第16話

 だからと言って今の仕事を長々と続けるつもりはない。

 仕事はお金を貯めるための手段だ。お金を貯めて彼女は、バイクでアメリカ大陸を走ることを夢見ている。この大冒険の動機は、父とそして亡き兄を想ってのことではあったが、今の自分にとっては、それが生きる理由のひとつにもなっていた。

 短大を卒業してから、バイク便を中心にいろいろなバイトをしながらお金を貯め、ようやく冒険資金としての目処が立ってきた。出発はそう遠くない日となろう。叔母が持ってくる見合い話に、『こればっかりは…』と半ベソをかく理由がここにある。


 今日は休日だが、翔子は進んで稼働を引き受けた。出発の日を目指して、出来るだけ資金を確保しておきたいのだ。やがて、待望の配送依頼メールが配信されてきた。メールを確認してすばやく配送伝票を作成すると、iPadで位置を確認。バイクを走らせた。


 ピックアップを終えて、届け先へ向けて走行している最中に、ヨロヨロ、もたもた走っているバイクが目に入った。

 シルバーが眩しいネイキッドのリッターバイクという外観の勇ましさの割には、その走行があまりにも不安定だ。ライダーは酔っぱらっているのだろうか。

 仕事中はあの手のバイクに関わらない方が良いと判断した翔子は、充分距離を取ってゆっくりと追い越しを図る。すると、今度は後方から甲高いエグゾーストノイズを発して、カワサキZZ-R250が、翔子とリッターバイクの間をすり抜けてきた。ただでさえ乱暴なドライビングに加え、あろうことか追い抜きざま、リッターバイクに幅寄せをしてチョッカイを出した。驚いたリッターバイクは、転倒を免れたものの、ハンドルを揺らし無様な蛇行を余儀なくされた。


 翔子はこの手の冗談は大嫌いだ。仕事を忘れて、粗暴運転の説教をしようとアクセルを開けた瞬間、交差点を乱暴に右折しようとしたZZ-Rが、前から来た軽トラックの直進車と接触した。もちろんZZ-Rの車体と粗暴ライダーは弾き飛ばされ車道のフェンスに激突する。

 こんな事態になると話しは変わる。翔子は説教も忘れバイク仲間の救命のために、事故を起こしたライダーのところへ駆けつけた。


 顎紐を充分にしてなかったのか、路上に横たわるライダーのヘルメットはどこかへ弾き飛ばされている。翔子はメットを被ったまましばらく様子を伺ったが、ライダーはピクリとも動かない。急いで救急車を呼ぶと、変に曲がった頭の位置を直そうと手を伸ばしたその時、翔子は肩に手を掛けられたのを感じた。いつのまにか彼女の背後に男が立っていたのだ。


「触らないで…。自分は医師ですから任せてもらえますか」


 翔子は自分の位置をその医師に譲った。


 医師は、首筋の頸動脈に指をあて脈を取り、顔を横たわるライダーの口元に近づけて息の状態を調べた。ライダーはどうやら跳ね飛ばされたショックで心肺停止状態になっているようだ。医師はライダーの顎を優しく取るとゆっくりと引き上げ気道を確保する。そしてマウストゥマウスで2回ほど息をライダーの肺に吹き込み、胸手に手を添えて胸骨圧迫をすばやくおこない心肺蘇生をはかった。やがて翔子が呼んだ救急車が現場に到着すると、医師は救急隊員にAED(自動体外式除細動器)を持ってくるように指示。AED、人工呼吸、胸骨圧迫の組み合わせを2回繰り返したところでライダーが小さなうめき声を上げた。


 ヘルメットを取るのを忘れて、翔子はこの一連の対処を驚愕の思いで見守った。

 自分が立ち入れない世界だ。人の命を簡単に救う。だから医師は昔から尊敬の対象なのだ。医師は、ライダーの容態を確認すると、携帯電話でどこからかに連絡し、てきぱきと救急隊員に指示を出した。

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