鴇シリーズ第一章 くるくる想い出編

第十五話 新展開! 運命の日となった今日。


 ――二〇一五年六月二十日。思えば、この日が運命の始まりだった。



 夜明け前、ここ一番の闇の中に溶け込んで梅雨は消えた。そして、青空が爽やかな笑顔を見せた午前、身長百六十センチくらいの小太りで、年齢を知らなければまだ三十前半で通用しそうな男と、同じくらいの背丈。茶髪でショート。よく見れば白髪交じりの初老の女が、町工場から若干寄り道込みの徒歩二十分の道程を、まるで低空飛行のドローンに追跡されているようなイメージで、並んで歩いていた。



 この方向からだと、向かう先は、どうも公営住宅。

 だとすれば、二人にとっては帰り道だ。


 ……また第十三話も参考になるだろう。

 それも踏まえて、ここで語らなければならなかった。



 川合かわいとき。こう見えても今年の五月五日、四十六歳になっていた。


 十年前までは、千里でも五本の指に入る大手の電子機器製造会社に勤めていた。しかし訳ありの脱サラ。……できるなら訊かないでほしいと、本人は強く希望している。それから小さな町工場を立ち上げた。それでも町に染まらぬ都会技術。それが現会社の名前の由来となった。従業員は五名。人は変われども数は変わらず社員二名、パート三名を維持してきた。後にわかると思うが、彼と戦友の関係にある佳子よしこは経理兼事務の担当で、また妻でもあった。……今は、母の宮子みやこが手伝っている。



 このように、彼のことについては紹介も兼ね述べてきたが、抽象的な部分も残されており、叩けばまだまだ出てきそうな感じだ。しかしながらあまり多くを述べると、目的地に着いて待ちが増えそうなので、今はミステリーな部分として残しておこう。



 ま、そんなわけで、

 目の前の出来事をまずは整理し、動こうとしている川合鴇の場合の話だ。



 土曜の午前といえば、いつもは人とすれ違うことが珍しいほどなのに、この日は違っていた。その状況のもと、俺はお袋と一緒に九棟前の駐車場にいる。


 立ち尽くす。……いや、並んで立っている。

 そして、まあまあ広い。あくまで駐車場が。


 他の車の迷惑にならないようにと、細心の注意を払いつつも、効率よく空きスペースを利用している青とシルバーの真面目な感じのトラックが、オープンした状態で堂々と、トノサマバッタのごとく構えていた。そこから四五人の……何人かの若人わこうどが現れて家具らしき荷物を積むのではなく、順次降ろしていた。そして運び込む。九棟の中へと……。


 そこは、今まさに、俺たちが向かおうとしているルートだ。

 行き先は、そこの二〇二号室。休日の朝、しかも会社からの帰りでクタクタだ。



 ――せめてお袋だけでも。


 との思いもあって、次の荷物を運ぶだろうトラックまで戻って来た若人に、声をかけるため、今一歩を踏み出そうとした。その時だ。


 風に乗って、スーッと横切った。


 認識できた時は、もう後ろ姿で、青のジーンズ調のジャケットを羽織ったその下に、白いワンピースが見える。エンジェルリングまばゆく……長い黒髪の少女だった。


 心なしか早歩き、九棟の出入り口へと向かっているようだ。そこで待機していた二人の若人が、今この時とばかりにタンス……のようなものを持ち上げようとしていた。


 ――危ない!


 と思い、今一歩どころか、もう駆け出した。



 理由は三つある。一つは九棟とは限らず、また二十棟は例外として、この集合住宅全般の出入り口は思うほど広くない。エレベーターはなく階段のみ。二つは若人が持ち上げたタンス(……もうそれでいいや)が揺れている。したがって三つは、その間を少女が通り抜けようとしたとする。きっとぐにしか見ていない。若人、タンス、もしくは壁にも。最悪の場合は……ぶつかりそうで気が気でない。


 だから少女が出入り口に着くまでに、背後から手を差し伸べる必要があった。しかし肩を掴む前に少女は振り向いた。柔らかな笑顔。その中に何故か初恋の色にも似た白く懐かしき面影が見えて……と、浸っている余裕があるはずもなく右手首を掴まれ、景色が飛ぶ? その昔、よく宙を舞った。特撮ヒーローというよりかは時代劇。忍者のイメージがピッタリで、戦友の誰よりも身軽……だった。その頃の面影なんてまるでなしで、今はもう(何が起きたんだ?)と思う、ただの小太りのおっさんだ。


 それが証拠に、背中からの着地で、


「いてて……」と声を出し、ゆっくり上半身を起こす有様だ。


 おまけに「鴇」と俺の名を呼んで、お袋が歩み寄る最中、少女は目をパチクリ、言葉にすれば「アワワ……」という感じで、しゃがんで俺の顔を覗き込んだ。




「Uncle, I'm sorry……ゴメンナサイ、ダイジョウブ?」

 初めて聞いた少女の声。


 英語? 片言だけど日本語……今一度顔をよく見れば、ハーフ? とも思える。

 心配するお袋をよそに、俺は『大人の対応』というものを意識しながら、


「はは……大丈夫だよ。今の技は一本背負いだね。君は柔道を習っているのかい?」


「We are learning judo……あっ、柔道習ってるの」

 さっきよりも言葉が柔らかくなった。


「そうか、君は強いんだね」


「うん! 強いの」


 柔らかな日本語になった。そして少女は満面な笑顔を見せた。……ハッとした。先ほど宙を飛んだ際、垣間見えた懐かしき面影が、今再び、ここに見えた。繊細ですぐにでも切れそうな、それでいて切なく思えた日々……記憶の糸車が駆け巡る。


 まさか……。


 と胸中でつぶや丁度ちょうどその時だ!


「こら、海里かいり! あなた、またやったでしょ」

 と怒鳴り声、響く足音。


「ママ、ごめんなさい」


 少女の名前は『海里』というそうだ。彼女から『ママ』と呼ばれる女性と、その子供と思われる男の子が、こちらに向かって駆け寄ってきた……。



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