第27話 ショーウインドウの中
「師匠! こっちこっち!」
景都が大声で俺を呼んだ。
道行く人が、何事かと俺達に注目した。
街中で、あんまり大きな声で師匠って呼ばれると困る。
「ほら師匠、お姉ちゃんの新作、すごいディスプレイしてもらってますよ!」
景都の声が弾んでいた。
セーラーカラーが付いた涼しげな水色のブラウスに、白いキュロットスカートの景都。
書店のショーウインドウに、杏奈さんのペンネーム「巻上ケイト」の数日前に発売された新作と、今までの著作が
この書店の一番良い場所で、店員さんが気合いを入れてこの本を推してくれたのが分かる。
「さっそく、お姉ちゃんに写真撮って見せてあげますね」
景都はそう言って、首から提げていたF3をショーウインドウに向けた。
慣れた手付きで電源を入れ、絞りを決めてピントリングを回す。
そうやってショーウインドウにレンズを向けた景都が、しかし、中々シャッターを切ろうとしない。
「師匠、ショーウインドウの中を撮りたいんですけど、なんか、周りの景色が映り込んでて、中があんまり見えません」
景都はファインダーから目を離した。
ショーウインドウには、街の風景や、写真を撮ろうとする景都自身、書店の前に停まった車のウインカーが映っている。
それで中の様子が見えにくい。
「それじゃあ、これを使ってみよう」
「なんですか? これ」
俺がポケットから出した丸いプラスチックのケースを、景都が興味深そうに眺めた。
「これは、レンズの先端に着けるフィルターで、PLフィルターっていうんだよ」
「PLフィルター、ですか?」
プラスチックのケースに入った円形のそれ。
一見、スモークを貼った薄いガラスだ。
「それをレンズに着けると、こういう、ショーウインドウに写る光の反射を取り払って、中身を綺麗に写せるんだ。ショーウインドウのガラスだけじゃなくて、水の反射も取れるから、池とか湖では水中を写すこともできるんだよ」
「へえ、これでですか」
景都は
「レンズの先端に、ねじ込んでみて」
「はい」
いつも使っている50㎜ F1.8の先端に、景都は言われた通り、フィルターをねじ込む。
「そのフィルターの縁がくるくる回るから、ファインダーを覗きながらそれを回して、ショーウインドウが綺麗に見えるような位置を探してみよう」
「はい…………あっ、師匠、中が綺麗に見えるようになりました」
「うん。それじゃあ、撮ってみようか。でも、このフィルターをつけると少し暗くなるから、手ぶれには気を付けて」
「はい、師匠」
景都が脇をがっちりと固めた。
ショーウインドウのディスプレイを、角度を変えて何枚か撮る景都。
「なんか、魔法みたいに、反射がスッと消えますね」
「そうだね。PLフィルターは、こうやって余計な光の反射を取ってくれるから、紅葉を撮ったりするときにも使うといいよ。葉っぱの表面の光の反射がなくなって、鮮やかな色で撮れるからね。もやっとした空も、これで濃い青にすることができるし」
「秋になったら、撮ってみたいです」
「フィルターには、このPLフィルターの他に、レンズに入る光の量を抑えるNDフィルターとか、イルミネーションが綺麗に撮れるクロスフィルターとか、画面がふわっとするソフトフィルターなんかがあるんだ。フィルターにこり始めると、ここにもまた、深い沼が待ってるんだよ」
フィルムカメラでは、後からソフトウェアでどうにでも加工出来るデジタルカメラより、その役割が重要になる。
「師匠、また沼ですか。沼だらけじゃないですか」
景都が肩を
「そうだね。それは否定しない」
「もっとたくさんバイトしないと」
その沼にはまっていく前提で、抜け出そうなんて考えないのが景都らしい。
その後も、景都と何件か書店を回った。
書店に杏奈さんの著作がちゃんと並べられているかを見たり、休日の街の写真を撮ったり、景都とあてもなくぶらぶらする。
最近、休日に昼まで寝ている、なんてことがなくなった。
おかげで運動不足が解消されて、腹回りがスッキリした気がする。
「そういえば、杏奈さんの小説の主人公って、どこか景都ちゃんに似てるよね」
歩きながら景都に訊いた。
「新作の主人公、アルベルティーヌもそっくりだと思った」
杏奈さんに見本誌を読ませてもらったけれど、そのまま、景都のような行動をとるし、喋り方も似ている。
彼女の顔を思い浮かべながら読むと、実にしっくりきた。
「師匠
景都が口を尖らせる。
「いや、そっくりだと思うよ」
小説の主人公だから少しはデフォルメされてるけれど。
「それに、私、あんなにプロポーションよくないし」
そこはなにも言えなかった。
「あ、師匠酷い! そこは、『そんなことないよ』でしょ!」
景都が可愛く抗議する。
「ねえ、景都ちゃん。景都ちゃんとお姉さんは、お盆休みどうするの?」
俺は何気なく訊いた。
「えっ、普通にうちにいますけど」
「そうなんだ」
「はい、師匠は実家に帰るんですよね」
「ああ、ちょっとくらい田舎にも顔を出さないとね」
親に会うのは、盆と暮れくらいになって久しい。
「そうです。ちゃんと、ご両親に師匠の顔、見せてあげてください」
「ああ、うん」
彼女にご両親のこと思い出させてしまったみたいで、反省した。
「よし、今日は出版記念で、夕飯はお姉ちゃんにご
「そうだね」
「お姉ちゃんのご馳走っていっても、チーズ入りハンバーグなんですけどね。お姉ちゃん、舌が子供なので」
杏奈さん、ハンバーグとか、ミートソーススパゲッティとか、オムライスとか、そんな感じのものばかり好きだ。
「そうだ、私、師匠にお姉ちゃんが大好きなハンバーグの作り方教えますよ」
「えっ? ああ、うん」
「ほら、異性の心を
「ん?」
「ん?」
俺と景都が同時に発した。
そのメニューだと、異性の心っていうか、杏奈さんの胃袋しか掴めないじゃないか。
「とにかく、チーズ入りハンバーグの作り方を教えるので、師匠のレシピに加えてください」
景都が慌てて言った。
スーパーで買い物をして、マンションに帰る。
スーパーのレジ袋を提げて歩きながら、お盆休み、二人を残して実家に帰るくらいなら、今年はそれを取りやめにしようかって、一瞬、そんな考えが頭をよぎった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます