第47話 はしご

 仕事が終わって会社を出る前に、今日も残業で少し遅くなると景都に連絡した。

 そうしておいて、会社帰りに駅である人と待ち合わせをする。


 駅に着いた俺の車を見て小さく手を振るその相手は、誰あろう杏奈さんだ。


 ベージュのチェスターコートにオフホワイトのニットで、ネイビーのパンツを穿いた杏奈さん。

 今日の杏奈さんは、髪を綺麗にかしていて、メイクも完璧に決めていた。

 目がぱっちりとしているし、唇もグロスで艶々だ。


「お疲れ様です。今日は、よろしくお願いします」

 杏奈さんがそう言って助手席に乗り込んだ。

「景都ちゃんに見つからずに出られました?」

「はい、担当さんとの打ち合わせがあるって、嘘ついて出ました」

 杏奈さんが苦笑いで言った。


「どこか、決めていた店とかありますか?」

 俺が訊くと、

「いえ、お任せします」

 杏奈さんは恥ずかしそうに下を向く。


「それじゃあ、俺の馴染なじみの店でいいですね?」

「はい、お願いします」

 俺は車を走らせた。


 年末の街は、クリスマス一色だ。

 イルミネーションできらびやかだし、信号で止まるたびに、どこからともなくクリスマスソングが聞こえた。

 歩道に、俺達のような男女の二人連れも目立つ。


 杏奈さんの大きな瞳には、街のきらめきが映っていた。

 今日の杏奈さんはどこか大人っぽくて、その横顔に緊張する。

 大人の女性に大人っぽいとか言うのも失礼な話だけれど、いつもと全然雰囲気が違った。


 目的の店が入ったビル近くの駐車場に車を停めて、しばらく二人で歩く。

 忘年会シーズンってこともあって、人並みが絶えず賑やかだ。


「ごめんなさい」

 杏奈さん、何度も人と肩がぶつかって、そのたびに謝った。

 彼女は人混みの中を歩くのが苦手なのかもしれない。

 俺はそっと杏奈さんの肩に手を置いて、彼女を守った。

「すみません」

 杏奈さんが、消えそうな声で言う。



「ここです」

 目的の場所は、六階建てのビルの三階にあった。

 ビルのエレベーターで、三階まで上がる。


 エレベーターを降りたそこには、ショーケースが並んでいて、その中に無数のカメラとレンズが展示してあった。


「私は全然分からないので、大沢さんお願いします」

 杏奈さんは目の前の光景に圧倒されている。

「はい、任せてください」


 景都へのクリスマスプレゼントを買いたいからと、杏奈さんに同行を頼まれてここに案内した。

 杏奈さんは、景都にカメラのレンズを一本プレゼントしたいという。

 そういうことならと、俺は一も二もなく引き受けた。


 レンズなら俺の機材を貸してあげられるけれど、やっぱり、自分のものとなると撮るときの気持ちも変わる。

 人のレンズを使って、壊したらどうしようなどと遠慮しなくてもいい。

 写真に夢中になっている今の景都には、ぴったりなプレゼントだと思う。


 ここは俺が良く通っていた行きつけのカメラ店で、壁まで全てショーケースになった店内には、新品や中古のカメラやレンズが、所狭しと並んでいた。


「こんなに種類があるんですね」

 杏奈さんが目を丸くしている。

 ショーケースをずっと見ていたいところだけれど、ここは杏奈さんの付き合いで来ているんだと自分に言い聞かせた。


 杏奈さんの予算が10万円以内ということだから、俺は、Ai Nikkor 85mm F1.4Sあたりがいいんじゃないかと狙いを定めている。

 中古で、相場が七万円弱。

 人物を撮るのが好きな景都には、絶対に必要になるポートレートレンズだろう。


 ショーケースの中には、何本か在庫があった。

 店員に言って、程度が良さそうなその中の一本を見せてもらう。

 外観に傷やスレはほとんど見られず、レンズにも、問題になるようなちりの混入はない、コンディションの良いレンズだ。


「これでいいと思います」

 俺が言うと、

「では、これでお願いします」

 杏奈さんはあっさりと決めた。


 杏奈さんが会計を済ませているうちに、俺は、もう一本レンズを選んだ。

 ショーケースの中に入っている、Ai Nikkor 28mm F2.8S。

 これは、俺から景都へのクリスマスプレゼントにするつもりだ。


 杏奈さんのプレゼントが85㎜の中望遠レンズだから、俺は広角レンズを送ろうと考えた。

 景都のカメラ、ニコンF3が世に出た1980年代に完成したこの広角レンズなら、ボディにもぴったりだろう。

 薄給はっきゅうのサラリーマンにも、手が届く値段ではあるし。


 それにしても、このプレゼントのラインナップ。


 もし、高校生の時の俺がクリスマスにこんな二本をプレゼントされたら、俺は、サンタクロースにキスをして、一生忠誠を誓ったかもしれない。


 紙袋を提げて店を出た杏奈さんは、なんだか嬉しそうだった。

「やっぱり、プレゼントは贈る方も嬉しいですよね」

 俺が言うと、杏奈さんが大きく頷いた。



 買い物を済ませたあとで、俺は杏奈さんを元いた駅まで送る。


「それじゃあここで。景都ちゃんにバレないように、時間差で帰りましょう」

「はい、ありがとうございました」

 杏奈さんが車から降りた。


「あの……」

 車から降りた杏奈さんが何か言いかける。

「なんですか?」

「いえ」

 杏奈さんは紙袋を提げて小走りで行ってしまった。



 改札に向かった杏奈さんを見送ったあと、俺は駅のロータリーを一周して、また元の位置に戻る。


 そうしてしばらく待っていると、今晩、二人目の同乗者が現れた。

 ネイビーのPコートを着た彼女は、誰あろう景都だ。


「師匠、お帰りなさい。今日はよろしくお願いします」

 景都がそう言って助手席に乗り込む。

「お姉ちゃんは、担当さんとの打ち合わせに出掛けていて、私は佐緒里ちゃんの家に行くって言っておきましたから、大丈夫だと思います」

 景都が言った。

 俺は、笑いそうになるのをこらえる。


 そう、俺は、景都にもプレゼントの買い物に付き合うよう頼まれていたのだ。

 景都は、杏奈さんへのクリスマスプレゼントを買いたいから内緒で付き合ってほしいと言ってきた。

 俺は、それも一も二もなく引き受けた。

 偶然二人の日にちが重なってしまって、今日はこんなふうに買い物のはしごになった。


 お互いが、このことは内緒にしてくださいねって言いながら俺に頼んできた二人。

 こんな可愛い姉妹のためなら、俺は協力を惜しまない。


「師匠、なんか、お姉ちゃんの匂いがしません?」

 景都が言うから、俺はそれを誤魔化すのに少し苦労した。

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