテインを摂取している。

 後片付けとスキンケアを終える頃には、時計の針が十一時を指していた。


「肉山君、ほんとに家に帰らないでいいの?」

「はい、レンタルマッチョのバイトは家族公認ですから! 社会勉強です!」


 家族公認のレンタルマッチョ。

 肉山君のおうちはきっと肉山君そっくりのご両親がいらっしゃるに違いない。


「それじゃあ悪いけど肉山君、ソファー使って寝てね」

「了解でっす!」


 肉山君にタオルケットを二枚渡してベッドに横たわった。すぐ近くに異性が寝ていると思うと、電気を消すことが少々躊躇われる。


「小山さん! 電気つけたまま寝る派ですか?」

「ううん、違うけど」

「では。おやすみなさいませ」


 私の返事を聞くと、肉山君がささっと電気を消してしまった。

 ああ、女の恥じらいを踏み潰すマッチョのマンパワーよ。


 それにしたって、やっぱ落ち着かない!

 このままで眠れるのだろうか。何度目かの寝返りをうったとき、スッと肉山君が立ち上がる気配がした。

 ゆっくりと足音が近づいてくる。


 まさか、やだ、そんな――


「眠れない小山さんのために、今から羊を数えます!」

「はい!?」

「いきます! 羊がいっぴーき! 羊がにひーき!」


 真っ暗な部屋の中で、肉山君がスクワットを開始した。

 マッチョは羊を数えるときも筋肉を鍛えるの?

 カーテンの隙間から差す微かな街灯で、おぼろげに揺れるマッチョシルエット。


 暑苦しい息づかいと羊の群れの中で、私は五十七匹目の羊を聞きながら眠りに落ちていった。

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