第129話
三十五.[憑依]
「がっ」足が止まったカタジニ。躰が硬直している。固まっている腕の筋肉を無理やり動かし、衿を開き首飾りを引っ張り出し確かめた。砕け散っていた。
「カタジニ!」その身を、無事を願い呼びかける仲間達。けれど。
大男は苦しげに身をよじり、踵を返すと、アオイに駆け寄りその腕にサラを押しつけた。押しつけやいなやバッと逃れるように退いた。
「カタジニさんっ」呼びかけるアオイに答えず。
よろよろと後ずさり、腰の刀を投げ捨てた。力任せに。遠くに。聖杖も。が、彼の意志の力が及んだのはそこまでだった。「殺せ……、頼む……、早く……」苦しげな息、途切れ途切れの懇願。まるで天空覆い尽くす曇天の奥に漏れる弱々しい陽光。一転して。
轟と響いた嗤い声。曇天、声を発した。ごっ、ごっ、ごっ、と彼らには聞こえた。
「嗤うぞ。人間。こんな処で何をしている。さてはガブ・リ・アルが受肉して人間界に入ろうと目論んでいるとは真のことであったか。受肉したガブ・リ・アルを迎えに来たか」ゴォフゴォフと笑った。
「ガブリアル……、マアシナのことか……」小声で言ったアヅ。
「多分な」答えてイオワニ。
アオイは理解できた。ただし、彼がタパから聞いていた西方での呼び名は『アルガブ』。おそらく単語がひっくり返っただけで意味は同じ。同じ神の名を指している。
「貴様は?」名乗れとアヅハナウラ。
「名乗るか」目尻をつり上げ笑う悪魔。
「手伝え」アオイとイオワニに言うと、アヅは聖杖でカタジニの体を押さえつけた。意図は理解できた。アオイとイオワニも聖杖を重ねて、カタジニの体に当てた。その身を杖の力で封じる。
アヅハナウラが命じた。
「立ち去れ。この者の体から。離れよ」
アオイも。「Monstrum e locis emissum summis Abi nunc ex oculis meis.」知っている文言を口早に唱えた。しかし。
「効かぬわあ」杖を払いのけ大笑いした悪魔。サラを抱くアオイに襲いかかった。つかみかかってきた腕を逃れてアオイ。「リリナネさん! 太陽神魂呪をっ、もう一度」
「う、うん」リリナネは涙を拭き口早に唱えた。
「太陽神魂よ。我は御身の子なり。御身の光を身に宿す者なり。この文言聞き届け、御身の光をこの身に開き、我が掌に御身の光を走らせたまえ」
しかしやはり何も起こらない。繰り返すリリナネ。涙声の呪文。何度繰り返しても結果は同じ。何も起きない。「お願い。ノア。助けて。どうして。助けてよお!」
その間も仲間を襲うカタジニ。いや、カタジニに憑依した悪魔。サラとユウを狙う。必至にかばうアオイとイオワニ。矢面に立って戦うアヅハナウラ。防戦するのみ。
泣きじゃくりながら呪文繰り返すリリナネ。「太陽神魂よ。我は御身の子なり……」空しく響く嗚咽混じりの文言。
「くはぁ!」唸り、悪魔の声が一変した。「早く殺さぬか、馬鹿たれ共! 何を躊躇う」カタジニの声。「ぐずぐずするな」仲間をなじったが。
「早く、助けてくれ……、俺の魂をこんなクソ野郎に喰らわせるな……」
「ガキをよこせ。首を捻ってやる」再び悪魔の声に変わった。
「ごめんなさい、ごめんなさい。私が太陽神魂呪を使えなかったから」泣きじゃくるリリナネ。
イオワニがリリナネに駆け寄りユウを抱かせた。その腕に押しつけた。耳元で優しく言った。「太陽神魂呪が使えなかったのはお前のせいじゃない。気にするな。おそらく、シュスでもこの地では使えなかっただろう」早口に伝えると。身を翻しカタジニに向かった。刀を抜き。
「カタあ許せっ」一瞬で間合いをつめ、首筋を撫で斬り、身を翻し背後に廻った。飛沫あがる血。
「ごぅふ、」という声が「ひゅう」という咽鳴りに変わった。
一太刀では絶命しなかった。人一人の命消えるまでには、凄惨な、想像を絶する怖ろしい時間を要する。地に転がったカタジニ。心臓を、あるいは脳を貫けば一瞬でこときれるはず。それは分かっていても、今日まで共に戦ってきた仲間、その身に刃を突き立てることは容易ではない。イオワニも、二太刀目を逡巡している。アヅも躊躇っている。アオイは俺には絶対無理だと感じた。
「介錯しろ」咽を斬り裂かれ発音不明瞭ながらも、カタジニはそう言ったみたいだった。地に転がり、うずくまり、次いで仰向けになった。とどめを刺せとばかりに。
「カタ。貴様一人を逝かせぬ」イオワニはそう言ってカタジニの胸に切っ先を当てた。
「ありがとよ」そう聞こえた。それがカタジニの最後の言葉だった。
深々とその胸に埋まったイオワニの刃。アオイは直視できなかった。目を逸らし俯いた。友の苦しげな声に顔を歪めた。一突き目で心臓を外したのか。分からない。絶命するまで、苦しげな声続いた。目に涙が滲んだ。とても見れない。耳も塞ぎたかった。
しかし続くイオワニの、予想外の動きに、思わず顔を上げた。
立ち上がったイオワニは、刀を己の身の背後に廻し、一閃させた。自身のアキレス腱を斬ったのだ。どぅっと倒れたその身。
駆け寄る仲間三人。その三人に、イオワニは着物の衿を開き、首飾りを引っ張り出して見せた。石が砕けていた。イオワニは笑った。
「いくら貴様らなまくら剣士でも、寝ている俺は斬れるだろう」
「イオワニさんっ」悲痛に叫んだアオイセナ。
「馬鹿たれが」呆れた口調で軽くなじったイオワニ。「貴様なら俺を斬れたろうに、こんな小細工せずとも。痛ぇわ。二度痛い思いをせねばならんじゃないか、馬鹿たれ」心優しすぎる弟子を叱った。
「ごめんなさい、ごめんなさい、私が……」泣きじゃくるリリナネ。
「何度も言わすな。お前も馬鹿たれだな。お前のせいじゃない」優しい声で言ったイオワニ。「アヅ」旧友に呼びかけた。「貴様ならできろう。俺の弟子はふがいなさ過ぎる」
「うむ」悲痛な表情のアヅハナウラ。
「まさか友達にとどめを刺すことなど到底できぬと、俺を置き去りにして立ち去って、俺の魂を悪魔にむさぼらせるか」
「うむ……。すまぬ。イオワニ」
「謝るな」
「立派な最期だ」
「言われなくても」分かっていると不敵に笑んだ。
アオイは顔をそむけた。耳も塞ぎたかったが叶うわけもない。腕の中のサラが惨い光景を見ないように、しっかりと抱き、その顔を胸に押しつけた。
「早くしろ。俺が俺であるうちに」軽口が引っ込み、声に怯えが見えた。
アヅは拳で目をぬぐい、友人の胸に切っ先を当てた。「すまぬっ」
再び。短時間の間に二度も聞いた。友人が、苦しみ、息絶える声。不覚にも涙がこぼれたアオイ。サラの頭に目を押しつけた。柔らかな髪に涙をうずめた。サラは怯えてギュッと着物の布をつかんでいた。顔を彼の胸に押しつけて上げなかった。
アオイは自分を責め続けていた。なんの力にもなれなかった、仲間を救えなかった。
けれど。
リリナネは俺よりももっと自分を責めているに違いない。気付いた。顔を上げてその人の姿捜すと。
霧の中、既に駆け出していた。ユウハナウラをしっかと抱いて。誰にも渡すまいと。
「リリナネさんっ」
「リリナネ。待て」
後を追う、アオイとアヅハナウラ。アオイは駆けながらアヅハナウラにサラを渡した。「お願いします」
「うむ」と頷いて受け取り、アヅハナウラは言った。声に不安を滲ませて。「リリナネを頼む。止めてくれ」
「はい」アオイは足を飛ばしリリナネを追った。すぐに追いついた。並んで走りながら頼んだ。
「リリナネさん、待って下さい。ユウを渡して下さい」
リリナネは答えない。足を止めない。彼の方を見てもくれない。
「リリナネさん! ユウを」アオイは嫌な予感がしていた。虫の知らせか。払拭できない第六感。ずっと耳元で警告していた。何か、忘れている……。
「私のせいだ」唇を噛みリリナネ。並んで走るアオイに言った。「だからっ、次は私が」
「駄目です。リリナネさんのせいじゃありません。ユウを渡して下さい」リリナネを守ってやってくれ、犠牲となった友人から頼まれた。お前が、あの子のそれになってやってくれ。必ずクムラギに連れて帰ってやってくれ。おっさん二人に頼まれた。「待って。止まって下さいっ」
突如。仄暗い天空を割り。落ちてきた巨大な闇の塊、巨大な咆吼、雷(カミトケ)の如く、まっしぐらに、リリナネの細い体を襲った。次いで小さな破裂音。砕け散った石。
「あっ!」
リリナネの足が止まった。ガクガクと震えている。足も躰も。その足でアオイの前まで来ると、震える腕で、ユウを渡した。
「リリナネさん」祈りに近い声漏れる。顔が歪んだ。
振り払うように後ずさったリリナネ。聖杖を投げ捨て、腰に帯びた小刀も投げ捨てようとしたが。
手が止まった。震えが消え表情が一変した。口角があがった。不気味な含み笑い。アオイには聞き覚えのある声が。
言った。「再会だ。アオイセナ。答えを聞かせろ。お前は誰を呪う」
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