第三十二話 粉雪が舞い散る夜、……衝撃のラストを迎えた。


 寒い日の夜だ。雪がちらついている。


 校舎の陰から、約十メートルの距離を保ち見つめている。……これが、俺に許された距離。だれが決めたわけではないが、俺が彼女を守るのに必要な距離だ。


 彼女は、俺の想い人。


 彼女は芸術棟の前にいる。フミフミと小さな足踏み。コートは着ているけど、見るからに寒そうだ。それでも見上げている。星空を仰いでいる。……待っているのだ。

 想い人を。

 俺は、彼女の想い人にはなれないようだ。



 だからこそ、『馬鹿野郎!

 俺を出し抜きやがって。かっこつけてんじゃねえよ……』だ。


 ――あいつは行っちまいやがった。音羽おとわが余計なことを言ったからだ。なぜ俺が、情報屋をやっているのか、本当の理由を。生活保護も受けられない母子家庭ということも。


 だったら尚更なおさらだ。金が欲しいじゃないか!

 でも相手がヤバい。……今度のは『仕事しごと』ではなく『いくさ』だ。


 あいつは……早坂はやさかは、出陣した。

 夜霧を裂きながら、敵陣に向かって行く。出門でもん仁平じんぺいという奴も一緒だそうだ。奴は何のためだ? ……我が悲願のために。友の仇を討つのだ。そう言っていたそうだ。



 ――決めた。

 いい機会じゃないか。俺は今回をもって、情報屋を辞める。


しばしの辛抱だよ、母さん。

 それから僕の想い人リンちゃん、待っててね、

 君の想い人、早坂……ではなくみつぐを、必ずここに連れ戻して来てあげるからね』


 ――走る。

 俺は走る。あいつらと同じように、粉雪を払い除けながら走るのだ。


 イメージは、バラード調のインストールメンタル。


 盛り上がる演出。ドラマとかでよくある大きな倉庫。ここが現場、仕掛けの場だ。音羽の指示で本田ほんだ佳子よしこが動いていた。彼女もまた情報屋。第二十九話参照で美津子みつこの妹。姉とは対照的で髪はショートで小柄。俺も小柄だけど十センチ近くの身長差がある。猫のようにとても身軽。俺の身軽なのとは種類が違う。いずれにしても、彼女がここを押さえたのだ。彼女のそばには仁平もいた。顔を見るなり早速だが質問だ。


「仁平、貢は?」


「ほお、ときも『貢』って呼ぶようになったか」


「そんなこと言ってる場合じゃないだろう、どうなんだ? 無事なのか?」


「血相を変えなくても無事だ。……お前にしちゃ珍しいな。もう潮時か?」


「ああ、その気だ。道連れ付きだけどな。最後の依頼があってな、あいつの首根っこつかんででも連れて帰るって約束したんだ。だから今日限りで足を洗ってもらう」


 間は置かれたが、わずかな沈黙だ。


「だったら俺もだ」と、仁平が、


「それから、あたしも」と佳子も、そう答えた。みな笑顔だ。



 ――仁平は言う。


「貢には十分、時間を稼いでもらっている。佳子には、さっき警察を呼んでもらった。俺は久保くぼに一太刀浴びせてやる。そして奴は現行犯逮捕される」


「……そうか。友の仇が討てるんだな」


「ああ、今日で終わりだ。だから、お前には貢の援護を頼みたい」


「合点承知よ。リンちゃんと約束したんだからな」


 仁平は驚いた。

「お前、リンダさんとしゃべったのか?」


「んなの、あるわけないだろっ! テレパシーだよ、テレパシー」

 ……無論、俺は超能力者でもない。



 手筈通てはずどおりに動く!


 倉庫の鋼鉄の扉を正面とするなら、左の窓には俺。右側には仁平が待機する。佳子は警察到着時の第一目撃者としての役割を担ってもらう。よし! これで決まりだ。


 ――すると、久保の持っている銃が、貢の額に突き付けられていた。


 おまけにだ、久保と同様に銃を持った男たち五人に、囲まれていた。……これって、絶体絶命というものではないのか? ああっ、悠長なことをしている場合じゃなくて、


 一刻の猶予もない!


「ふっ!」と掛け声。その瞬間にもボールを蹴り上げた。俺の遠距離戦といえば、サッカーボールだからだ。見る見るボールは高速回転化し、窓ガラスを突き破った。響く銃声にも負けず、ボールは球威を保ちながら、久保の顔面を捉えた。直撃した。


 不意を突く攻撃。早坂……やっぱり貢は、メイクなしでも風と同化した。『かぜめい』こそ、こいつの本性。素早い動きで、あの角柱型を上下逆に組み替えたシャーペンのようなもの。先端の麻酔針が刺さる。衛生のため一人一本。使い捨てで、コンクリートの地面に脱落。その針の数は五本。――周囲の五人囃子ごにんばやしならぬ五人が、麻酔の効果で倒れる。


 雛祭ひなまつりには早いけれど、

 もうすぐクリスマスだ。イブの夜も近い。


 久保は八割強の確率で、その日を刑務所で過ごすことになるだろう。だからこそ正義でなくても鉄槌てっつい! 俺と対面する窓から白い・・仁平が侵入。久保に木刀の一撃を決めた。


 白い鉢巻はちまきに、白の袴姿はかますがた。……覚悟の衣装だった。

 久保は、拘束の闇に落ちる。仁平は「さんっ!」と叫ぶ。それが合図となったのだ。


 誰もが涙した。

 情報屋稼業は、この瞬間をもって幕を閉じたのだ。


 それでもこの倉庫付近に、警察は到着するのだが、佳子は『ただの第一目撃者』となって、立派に最後の任務を果たした……という。もう思い出になるのだ。


 仁平と佳子とは現場で別れた。それでも俺は走って……いたはずだ。

 辿たどくなら、冒頭にあった芸術棟の前でリンちゃんが待っている。リンちゃんの待っている人は俺ではないけど、貢を連れて行く誓いを立てていたはずだ。


 ――なのに、


 粉雪程度でも寒いはずなのに、火傷やけどするくらい腹部が熱かった。ヌルッとした感触があり、手に取ると赤く濡れた。地面にも零れている。「母さん……」とつぶやいていた。


 フッと脚の力が抜けた。今は夜の情景のはずなのに、

 見えるものは真っ白だ。スーッと静かなる、涙にも似た感触を覚えた……。

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