何もできない風希、何かしなければならない風希
ここ数日、桔実は波来と口を利いていない。
挨拶をしようとすればできるものの、波来から話をしたくないオーラが出ているので、桔実も会話をする気になれなかった。
そんな鬱屈とした日々を過ごして今朝、風希からビデオカメラを返される。桔実はそうなるだろうと予想していた。
SNSに不良の抗争をゲラゲラ笑いながら実況する動画が流れていたからだ。
それだけならば幸いだっただろう。その動画のコメントに「お前は俺らの面子を潰した、近いうちに復讐する」と書かれていた。風希もそのことを知らないはずがない。彼女が戦々恐々としていないことに桔実は呆れかえる。
「風希ちゃん……」
カメラを返した後ろ姿を桔実は切なげに目にする。
もっと気持ちをしっかり持ってビデオカメラを渡すべきではなかった。取り返しがつかないことをしてしまった。その気持ちで胸がはち切れそうな思いである。
これからどうすべきか皆目見当もつかない。わからないから困惑するしかなかった。
学校が終わって心配になって不良仲間を連れ歩く風希の後ろ姿についていくだけ。
風希の仲間が「桔実のやつ、また金魚の糞になってますよ姉さん」とか言っているが、風希は「無視無視」と言う。ただ桔実はついていく。
そして街を一通り回ったところで、風希は仲間たちと分かれた。
それでも桔実は風希の後をついていく。
後をつけているのは風希自身もわかっている。
「なんでついてくるの?」とようやく一言くれたのが、ありがたい。
気にかけてくれるだけでちょうどよかった。
左に河川の横たわる住宅街に入る。
「風希ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫よ、どうせ私がやったなんてわかってないだろうし、あのコメントはただの脅しよ」
余裕をこいて風希はそんなことを言ってのける。
そう堂々としていられることが不思議でしょうがなかった。
風希自身に何かしらの力があるわけではない。
風希にあるのは、カリスマと不良仲間の人脈だけだ。
他に何があろうか。
桔実が心配になりながら歩いていく。ふいに後ろから多くの靴音が接近してくる。
まさかと思って振り返る。
人相の悪いどこかの男子生徒たちが、ポケットに手を入れて、にじり寄ってきていた。
「風希ちゃん」
裾を引っ張って、風希が振り向く。
さすがの彼女もこの異様な光景を見て、息を呑んだ。
「やばい」
早足で前へ前へと走った。
しかし、しばらく走った後で正面の横道からも同じ風体をした男子らが現れる。
「あっ」と風希が言ったときには遅かった。
風希と桔実は前後を不良どもに包囲される。
「わかってるだろうな、お前に復讐しに来た」
「ははっ、な、何のことよ?」
「とぼけんじゃねえ!」
ぴしゃりと叫んで風希が一歩下がる。
「お前は撮影していたつもりだろうが、仲間内でお前が撮影してるのを見たって奴がいるんだよ!」
「人違いでしょ?」
半笑いにごまかそうとする風希を、桔実は見ていられなかった。
「とりあえずこっち来い、お前の精神ごとしばき倒してやるわ」
そう言いながら、風希の手首を不良男子は掴んだ。
そのとき。
「待ってください!」
背中を震わせながら、首筋に両拳を触れて、目を瞑った状態で、桔実が叫んだ。
「なんだ、お前は?」
「撮影したのはわたしです!」
きょとんとした顔を見せる不良ども。
無視して風希の腕を引っ張ろうとする。
「こ、これを見てください!」
制止するようにビデオカメラを鞄から取り出した。
風希が撮った映像を、付属の液晶モニタに映して見せた。
SNSにアップされた動画にあったゲラゲラ声は後で編集して加えたものだった。だからそこに風希の笑い声はない。けれど不良の抗争を撮った映像がカメラに映し出されている。
「撮影したのは、このわたしです! 風希ちゃんは何も悪くありません!」
「いや、だが……」
不良が顔を見合わせる。風希から手を振り払い、桔実の手首を握る。
これから何が起ころうと構わない。桔実はそう思っていた。
「いい度胸だ、嬢ちゃん。いまからお前をしばき倒してやるわ」
横道に逸れ、桔実は不良ともどもと路地裏へと移動させられた。
