風希と過ごした思い出に風希はいる
気づけば夜の海を正面に、波来は佇んでいた。彼女が消えた場所で。
「風希……」
波来自身、空気がまったく読めないから。悲観に包まれた自分たちの中で、波来が何をすべきなのか理解などできなかった。
だけど、風希がここに呼んでいるような気がしたから、今日も夜凪の波音を静かに聞き入る。
「僕はここにいるよ……」
涼しい風が吹き抜けて、ふいに空気の圧が変わったのか。背中に何かいるのを感じる。
そして、華奢でかわいらしい腕で、波来は優しく抱きしめられた。
「来てくれたんだね、波来くん」
「風希だよね?」
ゆっくりと振り向いて、彼女の笑顔を認める。
「ごめん、驚かせちゃった?」
「驚いたよ、でも驚くぐらいがちょうどいい」
そう答えると、風希は抱き留める腕をもっと強くした。
「痛い」
「ごめん、私の切なさ全部受け止めてくれると思って」
そうか、切ないって痛いことなんだと波来は察した。
ならばこそ、強めに抱きしめられることなんて、なんのことはない。
波来も泣き出してしまいそうだった。
「そういえば、なんだけど」
「何? 風希」
「デートしたことなかったね、波来くんと二人でデート」
「そうだね、いまからデートしようか」
風希が困った顔をする。また空気読めない発言をしてしまったか。
「ごめん、こういうときにどう反応すればいいんだろうね」
「海辺を散歩しよう、風希」
これくらいしか気の利いたことは言えない。そしてこの言葉自体、気が利いていると言えるほどいいものではない。
「うん、波来くんと二人きりで海辺のデート。素敵だね」
風希から受け止めた切なさで、胸の内が重くなったような気がした。
それから他愛のない話をしながら、波打ち際のそばを彼女と歩く。
同時に波来はこれからどうすべきか、いま何をすべきか、そのことで頭がいっぱいいっぱいになっていた。波来は気持ちの整理ができていない。ただこの場で風希のことを想ってやるだけ、それぐらいしか彼女にやってあげられることはない。
「波来くん」
「何?」
「風希ちゃんのことよろしくね」
あの風希本人のことを何よりも心配しているだな、本当に風希は優しい。
「うん、わかった」
「ありがとう、波来くんって優しいんだね」
いやいや、風希の優しさに比べたら、こんな気まぐれな優しさなんて塵芥程度に過ぎない。そんなことを口にしようとしたが、その言葉を受け止めさせるほど迷惑なことはないと察知し、波来は口を引っ込めて、ただうんうんと頷いた。
「波来くんは優しい、桔実ちゃんは優しい、ツカサさんは優しい。風希ちゃんも優しくなれた。きっとこれからもっともっと優しくなれる」
「そうだといいけれど……いや、きっとそうなるよ」
ここで疑問を呈するのはバカが言うことだ。バカになりたくなくて、波来は自分の言葉を直後に撤回する。
「好きだよ、風希」
「波来くん……私も波来くんのこと大好きだよ」
月並みな言葉しか出てこないけれど、それでちょうどいい。格好つけた飾り立てなんて、言葉に込めた情をかえって薄めるだけ。波来だって重々承知していた。そんな格好つけを用意する前にとっとと言ってしまえと最初から決め込んでいたから。
「好き、って暖かいんだね」
「え?」
「私、いま波来くんから好きだよって言われて、胸のなかが、ぽっと、ぽっとね、暖かくなった」
そう言われて、波来も途端に胸が熱くなった。
「たぶんいまここにいる私は、波来くんが持っている『私が好き』っていう感情そのものなんだと思う」
それは世の中の真理とか理屈とか、そんなことをあげつらう問題ではない。
きっとこれは彼女の持つ世界の見方なんだろう。
だったら、批判も反論も必要なんてない。そのまま受け止めるのが筋だ。
「私、安心した」
「安心しないでくれよ」
とても空気の読めない発言だと波来自身思っている。けれど、これは一番に言いたかったことだった。
「僕は正直、風希と一緒にいたい」
「波来くん」
「ごめん、不安にさせるつもりは毛頭ないんだ。けれど僕は君が離れていくのは、とても耐えられない」
周りの空気がどしっと重くなる。けれど、涼しい磯風が吹き抜けていく。
「空気読めなくてごめん」
「ううん、私も波来くんの立場だったら、きっと同じことを言ってた」
どこでも風希は優しいのだから、波来は時折苦しくなる。
「みんな冷たくないから、みんな熱いってぐらい暖かいから」
「風希……」
「波来くん」
泣き笑いの顔で波来の顔を見つめる。
「私のこと、忘れないでね」
「忘れないどころか、絶対に忘れられないさ」
「私のこと、好きでいてくれれば、私はずっと生きていられるから。波来くんが好きな気持ちが私自身っていうのは、そういう意味だよ。私はそう信じてる」
だから、ずっと一緒だよって風希は呟いた。
「もうそろそろお別れが近いかも」
「風希?」
「私もさすがに頑張りすぎたなぁ」
消える前兆を察知する。波来は行かないでくれと言いたかった。でも、そんなの時間をムダにするだけだった。
彼女の最後の言葉を一言一句漏らさずに、波来は正面から風希を受け止めようとする。
「私は波来くんのこと大好きだから」
「ああ」
「好きになるってそういうことだから。見えるのに見えない人がいるように、見えない人が見えるって、きっとそういうことなんだよ」
好きになることは相手を自分の一部にすること。人の心の中に相手が生き続ける。どこかのドラマで聞いたような台詞で実感がなかったけれど、目の前にして波来はその真理の重みを知る。
「そういやまだ私、波来くんに『はじめて』をあげてなかったね」
「風希?」
風希が波来に顔を近づける。
そっと口づけをした。
暖かいキスだった。好きという言葉よりもなお暖かかった。それは間違いなく風希の「好き」という言葉の至上。
「じゃあね、波来くん」
口づけからそっと離れて、風希がお別れの言葉を言いかける。
「じゃあね、じゃないよ」
波来はこの場で言わないといけないと思っていた。
「ずっとそばにいるよ、この思い出は二度と忘れないよ、僕が君のことを思うたび、君はここにいるんだって、僕は信じてるから」
「あ……」
頬を赤くして、彼女は幸せそうな笑顔を作った。
「何度でも会いに行くから、思い出の中で、君と」
「うん、私も会いに行くから。絶対に会いに行くから」
そよぐ磯風の圧が変わって、風希がいなくなった。
そして、我慢してせき止めていた涙腺から涙の雫が零れる。本当は寂しかった。
「波来くん!」
桔実が駆け寄ってくるのを、横目で見た。
「桔実ちゃん?」
「風希ちゃん来ませんでしたか!」
風希がいなくなって、桔実は慌てながら探し回っていたのだろう。
「いたよ」
「どこにいたですか?」
「いたよ、そしてここにいるから」
「え?」
桔実にはわかっていなかった。たぶんいま風希から言われたことを説明しても、理解は難しい。だから、この言葉は桔実の解釈に任せることにした。
「風希はいつもここにいるから」
ここにいるという言葉を、桔実は現在そして将来どう解釈するか、それを無責任に丸投げした。卑怯だけど、波来はそうするしかなかった。
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