第79話 閑話 長岡愛哩3

 時折、ふと思う。




 私と悟くんが読んでいるのは、本当に心なのだろうか。




◇◇◇




 島本君から告白を受けたその日の夜。私は部屋で予習を終えて一息ついていた。


 ぐい、と伸びをする。身体が凝っていたのか背中の辺りからパキっと音が鳴った。まるで今の私の心の中みたい。


 悟くんにトラウマを植え付けた張本人、確か知業って人を初めて見た時、私は心の底から悟くんを不憫に思った。


 だって知業さんはどう見ても悪い人には見えなかったから。そんな人が耐えかねて爆発させた本心、そんな人に拒絶された悟くんの当時の胸中を考えると、他人事なのに自分の呼吸が浅くなった気がした。


「……他人事、なんだよね」


 自身の思考に私は酷い自己嫌悪を覚える。


 そう、他人事なのだ。


 あれだけ悟くんのことをわかってあげられて、あれだけ私のことをわかってくれて、初めて本当の意味で共感をすることもされることも出来る悟くんのことでさえ、私は他人事と感じてしまう。


 赤ちゃんは自分と周りの区別がつかないから口に入れてそれは自身がどうか確かめるというけど、私が思うに、それは今の普通の人私以外もまだ引きずっているんじゃないかな。


 他人のために笑えて、他人のために泣けて。それはある種他者への自己同一性。


 それが出来ない私は、多分究極の排他主義者なんだと思う。


 自己嫌悪が最高潮に達したのでベッドに身を投げる。ぼふ、と気の抜けた音がした。


「……こんな私が、みんなと一緒に居て良いのかな」


 漏れてしまった本音は誰にも聞かれることなく霧散する。今の私はまるで悲劇のヒロインだ。これが物語であれば誰が私を救ってくれるのだろう。


 ……そんなの、悟くん以外には居ないよね。


 だけど具体的な方法は? 自分以外の人を他人としか思えない私を救うなんて、誰が何をしたら出来るの?


 私に思いつかないことを誰かに望むのは、無責任だ。そんなことを一瞬でも思ってしまった自分にまた嫌悪感を抱く。


 うつ伏せになり、枕に顔を埋める。


 少しだけ熱くなった目頭は急速に冷えていく。ワガママな自分が悪い。話を整理する前からわかりきっている結論。心を読める私が普通を望むなんて、浅はか極まりないよ。


 ……一つ、今まで思いもしなかった新しい考え方が脳裏を過る。


 人の心が全てわかるなら、それは文字通り心の底から相手になりきれるのではないか。




 言い換えると、相手になりきれない私は人の心を全てわかってはいないのではないか。




 ああ、そうだよね。納得しちゃった。




 だって私は、その時その人が考えていることしかわからないんだもん。言うなれば心の表面、それしか見えていない。




「……そっか、そうだよね。だから私以外の、悟くんも含めたみんなは──」




 ──心の内側がわかるんだ。




 一番他人の心をわかっていなかったのは私の方。簡単に移り変わるその場その時の考えしか把握出来ない私なんて、言ってしまえばただの欠陥品だ。


 以前悟くんには“普通の人には読めない心が、私達だけは見えてしまう”なんて傲慢な考え方を話した。


 そうじゃない。“普通の人なら心の深いところを理解出来るのに、私だけは表面しか見えていない”のだ。


 それを私はマイノリティだからといって優越感に浸り、心の奥では見下してしまった。そんな人間が一般人なら普通に出来るようなことを出来るわけがない。


 ぐるぐる、ぐるぐる。秩序を崩壊させた思考は私を深くまで飲み込んでいく。思考の海へ落ちていく。


 ……これも、私なんかがみんなと仲良くしてしまったせい。


 悟くんが生徒会に入ってくれて、私と同じ境遇の悟くんが会長やみゃーちゃんと本当の意味で仲良くなって。




 私にも出来るんじゃないかと、勘違いしてしまって。




 ……あーあ、悟くんが生徒会に入ってくれる前はこんなんじゃなかったのになぁ。自他ともに認める人気者ではあったけど、その全員に一線を引いて立ち入らないようにしていたのに。


 その頃に、また傷つかない頃に戻るには、もう一度みんなと距離を置かなければならない。


 ……近付いちゃった人には、本当に申し訳ないんだけど、嫌われるくらいで初めて丁度良いんじゃないかな。


 さっき悲劇のヒロインである私を救う具体的な方法は出てこなかったけど、こっちの具体案は一瞬で思いついた。


「ごめんね、島本君」


 丁度今日の放課後、告白されたじゃないか。それもクラスメイトの前で。


 本気で告白することに何かを見つけたみゃーちゃんは特に軽蔑するんじゃないかな。


 簡単な理由で受け入れて、やっぱり違うとすぐに捨てる私のこと。


 会長はどうだろう。元々単純そうに見えて底の見えない人だから、もしかするともう私が告白を受け入れることすら見透かしているかも。




 ……悟くんには、嫌われちゃうかな。




「……嫌だなぁ……」




 震える声音は湿っていた。誤魔化すように仰向けになる。


 でもそれが一番良い。今傷つけば後はそれまで通り平穏に過ごせる。その方が絶対に良い。


 ……私も宮田くんも、表面の心に気を取られることが多いからさ。ということはつまり表面にさえ気をつけていれば、誰にも見られたくない本心は隠し通せる。


 花火大会で、自分から手を繋いでくれた悟くん。今も心の奥で燦然と輝いている大事な思い出。


 思い返すだけで、暖かくなった胸がきゅっと締め付けられる。


 ……これが、私の本当の心なのかな。それとも誰かの真似事なのかな。




 ……もう、わからないよ。

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