CASE.3-17
「さてと、ご足労ありがとうございます」
俊久はネクタイをさすりながら悠然と男の向かいに座った。
男は俊久が現れるまで緊張した面持ちで座ってはいたが、向かいに座った刑事が俊久だとわかると頬杖をついた。
「阿部力男君、なぜ呼ばれたかわかっているか?」
「ああ、あれだろ。お宅の娘を俺が可愛がっているから権力で脅しているわけだろ」
めんどくさそうに答える阿部に俊久はつい怒りを机にぶつけた。
ガツンと響く机の表面の反発音に阿部は一切ビビりはしない。
「あ~あ。めんどくせえ。クソジジの相手とか、暇じゃないんだけどな」
「俺もだ。すぐに終わらせよう」
用意したファイルから数枚の写真を机に置いていった。
一枚置くごとに阿部の表情がこわばっているのが分かった。
「知り合いだよね」
俊久は煙草を一本取り出し、構わずに火をつけた。
「ああ、汐里だろ」
声が幾ばかりかしおらしい。再び緊張感が滲んでいた。
「山野汐里。君とはどういう間柄か話してくれないか?」
少しの間の後口を開いた。
「ただの幼馴染だよ。ここの親父がうちのコーチだった」
既に裏が取れている供述だった。父親は選手であり、幼いころから通っていた阿部と面識があって当然なのだ。
「ほかには?幼馴染以上の関係はなかったのか?」
俊久は吸殻を灰皿にこすりつけた。
「昔付き合っていた。それがどうしたよ!」
「どうしたじゃない。今この子は行方不明なんだ。君なら彼女の行方が分かるんじゃないのか?」
「はあ?知るか。こんなストーカー女」
「ストーカー?それは彼女のことを言っているのか?」
「そうだ。他に誰がいる。こいつはな俺と別れた後、俺を付きまとっていた女なんだよ」
とても信じられない証言だった。こんな何処にでもいそうな普通の女の子が男に付きまとうなどという大それたことをしていたとは思えなかった。
「具体的にどんなことをされた?」
「それはその…学校の帰り道を着いてきたり、着替えをのぞこうとしたり、いつだって視界の中に入ってくる。もう来ないようにと警告しても練習を外から覗き込んでいた時だってあった」
「いつから?」
「汐里と別れてからすぐだ。7月だ」
「萌絵は知っているのか?」
「なんだよ。急に父親面しやがって。私情挟んで仕事しているんじゃねえよ」
これには頭に来た俊久は灰皿を壁に投げつけて構わず怒鳴った。
「心配して当然だろ。親なんだから。娘がこんないけ好かないガキと一緒なんてみっともなくて仕方ない。そこを我慢しているんだから」
気が付いた時には阿部の胸倉をつかみ上げていた。
「みっともないのはお前のほうだろ。萌絵なんていまだ一度だって体を触らせてくれやしない。なんでかわかんねえだろうな。お前みたいなクソジジイにはな!」
締め付けられた顎を必死に保ち唾をまき散らした。
「親の俺にそんな話をするな!」
頂点に達した怒りのまま、右腕を大きく振りかぶった。
「やめて下さい」
慌てて入った倉本がその右手を抑え込んだ。阿部は今も苦しそうに体をじたばたさせている。
「遅かったじゃないか。あんちゃん」と阿部は倉本のことを言っていた。
「二度とそんな口を利くな。警部はもう少し落ち着いて下さい」と俊久の正気を確かめてゆっくりと手を離した。
「すまんな。危うくこいつをぶちのめしそうになった」
俊久は真っ赤に紅潮した顔を拭いながら乱れたワイシャツの裾を整えた。
「勘弁してくださいよ。これ以上やれば問題じゃ済まなくなります」
「いい気なもんだ。早く俺を殴ればよかったんだ」と阿部はつかみ上げられた時以上にへらへらしていた。
「あまり大人をからかうな。そんなふざけた態度ばかり続けていると、いずれ彼女に愛想つかされるぞ」
忠告の意味を込め、倉本は相手の胸に指を突き刺して言った。
「萌絵が?俺のことを紳士だと思っているよ。そこにいる実の親なのにキモいことしたクソ野郎と比べれば俺はジェントルマンだって言っていたよ!」
「どういうことだ?キモい?」
初めて聞く言葉の言い回しに俊久は単語を聞き返した。
「気持ち悪いことだよ。どうせあんたのことだから覚えていないだろうって言っていたけどやっぱりか」と阿部はせせら笑った。
確かに全く身に覚えのない話だった。実の娘に性的に何かしたとでも言いたいのだろうか?自問自答を繰り返しても答えはたどり着きそうにない。答えは本人しかわからないのだから。
結局のところ感情とは捉え方ひとつでどの方向にも転がる。方程式のように推し量れるものではないのだ。
デスクで頭を抱えた俊久は集めた資料を前にして上の空だった。阿部力男にたどり着いたはいいが、これといった決め手がいまだ見つかっていない。それどころか阿部本人に返り討ちにあって、こうして仕事に身が入らない。
そもそもこれは少女誘拐事件とは別件である。人員のほとんどが長谷川満の逮捕を地固めしている中でこの成果の出ない体たらくではいくら人員の確保を求めたところで受け入れられるはずはなかった。
「あら、カビでも生えるほどに辛気臭いですね」
頭を上げると中原香がお盆にお茶を乗せて立っていた。
「ちょっとな。スランプ気味だ」
「私に手伝えることがありましたら言ってくださいよ」とお茶を机の隅に置いた。
「なあ、聞いていいか?」
そう言われればとふとした疑問が頭に浮かんだ。
「何です?」と彼女は好奇心いっぱいの瞳で問いかけに答えた。
「悪そうな男ってなんでモテるのかな?」
「何ですか?唐突に?」
中原は楽しそうに顔を寄せた。胸の前で交差した腕の中にはお盆をはさめている。
「娘のことなんだよ」
「娘さん?無縁だっていう?」
「ああ、この男と付き合っているらしくて」
聴取の際に入手した写真を手渡した。それは直近のボクシングの試合の後に写されたものらしく、チープなチャンピオンベルトを上に掲げて決めポーズをとっていた。
「この子?かわいいじゃないの」
「かわいいもんか。クソが付くぐらい生意気なんだ」
味方だと思っていた中原があまりにもそぐわない評価をしたことが気に食わず、すぐさま写真を奪い返した。
「でも、このくらいの歳なら彼みたいな子に魅かれるものよね」
いたずらで愛らしい顔を装っているつもりなのだろうが、今の俊久にはそれが利かない。
「悪いっていうのは小憎らしいとか、規則に縛られたくないとか、そんな生易しいもんじゃないんだぞ。犯罪を犯している可能性がある悪人。そのレベルでのことを言っているんだぞ。まったく、こんな野郎だとわかっていて付き合う娘の気が知れん」
「娘さんには直接聞いたのですか?」
「まさか。口なんて利いてくれない」と半ばやけに嘆きつつ、お茶を一気に飲みほした。
「話すべきですよ。娘にとって父親って複雑なものですけど、思ってくれていると感じられるだけで、安心して外に向かっていけるものなんですよ」
「君もそうなのか?」
中原は空になった湯呑を手に取るとキラキラとした顔でこう言った。
「私も同じなの」
彼女はそれだけを言い残すと踵を返し部屋を出ていった。
俊久は急に立ち去る中原の後ろ姿を見つめつつ腕を組んだ。目線は自然と手元の写真へと移る。その姿は何度見ても憎らしい。見ているうちにだんだんとその写真を破り捨てたい衝動に駆られてきたので、そっと資料の間に挟み込んだ。
俊久は代わりに別の写真を取り出した。行方不明の女子高生、山野汐里と家族の写真。
