第45話 Df使いの彼女

「お邪魔します」

 俺がこのマンションに住むようになって初めて、景都の友達が遊びに来た。

「いらっしゃい」

 俺は、リビングのソファーから立ち上がって挨拶あいさつする。

「いらっしゃい」

 俺の隣には杏奈さんも座っていた。


 ただ、景都の友達が来るだけなのに、なんだか緊張する。

 俺は朝から念入りにひげを剃って、新しいシャツなど下ろしてしまった。

 ケーキでも買ってきた方がいいんじゃないかと景都に言って、落ち着いてくださいとあきれられる。

 我が子にうざがられる典型的な父親のような態度をとっていた。



「お友達の、片桐かたぎり佐緒里さおりちゃんです」

 景都が紹介する。

「初めまして、片桐です」

 彼女が丁寧に頭を下げた。

 黒髪のロングヘアーで、前髪をぱっつんにした女の子。

 景都より少し背が低くて、色白で、黒目がちな目が印象的だった。


 彼女は、ケースに入れたカメラを肩に提げている。


「それから、こっちがお姉ちゃんで、こちらが、お姉ちゃんの婚約者の大沢さん、私の写真の師匠です」

 景都が、今度は俺達を紹介した。


 もう俺の身分は、杏奈さんの婚約者ということで定着してしまったらしい。


 彼女は、景都が北海道の修学旅行で一緒に写真を撮って回った写真部の同級生だ。

 それ以来仲良くなって、景都が写真部に出入りしたり、一緒に帰ったりする仲になった。


 挨拶が終わると、二人は景都の部屋に行ってしまった。

 景都の部屋から二人の楽しそうな笑い声が聞こえる。

 俺が笑われたんじゃないか、なんて、そんなことを気にした。


「大沢さん、落ち着きましょう」

 杏奈さんに言われる。

「ええ、そうですね」

 別に景都の友達が来たからと言って、俺が何をするものでもないのだ。


 ソファーで新聞でも開いてみた。

 落ち着いてくださいと言いつつ、杏奈さんも気になるようで、一緒にリビングにとどまってソファーで本を読んでいる。


 すると、しばらくして二人が部屋から出て来た。


「師匠、佐緒里ちゃんが師匠の機材部屋見せてほしいってことなんですけど、いいですか?」

「ああ、もちろん」

 俺は彼女を部屋に案内する。


「わあ、すごい!」

 防湿庫の中のレンズやカメラを見て、佐緒里ちゃんが目を輝かせた。

 彼女、口を半開きにして、夢中になって見ている。


「使ってみたかったレンズばっかり。いいなぁ、景都ちゃん。こんなお兄さんがいて」

 佐緒里ちゃんが、チラチラと俺を見ながら言った。

 これらの機材をコツコツ集めてきたのがむくわれた気がする。


「佐緒里ちゃん、カメラに着けさせてもらえば?」

 景都が勧めた。

「いいですか?」

 佐緒里ちゃんが俺に訊く。

「もちろん、どうぞ」

 俺が言うと、彼女は肩に掛けていたケースから自分のカメラを取り出した。


 彼女のカメラはニコンのDfだ。


 フルサイズのデジタル一眼レフカメラで、フィルムカメラのニコンFMやFEのような外観をした、レトロなデザインのカメラ。

 今時のカメラにして、動画撮影やWi-Fi機能ははぶかれているけれど、非Aiの古いニコンのレンズも装着出来るこだわりの一台だった。


 ニコンDfを持つ女子高生。

 佐緒里ちゃんとは、俺も友達になれそうな気がする(いや、変な意味ではなく)。


 彼女は食い入るように防湿庫の中のレンズを見詰めて、その中から、Voigtlanderフォクトレンダー NOKTONノクトン 58mm F1.4 SL IISを選んだ。

 58㎜で標準レンズより若干じゃっかん長く、ふんわりとした、オールドレンズのような描写が楽しめるレンズだ。

 外観も、どこか懐かしいデザインをしている。

 このレンズを選ぶなんて、やっぱり、彼女とは美味い酒が飲めそうな気がした(未成年だから飲ませないけれど)。


 選んだレンズをDfに着けてみる佐緒里ちゃん。

 レトロなデザインのカメラに、レトロなデザインのレンズはよく似合っていた。

 彼女はファインダーを覗いてレンズを景都に向ける。

 脇を締めてカメラを構える姿が様になっていた。


「あの、師匠、佐緒里ちゃんと試し撮りしてきていいですか?」

「うん、行っておいで」

「ありがとうございます!」

 佐緒里ちゃんが頭を下げる。

 景都も自分のF3を持ち出した。

「一本と言わず、色々と試してみたら。使いたいレンズを持って行っていよ」

「はい、それじゃ、遠慮なく」

 俺もしばらく使ってないから、レンズだって、彼女達に使ってもらったほうが幸せだろう。


 二人は、あれこれ相談しながらレンズを選んだ。

 洋服かパンケーキでも選ぶみたいに、キャッキャ言いながら選ぶ。

 結局二人は、三本ずつレンズを選んでマンションを出て行った。

 フィルムとデジタルの違いはあれど、両方のカメラでレンズが使えるから、都合六本のレンズを楽しめるだろう。


「二人とも、楽しそうですね」

 二人を見送った後で、俺はリビングに残った杏奈さんに言った。

「はい」

 そう答えた杏奈さんの目が涙ぐんでいるのが分かる。

 杏奈さんも、しばらく景都がここに友達を連れてこなかったことを心配していたから、安心したんだろう。


「大丈夫ですよ。景都ちゃんなら、誰にだって好かれますし、本当に人の気持ちが分かる良い子ですから」

 俺が言うと、杏奈さんが深く頷いた。


「それじゃあ、残された僕達は、買い物にでも行きましょうか?」

 いつも週末は三人で買い出しに出掛けている。

 そこで一週間分の食材を買い集めるのだ。


「ほら、婚約した者同士、買い物に出ましょう、涙を拭いてください」

 俺が言ったら、杏奈さんが笑顔を見せる。


「婚約者とか、景都が変なこと言って、ごめんなさい」

「いえ、こちらこそ」


 杏奈さんが着替えて、二人でマンションを出た。

 出掛けに俺は、防湿庫からコンパクトフィルムカメラのリコーGR1vを持ち出す。


 被写体に威圧感を与えないコンパクトカメラで、杏奈さんのスナップを撮りたいとか、そんなことを考えたのだ。


 

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