風希はそれをただ見ているだけである。
「歯ぁ、食いしばれよ!」
両腕を絡め取られ、まず平手を一発、頬に食らった。
それから脇腹に蹴りを一発、そして膝小僧を蹴り飛ばす。
風希はおどおどとして、桔実を見ているだけだった。
だけど桔実はその風希に笑顔を見せる。風希は余計に戸惑う顔になる。
「風希!」
ふいに波来の声が聞こえた。
◆
波来は桔実のことをただ見ているだけの風希と対面する。
そして、その後ろにもう一人いた。
ツカサだった。
「ひさしぶりだな、風希」
「あっ……」
また会ってしまった。まさかここで消されるのか、とでも風希は考えているのだろうか。
「さっき、風体の悪い男子を見かけたから、もしかしたらと思ったんだけど……桔実は?」
気まずい顔で風希は手を震わせながら、ゆっくりと路地裏を指差した。
桔実の声は聞こえない。だが、桔実の顔を波来は垣間見た。
「この……」
波来が止めに入ろうとしたところを、ツカサが肩を掴んで止めた。
「ツカサ?」
首を横に振ってツカサは、風希の前へと出た。
「これが君の弱さだ、伊原木風希」
彼女は何ひとつ言い返すことができなかった。
殴りつけたり叩いたりする乾いた音だけが響く。波来は聞いていられることができなかった。
何より桔実が声を上げない、心が痛い。彼女は涙も零さず、ただ眼前の拳と足蹴に耐えるだけ。
風希が現実から目を逸らそうとしているのは、許せなかった。
「この弱者が」
ツカサの言葉に風希は何も言い返せない。まとめあげるだけのカリスマでハリボデを作ってきた結果がこれだ。一人の親友を目の前で助けてあげられない悲哀な気持ちなんて、甘んじて受けてやる必要などない。
この場で苦しまずにいる風希は、その苦しみで苛まれてしまえとさえ波来は思った。その考えは残酷だけれど、それは正当に考えてしかるべきことだから、波来は決して風希に優しい言葉をかけることはしない。
殴りつける音の連続に、風希が目をつぶりそうになるのは、まこと憎たらしい。
「何を苦しんでいるんだ、風希」
「苦しんで……?」
「どっちみち君が桔実くんを助ける理由なんてなかろう?」
ツカサの言う通りだ。風希には桔実を助ける責任も義理も何もない。すべては桔実が自ら犯人であると偽り、こうやって殴られているだけ。そのことに風希は何も関与しなくていい。風希はただ得しただけ。
笑みが零れるほどラッキーだと思っておけばいい。死んでしまいたいくらいありがたいではないか。
「すぐにここから去りたまえ」
その言葉が心を刺さないわけがない。自分には関係がないとここで逃げてしまうのも手だ。だが、自分の心にひとつでも優しい心があれば、桔実を助ける思いが少しでもあるはず。
その可能性に波来は賭けていた。
「行け、どこかへと消えてしまえ、風希」
「私は……」
「行け!」
「私は!」
風希は勇気を振り絞るように、口元を歪ませた。いつもの威圧をここで見せつける。
「あんたら!」
気づけば、路地裏で桔実を痛めつける不良たちが風希のほうに顔を向ける。
「なんだ?」
「やったのは私よ! 殴られてしかるべきはこの私よ!」
いっせいが黙り込む。束縛されていた桔実の両腕が解放され、不良どもがこちらに向かってやってきた。
「ようやくバカ正直になったな」
胸倉を掴んで不良は、額と額をぶつけて鈍い音を立てる。
殴られる標的は桔実から風希へと立ち替わった。
包囲されて、風希は声も上げられないほど苦悶に満ちた顔で痛みを受ける。
自業自得だと思えるほど風希は殴られた。
それでいい。
頃合いをはかった瞬間を見定めて、ツカサは不良の一人の腕をひっつかんだ。
「なんだ、てめえ。お前もしばかれたいか!」
「ふっ」
バチッと電気が走ったような音を立てて、つかんだ腕がぴくぴくと震え、不良一人が気絶する。
「何をしたお前……」
飛んでくる拳を受け止める。触れただけで気絶をした。
「な、なんだこいつは……」
「やべえ、ずらかれ!」
そうして蜘蛛の子一匹残さず、不良どもは去っていく。
この場に残されたのは、ようやく責め苦から解放され、疲弊しきった表情を浮かべた、風希と桔実だった。
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