父、山野誠は敷島ボクシングジムの選手だった。敷島との共同経営ということで始めたジムだったそうだが、山野誠は交通事故により2年前に亡くなったそうだ。
一人娘の帰りを待つ母親の気持ちを考えるといたたまれない。
俊久は椅子から立ち上がりジャケットを羽織った。
「警部、どちらへ?」
コンビニの袋を手に下げた倉本と扉で鉢合わせた。
「娘に会いに行く」
「それなら俺も」
「家族に会うのにお前は必要ない」と慌てて身支度に取り掛かる倉本に言って聞かせた。
軽薄かつ衝動的な決断だった。直接会って話してもらえる可能性はほとんど無に等しい。
だが、どうしようもない胸騒ぎに掻き立てられ、居ても立ってもいられなかった。
この衝動は正しいのだと自分に言い聞かせながらも目的地を目指した。
くしくも宿敵から教わった自らの過ちに気づかされ、しっかりとした謝罪を向けたかった。こうすることが深まった親子の溝を埋める一歩につながる。それが無理でも他に必ず何かはあるはずなのだ。何もしない、時間が解決するなんてことは親として間違っていた。できることすべてをしたい。
俊久は素直に内から巻き起こった衝動を受け入れることにしたのだ。
ボクシングジムは変わらずにぎやかだった。
「今日は何の用だね?」
中高生ぐらいの生徒を指導していた敷島が顔を向けていた。
「娘に会いに来ただけです」
周囲を見回し娘の姿を探したが、それらしき姿は見られない。阿部力男と目が合ったはずだが、食って掛かってこなかった。
「帰ったんじゃないのか?」
「いないんですか?」
「来ていないよ。ここ数日は」
「阿部、本当なのか?」と敷島の頭越しにわざと大声で呼び掛けた。
当の本人は聞いていないふりを装ってかスパーリングに集中しているようだった。
「坊主は知らないはずだ。一週間ずっと特訓続きで彼女どころじゃなかった」と敷島が頼んでもいないのに代わりを務めた。
「俺は阿部本人に聞いているんだ。口を出さないでくれないか」
俊久は一蹴すると阿部が練習しているすぐそばまで詰め寄りしつこく質問を繰り返した。
「来てねえよ」とひたすらに拳を打ち込んだ後にぼそっと言うと、タオルで汗をぬぐっていた。顔を真っ赤にして涙を流しているようにも見えた。
俊久は唐突にすぐそばで腹筋運動をしている中学生ぐらいの子供を捕まえて「萌絵は本当に来ていないんだな?」と問い詰めた。
「ああ」
その一言に怯えた表情が宿っていたところを見逃さなかった。
「いいか?俺はこう見えても警察官だ。嘘をつかれることが大嫌いだ。わかるな」
中学生は首を小刻みに振った。
「本当にいないんだな」
「ちょっと前に見た」中学生は涙目になっていた。
「おい、あんた。トレーニングの邪魔だ。早く出て行ってくれ!」
ついに敷島が吠えた。
俊久は怒鳴り散らす敷島を無視し、ジムを突き進む。どこかに潜んでいるはずの娘の姿を追った。施設は思った通り寮完備の構造になっていた。生活を共にして選手の体調管理を図っているのだ。
俊久は携帯電話を取り出してすぐにある番号へと掛けた。
ほとんど望みは薄かったが数回のコールの後相手は電話に出た。
「娘に電話かけてくれないか」
『何?おもむろに』
妻は不快感をあらわにした。
「頼む。これを切ったらすぐに電話してほしいんだ」
『あなた娘の番号も知らないの?』
「知るわけないだろ。いいな。頼むよ」
早々に電話を切り、ずかずかと施設内部を散策した。廊下は汚れ、独特の鼻を衝く汗のにおいが充満していた。
聞き覚えのある着メロ。娘があこがれている歌手のそれだろう。
音のする方へと足を引き返す。
「いたぞ。ここだ!」
まるでスパイでも見つけたように興奮した少年が俊久に飛びかかった。彼に続いて多くの子らがドタドタ駆け付けてくる。
襲い来る手を振りほどきながら前へと進むが、ボクシング少年団は体を微動だにしない。
娘の姿はすぐなのだ。着メロはこうしている間も鳴り響いていた。
「萌絵!ちゃんと謝りたいんだ!」
声を上げて彼女の姿を求めた。不思議なことに着メロは未だ鳴り続けていた。
押し寄せる子供たちにもみくちゃにされても俊久は娘の名前を呼んだ。
鳴りやまぬ着メロを頼りに少しずつ先へ進む。暴徒と化した子供らは誰かれ構わず羽交い絞めにしあった。始めはオーナーの指示だったのだろうが、ストレス解消のはけ口にバカ騒ぎを楽しんでいた。
着メロの聞こえる部屋のすぐ目の前にきた。少年たちの隙間を縫って勢いよく扉を開いて確かめた。
二段ベッドが一台と窓。小さなテーブルが一つという質素な家具、その床に見覚えのある黒のショルダーバッグ。だが、肝心の娘の姿はなかった。
俊久はバッグを漁った。鳴りやまない着メロを頼りに音源を探した。
「もしもし」
『え?どうしてあなたが出るの?』
予想通り相手は妻。電話越しでも困惑が伝わってきた。
「萌絵はそっちにいないんだな?」
『いないわよ。あなたと一緒じゃないの?』
「いないから代わりに電話に出たんだ。いつからいない?」
『三日前から帰ってきてないわよ』
「三日だと?心配しなかったのか?」
『あなただって警察に届けるなって言ったじゃないの』
俊久は頭を抱えた。いつの話をしているんだとか、状況によるだろとか、怒鳴りつけたかった。もし電話先の人物が部下だったら迷わず叱りつけていただろう。
「萌絵が行きそうなところ知っているか?」
『阿部君のところ。義務のように毎日向かってたはずだから』
「今ボクシングジムだ。携帯電話置いたままどこか行ったそうだ」
妻は絶句していた。娘が携帯電話を置いてどこかへ行ったということが信じられなかったらしい。
「おい、萌絵の荷物はこれだけか?」すぐ手前で後輩につかみかかっている少年を捕まえて問い詰めた。
「離せ。俺に聞くな」
血気盛んな血の気を帯びた瞳が床で倒れている後輩に向けられた。
廊下では乱闘騒ぎのお祭り状態。誰かれ構わず殴り合いが繰り広げられていた。
『ねえ、聞いている?その電話使って登録されている番号にかけて聞いてみたらどう?』
「ああ。手当たり次第にな。もう切るな」
『あの子がいるってわかったら』
俊久は何も言わず電話をすぐに切ると、萌絵のバッグと萌絵のものと思わしき下着や服をすべて詰め込みこっそりと部屋を抜けた。
依然繰り広げられる乱痴気騒ぎをかわしつつ、出口を目指した。こんな状況でオーナーは何をしているのか。見当たらない。
ジムから外へと抜け出した俊久の目にある光景が飛び込んできた。
敷島が阿部を殴りつけていたのだ。馬乗りになる敷島に抵抗を一切しない阿部。拳はまっすぐ頬に落ち、躊躇のない連打が繰り返されていた。
俊久は慌てて敷島の腕を持ち上げた。見れば阿部の顔面は鼻血で真っ赤に染まっていた。
「教育的指導だ。あんたは邪魔するな」
言い張る敷島は擁護の手を振り切ってでも阿部を殴りつけようとした。
俊久は思いっきり突進し体を引き離そうとした。
見事に衝撃を受けた敷島は横倒れになった。
「やめなさい。明らかに体罰だ」
「構うな。こいつが殴られたいって言ったんだ。だよな」
腫れた顔で阿部はコクリと頷いた。地面から体を起こす気力もないのだ。
「悪いが見過ごせない」
俊久は携帯電話を取り出して応援を呼ぶことにした。
連絡している間にも敷島は干渉を良しとせず文句を言い続けていた。
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