第29話 誘拐犯

 高速を飛ばしてマンションに着いたのは、八時前だった。


 ドアを開けると、ちょうど自分の部屋から出てくるところだった杏奈さんと鉢合わせる。

「えっ! 大沢さん? どうしたんですか?」

 杏奈さんは、幻でも見るような目で俺を見た。

 早朝出て行った俺が、何も言わずに戻って来たんだから、驚いて当たり前だ。


「杏奈さん、行きましょう。俺の実家に、景都ちゃんも連れて」

 なんて切り出していいか分からず、直接的に言ってしまった。

 感情が高ぶっていて、少し目が血走っていたかもしれない。


「えっ?」

 当然、杏奈さんは戸惑う。


「杏奈さん、お仕事、パソコンを持って行けば出来ますよね」

「は、はい……」

「編集の方もお盆休みですし、打ち合わせとか、ないですよね」

「はい」

「それなら、俺の実家で仕事をしてください。涼しいし、広い風呂もあって、仕事をするのにいい環境なので、執筆もはかどるかと思います」


「わ、分かりました……」

 そう答えたものの、杏奈さんはまだピンときていないようだった。

 俺の語気に押されて返事をしただけだ。


「それから、まず、服を着てください」


 杏奈さん、俺がいなくなったら、途端にキャミソールとパンツ一枚で部屋の中を歩き回る生活に戻っていた。

 黒のキャミソールとパンツしか身につけていないから、目のやり場に困る。


「きゃ!」

 自分の姿に気付いて、急いで部屋に引っ込む杏奈さん。



「師匠!」

 玄関の騒ぎを聞いた景都がリビングから出てくる。


「師匠、ご実家に行ったんじゃないんですか?」

 当然、景都も訊いた。


「うん、一旦実家に帰ったんだけど、また、戻ってきた。二人を迎えに来た」

「私達を? 迎えって?」

 部屋着のスウェットで、完全にくつろいでいた景都。


「うん、二人に、俺の田舎を見てほしいんだ。そこでお盆休みを過ごそう。旅行じゃないけど、そこで夏の思い出を作ってほしい。そこは被写体になりそうな風景がたくさんあるし、いろんな写真が撮れると思う。景都ちゃんも絶対に気に入ると思う。だから、予定がなかったら、ぜひ、来てほしい」


 俺が言うと、景都の目が見開かれて、ぱっと、頬に赤みがさした。


「はい! すぐに支度します!」

 自分の部屋に戻って、荷物をまとめる景都。

 ばたばたと、部屋の中を引っかき回す音がした。


 二十分後、玄関に戻った彼女は、大きなバッグを持って、首からニコンF3を提げている。

 杏奈さんも、仕事の資料やパソコンをスーツケースにまとめて持ってきた。

 戸締まりをして、マンションを出る。


「ホントは、師匠が誘ってくれないかなー、なんて、思ってたんですよ」

 出掛けに景都がそんなことを言った。




「お母さーん、お婆ちゃーん、和君が、JK誘拐してきた」

 三人で実家に帰ると、玄関でそれを見ためいの七海が姉と母を呼ぶ。


「人聞きの悪いこと言うな」

 俺が言うと、七海がおどけて舌を出した。


 渋滞を避けて下道を行ったりしたけれど、実家に着いたのは午後十一時を過ぎている。

 七海の声を聞いて、母と姉が玄関に出てきた。

 うちの家族と景都と杏奈さんは、お互いわけも分からず、「こんばんは」って頭を下げる。


「お客さん連れてきた。二人もお盆休みの間、ここに泊まるから」

 俺は母に言った。


 それを聞いた母は、短く溜息を吐く。


「お客さんを玄関に立たせておいてどうするの、上がってもらいなさい」

 母が言って、ひとまず二人を客間に上げた。

 全員で客間の座卓につく。

 俺と杏奈さんと景都、母と姉と七海が、対面に向かい合って座った。


「こちら、一緒に暮らしている小早川杏奈さんと、小早川景都さん」

 まず、二人を紹介する。

「そして、こっちが、母で、姉、そして姪の七海です」

 次に、家族を景都と杏奈さんに紹介した。


「俺達は今、この三人で暮らしてます」

 俺が言っても、母は落ち着いていて表情を変えなかった。

 姉は眉を寄せる。

 七海は、「えっ?」って、単純にびっくりしていた。


 俺は、景都との出会いから、三人で暮らすようになった経緯を説明する。

 説明しながら、どうしてこうなったんだって自分でも不思議に思った。


「なんで、そんな大事なこと、連絡しないの」

 最後まで話を聞いた母が言う。

 引っ越したことは連絡していたけれど、二人と同居していることは伝えてなかった。


「こっちはまあ、うちの弟がどうなろうと別にいいんだけど、お二人の親御さんとかはどうなの?」

 姉が訊いた。

 弟がどうなろうと別にいいって、どういうことだ。


「その辺は……」

 俺が言いよどんだら、母が姉を制した。


「分かりました。景都ちゃん、杏奈さん、息子が、いつもお世話になっています。あなた達は、ここを自分の実家だと思って、お休みのあいだ、ゆっくりしていってね。大歓迎よ」

 母が、景都と杏奈さんを見て表情を緩めた。

 俺の言い方や雰囲気から、母は二人のご両親のことをさっしたんだろう。


「よろしくお願いします」

 景都と杏奈さんが頭を下げた。


「景都ちゃん、何年生?」

 七海が訊いた。


「高二です」

「やったー、私、一度、お姉ちゃんが欲しかったんだよね」

 七海の人懐ひとなつこさに救われる。

 そこで一気に場がなごんだ。


「和臣、じゃああんたはご飯を食べなさい。ご馳走用意したのに、飛び出していくもんだから」

 母に言われる。

 腹がすいていたことに、そこでようやく気付いた。


「景都ちゃんと杏奈さん、ご飯は?」

 母が訊く。

「はい、私達は食べました」

 景都が答えた。


「ねえ、杏奈さん、晩酌ばんしゃく付き合わない? お酒いける口?」

 姉が訊く。

「はい、たしなむ程度に」

 杏奈さんが答えた。

 お俺が知る限り、杏奈さんはたしなむ程度じゃないと思うんだけど。


 その晩、遅い夕飯を食べながら、俺も姉と杏奈さんの晩酌に付き合った。

 マンションと実家を行き来して、運転で疲れていたのか、不覚ふかくにも酔い潰れて途中で寝てしまった。


 俺は、杏奈さんと姉がなにか楽しそうに話をしているのを聞きながら眠りについた。


 とりあえず、こうして二人を連れてきたのは、間違いじゃなかったと思う。

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