CASE.2-02
「お疲れ様です」
いつものように3人のうち碓井がほかの二人を待つ構図である。
「オツカレ~」と緩い雰囲気は倉本、「お疲れ様」とクールな挨拶は智沙である。
「どう?情報集めは」
半ばテストのように智沙は碓井に情報を求めた。
碓井は自らの義務だと思っているので、文句ひとつ垂れることはなく、淡々といつものように手帳を開いては収集した情報を披露した。
「被害者は東郷平時70歳。サカキカーズホールディングス会長だそうです」
「サカキの会長だと?えらい大物だな」
サカキカーズホールディングス通称SCHは30年前にサカキ自動車産業を中心に展開した大手企業である。本社が都心部になかったことが幸いし、6年前の災難事件で被害がなかった数少ない大企業の一つである。
「第一発見者は通行人でした。午後9時20分ごろ地面に倒れているところを発見、即座に通報に至ったと。発見時にはすでに死亡していたとのこと」
「それで死因は?」と智沙は結論を急いだ。
「高所からとの落下による複雑骨折でした。飛び降り自殺の線が濃厚で、このビルの屋上に遺書が置かれていました」
ビルを見上げると屋上まで目が届く。それほど高い建物ではないことが窓とベランダの数で断言できた。
「ただ、目撃者によると飛び降りる瞬間は見ていなかったそうなのですが、事件直後、屋上に人影を見たそうでして、殺人事件ではないかと言っているそうです」
目撃者の推論をあまり鵜呑みにする気はない。かといって人影と自殺者に直接の因果関係がないとは言い切れなかった。写真で見た遺体の状態だけから見たら自殺として処理されてもおかしくはない。今回事件化したのは死亡者が誰であったのか以外に、この目撃者の供述もきっかけの一つのであったのだろう。
「遺書にはなんて?」
「会社の未来を案じている節があり、自分には会社を傾けさせた責任があるだとか、今後の会社の方針をどうするのかと、会社のことが大半で家族のことや財産については一切触れられていないそうですよ」
事実、3か月前にSCHに株式が大幅に下がり、日本を担う企業の不振が話題になったばかりであった。
「かつてのサカキが追い詰められているなんてよ、時代が変わったよな」
倉本はしみじみと遠い眼をした。その視線は東郷の落下地点へと焦点が絞られて行く。
「それにしても、どうしてこんな場所なのかしら?」
智沙は簡単に周辺の地理を見回してみた。周囲はオフィスビルが点在し、背の高いビルはほかにもたくさんあった。そのうちの一棟のビルが自殺に使われたということになる。
「死亡した東郷会長となにか縁でもあるのかなあ」
「そうですね。子会社でも入っているのでしょうか?サカキグループも大きいですから、名前にはなくても子会社ですっていうところもありそうですね」
智沙はビルを調べてみた。エントランスの案内板に社名が記されていた。
地下に飲食店3店舗
・1階は不動産屋と地方銀行
・2階は商事会社と通信関係の会社
・3階はフィットネス施設
・4階は法律事務所と製鉄関係の会社
といった具合で、実に多様性に富んだ内容であった。
「子会社かもしれないところはありそうですね。無縁とは言い切れないようです」
碓井はそう言うと手帳にすべてを書き写した。
「班長、大変だ」
息を切らしながら倉本が言った。
「また真鍋班との共同だとさ。奴らまた俺たちに無駄足だけ使わせるだけ使っていい思いしようなんて企んでいるに違いない」
碓井は真鍋と聞いて一瞬手を止めた。口には出さないが平常心を妨げうる並々ならぬ複雑な感情を持っていた。
「そう、頼りにしましょう」
智沙は何でもない風にそういった。
「班長、今日はやけにクールですね。いつもはもっとなんかこう、変な威圧感が…」
「倉さん、私に威圧感なんてありません。人聞きの悪い言い方はやめてください」
「はい」
倉本は素直に返事したが、「怒られちまったよ」と碓井に聞こえるようにつぶやいた。
「真鍋班のことなら心配しないで。策があるから」にやりと得意げにほほ笑んだ。
「ここじゃあなんだから」とビルを後にした一行は現場から少し離れた駐車場に移動した。
いつものごとく智沙のマイカーに乗り込んだが、車内の蒸し苦しさに耐えきれず、すぐに外に飛び出した。仕方なく自動販売機の横の小さな屋根の下で即席の会議が始まった。
「策ですか?」
碓井が聞き返した。
「そう。真鍋班が嫌いとかじゃないんでしょ」
こうして他班の話を具体的にするのは初めてのことであった。長いこと共通意識としての仮想敵のような存在であったから、誰もが口にすることを阻んできたのだ。
「真鍋さんが嫌いって意識でいいわね」
「率直に言いますね。まあ、俺は同じ意見だ。碓井はどうだ?」
「実は同じです」
「よかった。他班といがみ合おうって気はないのよね」
「当然です。事件の解決は市民にとっての最優先ですから。協力するに越したことはありません」
そういった碓井の大きい瞳が輝いて見えた。
「倉さんは?」
「俺も碓井に共感する。ただ、渕上って男はわからんが、桑原はいい男だよ、ありゃあ、真鍋の部下にしておくにはもったいない」
二人の本音が効けた智沙は頼もしく思った。いがみ合いを求めず、ただ、まっすぐと正義を貫こうとするプロに私は支えられているのだ、と改めて二人を誇りに思った。
「それなら聞いて、桑原君は二人でカバーしてあげて」
「桑原さんをカバーする?」
碓井は言っていることがわからず聞き返した。
「そう。そして私は渕上を担当する」
「担当って、今回は班をバラバラに動かすんですか?」
倉本も班長の言っていることの半分も理解できていなかった。
「形式的にはそうかもしれないけれど、正確には班を少し拡大してみようってことです。豊川本部長とお話しする機会があったのは覚えているでしょう?」
「はい」
本部長に呼び出され、長いこと帰ってこなかった件は二人とも記憶に新しい。偽空き巣事件の結果報告であることは想像に難くなかった。イライラした真鍋が本部長室から出てきたものだから、よく覚えていた。
「あの時、他班との協力について聞いたのね。最小単位としての班を、もう少し拡大しても良いのかと。するとやはり成果という点で班は重要となってくるって話なんだけど、班長の同意があれば垣根を超えた吸収は可能になるということ。つまり、今回は実験的にそれを試みようかということです」
「つまり、真鍋さんは同意したということですか?」
碓井は少し期待した。3人体制になれていたせいか、仲間が増える感覚が新鮮であったのだ。まあ、彼女の場合は他にも理由はあるが、それはまた後の話だろう。
「あほか、碓井。真鍋に限ってそれはない。班長は本気ってことだよ」
「え?まさかそれって…」
困惑した二人をよそに智沙は自信をもって口を開いた。
「そう、今回は真鍋班長を無視して二人を取り込もうってこと。当然真鍋は怒るでしょうから、調査報告だけは真鍋さんに通してもらいましょう。欺くって言い方だとよくないけど、事件ごとにストレスになるのなら、こちらでコントロールして事件を解決しましょうって策です。どう、乗る?」
真夏の日差しがまぶしいが、それに劣らぬ笑顔であった。
倉本はその笑顔にはっとした。答えは考えるまでもない。
「面白い。班長!俺は乗るぜ。きっと何をしようと、あの辛気臭い、嫌味たらしい顔で責められるぐらいなら、こちらから先制攻撃と行こうじゃないか」
「そうですね。私も挑戦してみたいです」
「そうと決まれば始めるわよ。倉さんとさや、そして桑原を含めた3人は亡くなった東郷会長の周辺を調べてみて。今回の事件は自殺で済まされるような、簡単なものではない気がするから」
不自然な遺書と、遺体発見現場、つじつまが合わないところに真実が隠れている。ただの事故処理にしてしまうのはどうしても後ろ髪がひかれる思いだった。
「いいわね、くれぐれも真鍋さんには悟られないようにね」
念入りに注意を促した智沙だったが、杞憂に終わる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます