CASE.1-05
「倉さん」と智沙は後部座席の倉本に紙袋を手渡した。
「おう、サンキュー」
倉本は嬉しそうに紙袋の匂いを嗅いだ。
「おう!わかってんな。やっぱりドーナツだよな」
「なんですか?その発想は?」と碓井は楽しそうにした。
倉本はチョコレートのコーティングしたドーナツをもぐもぐさせながら、
「俺も事件現場といえばあんパンだったが、アメリカにかぶれたよなあ。ドーナツのバリエーションと糖分が欠かせねえや。なあ班長」
知恵は頬を赤くした。
「ええ?班長もそうなんですか?」と碓井はまた楽しそうにして遅い昼食におなかを満たした。
智沙の車で一時の休憩を楽しんでいると一人の捜査官が助手席側に姿を現した。
「あ!桑原さん」
碓井は食べかけのドーナツを膝に置き、お茶で一息ついた。
「挨拶にと思って」
「どうも、お疲れさん」倉本は親しげであった。
「収穫ありましたか?」と智沙に訊いていた。
「ボチボチね。今もうちで情報交換していたんだけど、仮説は立ててもこれといった証拠がなくて難航しているわ。そっちはどう?このあたりの聞き込みしていたはずだけど、何か新しい話は出ていない」
「そうですね…」と桑原は支給用電子ボードから情報を探した。それには彼らの班がアップロードした共有情報が書き込まれている。あえて全体の情報にアップしないのが彼らの班の姑息なやり方である。
そんな情報を桑原は躊躇うことなく教えてくれた。
「被害者宅はどちらかというと規則的ではない、つまり家を留守にするタイミングがまちまちだったそうです。宅配業者も不在は不定期なので気を使っていたそうです。ただ、夜間を留守にすることはなく、夫婦どちらかの気配は必ずあったとのことです」
「フムフム」
相槌を打ちながら碓井はメモしていった。
「近所付き合いはお隣さんと少々あるぐらいで、町内会関係に参加することはなかったそうですよ」
都市部に当たるこの地では町内会の存在が根付いていた。それも昔以上に近所づきあいが希薄になった今では町内会という存在のほうが少数派となっている。
それもこれも少子化が叫ばれる中、政府は手を講じることがなかったことが原因の一端でもある。世紀の大事件以降人口減少は人々の認識に目に見えて現れていったのだ。
桑原は饒舌的に続けた。まるで今まで話し相手がいなかったかように少し楽しげであった。
「そして昨日のことなんですが、事件発生時間は19時過ぎではないかとのことです。ガラスの割れる音がそのころに聞こえてきたという証言が多数ありました。割れているのを見たという人もいます」
まだ死亡推定時刻が明らかになっていない今この手の情報は重要である。こんな重要な情報を隠そうとしていたことに怒りを覚えそうであったが、桑原には悪意はない。
「ただ一方でお昼前にも物が割れる音が聞こえたという証言者もいます。ですが、雨音が激しかったせいか音はそれほど響かなかったらしく、気に留める程度で目視の確認はしていないそうです」
「興味深いな」と倉本は缶コーヒーを飲みほした
「ああ、ちなみにこの二つは僕の情報です。僕としてはどちらも嘘を言っていないと思います」
「そうだろうな。わかってるさ」
変な話だがこれには全員納得できた。
「わかってくれます?」と桑原は嬉しそうにした。
「おい!桑原!」
呼ばれた本人はわかりやすくドキリと頭をすくめた。
横柄な物言いに犬養班の面々は示しを合わせたように白い眼を向けていた。
「班長、たばこ休憩終了ですか?」
「ああ、終了だ。こっち来い。こんな奴らに構うな」
「でも…」という桑原をよそに襟をつかむや力ずくで引っ張った。
引っ張られた桑原は子犬のようにおとなしくしていた。
「あいつらはお前から情報が聞ければ十分なんだよ。手段を選ばねえ汚い奴らだ。犬養班の奴らとは馴れ馴れしくするな。わかったな!」
「でも…」とつぶやいた桑本に間髪入れず、
「俺に刃向かうな!」と怒鳴り散らした。
「真鍋班長、それでは桑原君があんまりです」
ひどい言われように、智沙は横暴さを晒す男に口を出さずにはいられなかった。
「こいつはまだ教育途中だ。そちらからの口出しは遠慮する」
短く刈り揃えられた髪の毛はまさにエリートである自分を意識してのスタイルなのだろう。細い眉毛に細い眼、メガネの印象が狡猾さをにじみ出ていた。
「真鍋、俺は桑原よりあんたのほうがみっともなく見えるぜ」
「何!みっともないだと!」
わかりやすく真鍋は頭に血が上りやすいタイプなのだ。額の血管がみるみると浮き出ていた。
「倉さん、あまり挑発に乗らないの」
「あいよ。すまん」と倉本は悪びれもせず、いつものように片手をあげて済ませた。
凍り付いた空気の中で智沙は落としどころを探したが、血が上ったに見えた真鍋は全員の予想に反して冷静に戻っていた。
「みっともなかった。倉本の言うとおりだ」
あの真鍋が自分を反省している。その態度に全員が肩透かしを食らった気分だった。
襟をつかまれた桑原でさえ、ぎょっとして真鍋を見つめていた。
しかしそれも真鍋の性格に裏打ちされた言葉だということを全員がすぐに理解できた。
「おめえらももう仕事は終わりだ。みっともなくズルズル事件を引きずっていたら税金の無駄遣いだって言われるだろうよ」
「どういうことですか?」
全く想像しなかった展開に智沙は単純な疑問を持った。
「仕事の遅いみっともないお前らはもう必要ないってことだよ。わかる?」
真鍋の言っていることが全く理解できず一同はどう反応すべきか考えあぐねていた。
「俺たちは解雇か?」と率直に伝わった通りの疑問を呈して見せた。
「フフフ」と不気味な笑いを発する真鍋はだれがどう見ても正気の沙汰ではない。
「勘違いするなよ。もう終わったんだよ。この事件は」
「え?」
一同は鈍器で殴られたような衝撃に襲われた。それは桑原も同様であった。
「ちょっと待ってください。事件が解決した?そういうことですよね?」と碓井は窓から身を乗り出して訊いた。
「ああ。だからお前たちの解雇もあながちないとは言い切れないよな」
勝ち誇った不敵な笑みを浮かべながら事件現場となった竹中家へと足を向けた。再び襟をつかまれた桑原は真鍋に体を預ける形で連れていかれた。
背後から「ちょっと」と智沙が声をかけても真鍋は一向に見向きもしなくなった。
「どうします?」
碓井は訳が分からず先輩たちに成り行きを見届けることとした。
今までも同じように真鍋班、主に真鍋個人からの嫌がらせまがいの妨害はあったにしても今回ほどひどい仕打ちはなかっただけに、智沙も倉本も怒りを取り越して呆然と思考が働かなくなっていた。
「班長、ねえ、気をしっかり」
「ええ」
碓井の声に智沙は気を取り戻した。倉本は一向に呆然としたままだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます