第11話 誤算
「先輩、総務の松本さんから、先輩に来てほしいって連絡ありました」
設計部の全体会議から戻ると、姫宮が教えてくれた。
「ああ、分かった」
俺は、面倒な会議の後で凝り固まった肩を回しながら答える。
「なんですか先輩? ついに、私と結婚することを会社に報告したんですか?」
姫宮が適当なことを言った。
「そうだな。やっと俺も決心がついたよ。今まで待たせてゴメンな」
俺が言ったら、
「ええええっ!」
って、知世ちゃんが大きな声を出す。
彼女はびっくりして椅子から立ち上がっていた。
「いや、知ちゃん。姫宮の軽口に付き合っただけだから」
俺は慌てて言う。
「ああ、そうなのですね」
この「知ちゃん」は、真面目で仕事も出来るのだけれど、どこか世間からズレている。
会社のサークルからチャリティーバザーの出品物に不要品の提出を求められたとき、某有名ブランドの、人が入りそうな大きなトランクを持ってきたのは、有名な話だ。
「じゃあ、ちょっと行ってくるから」
会議の資料をデスクに置いて、その足で総務まで行く。
俺を呼び出した総務の松本さんは同期だった。
総務の無気力な部長を差し置いて、実務を仕切っている。
入社時、会社が外部委託した新人研修の
その腕っ節の強さで、俺達同期の中でリーダー的な地位にあった。
面倒見が良くて、
俺が顔を出すと、松本さんは部屋の隅の応接スペースに俺を誘った。
いつも通り、後ろで髪をきっちりととまとめた松本さん。
制服を羽織って、シャツは腕まくりしている。
「大沢君、独身寮に入寮希望の届け出してたよね」
応接スペースのソファーに向かい合って座って、松本さんが訊く。
「ああ、なんか、そういうことになってしまって」
「君はあの彼女と、そのままゴールインすると思ってたんだけどな。あんな綺麗な人を射止めたのが、同期の誇りだったのに」
同期だけに、色々と事情を知られていて、言い
「まあ、縁がなかったってことかな」
俺の言葉に松本さんは無言で肩をすくめた。
「それで本題なんだけど、うちの独身寮、入寮出来るのは三十五歳までなんだよね」
「えっ?」
思わず声を上げてしまう。
総務にいた数人がこっちを見た。
「でも、この前申請したときは、届けを受理してもらえたんだけど」
「ごめんなさい。こういうケースが
すぐ近くの席にいた、その「うちの子」が、「すみません」と俺に向けて頭を下げる。
確か、杉内さんていっただろうか。
一度独身寮を出た社員が数年後に舞い戻ってくるなんて、相当珍しいことに違いない。
それだけに彼女を責められない。
「まいったな」
当てが外れた。
「悪いけど部屋は自分で探して。家賃補助、増し増しでサービスするからさ」
いや、ラーメンじゃないんだから、家賃補助に「増し増し」とかないでしょ。
「それとも、いっそのこと家建てちゃう?
「俺にそんな
俺が言ったら、松本さんが大声で笑った。
「じゃあ、そういうことだから」
「どうもお騒がせしました」
松本さんに礼を言って、総務部を後にする。
今のマンションの管理会社には、もう退去することを伝えてあるし、すぐに部屋を探さないといけない。
今週末、景都と撮影に出掛ける約束をしたのを思い出して、昼休み、すぐ彼女に断りのメールを打った。
メールを打って一分もしないうちに、彼女から電話がかかってくる。
「師匠! 行けないんですか?」
一言目でそんなふうに投げかけてくる景都。
スピーカーから、
「うん、申し訳ない」
電話口で、当てにしていた独身寮に入れなくなったことを彼女に説明した。
「だから、次の休みは部屋探ししないといけなくなったんだよ。撮影は無理かな」
「そうですか……残念です……」
景都の表情が曇るのが電話口でも分かった。
なにか彼女に
「あの、師匠。もしかして、お姉ちゃんが師匠を殴っちゃって、師匠、怒ってるんじゃないですよね?」
景都がそんなことを訊いた。
「まさか。確かにびっくりはしたけど、それはもう、なんとも思ってないよ。お姉さんは、景都ちゃんのこと心配してのことだったし、突然、大切な妹のところにこんなおじさんが現れたら、お姉さんもああいう反応をするよ」
「だったら、いいんですけど……」
「ごめんね。そういうことだから、部屋が決まって落ち着いたら連絡する」
「はい、お願いします」
彼女はそう言って、寂しそうに通話を切る。
切ったあと、なんだか後味が悪かった。
「先輩、どうしたんですか? 援交中の女子高生にでも振られましたか?」
部署に戻った俺の顔を見て、姫宮が言う。
姫宮は、どこか勘がいいところがあって困る。
「えっ、先輩、やっぱり援交してたんですか?」
知世ちゃんがびっくりして声を上げた。
「いや、だから……」
彼女に、姫宮が俺をからかっただけだと説明する。
我が部署は、こんな会話の繰り返しだ。
昼休みも終わろうとする頃、景都からもう一度電話が掛かってきた。
「ししょー! 喜んでください!」
さっきと違って、やけにテンションが高い景都。
「どうしたの?」
「はい、知り合いの不動産屋さんに師匠のこと話したら、紹介出来る物件があるっていうんです。家賃も安くて、とっておきの部屋があるそうです」
「えっ?」
「だから、撮影行きましょう。撮影が終わったら、師匠をその不動産屋さんに案内しますから」
景都だって学校で昼休みの時間だろうに、俺のために色々と掛け合ってくれたのか。
「そういうことなら、お願いしようかな」
「はい! お願いされてください!」
嬉しくてぶんぶんと
彼女が紹介してくれるという不動産屋が不発だったとしても、別の日に半休でも取って部屋を探せばいいかって、そんなふうに考えた。
とにかく、週末は彼女に付き合おうと思った。
不動産屋巡りになると思ってた週末が、彼女と撮影に出かけることになって、午後からのもう一本の面倒な会議も、これで乗り切れそうだ。
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