第127話

三十三.[聖女]


「よくぞここまで無事に来られた。クムラギの勇者達よ」


 マナハナウラが聖女として彼らを迎えたので、アヅハナウラは言おうとしていた言葉を呑みこんだ。使者として返礼した。相対してひざまずき、深々と頭を垂れ。


「息災の御様子。なにより」


 他の皆も。「お久しゅうございます」向かい合ってひざまずき頭をさげた。アオイは皆の後ろにひかえた。


 マナハナウラは産着にくるまれた腕の中の赤ちゃんを愛おしげに見やり、次いで皆に顔を向け「ユウハナウラです。生後半年です」と言った。続けて隣に座る女の子を紹介した。


「お姉ちゃんのサラハナウラです。二歳になります」二歳のサラハナウラは、生まれてはじめて見る人々に興味津々で、母親の側を離れて、順繰りにアオイやリリナネの顔をのぞき込み、小さな手をのばして頬に触れたり髪に触れたりして、照れ笑いを浮かべた。笑みを返すと恥ずかしそうに母親のもとに戻り、後ろに隠れた。


「マアシナラギ様はいずこに」

 当然のこと、その神に会えると思い込んでいた一行。アオイを除いて。ゆえに返ってきたマナハナウラの言葉は、彼らにとって吃驚の内容だった。アオイは驚かなかった。予想通りの答え。彼の思い描いた通りに、定めが進行している。自分の仮説の正しさを裏付けられた。


 マナハナウラは厳かな口調で告げた。

「マアシナラギと呼ばれていた神は、すでにこの世界に存在しません」

 俄には信じられない言葉。耳を疑った一同。マナハナウラは静かに続けた。

「その神は二つに別れ、この二人の子の裡(うち)に種の形で宿っています。ゆえにもうこの世界の何処にもいないのです。ただ、現世の人々がこの事知ると不安に思うはず。ゆえに、この事はあなた方だけの胸の内におさめておいて欲しいのです」


「きっと……固く誓います」驚きながらも、かろうじて答えたアヅハナウラ。頭を垂れた。他の者も同様に。


「あの……」勇気を出してアオイは問いかけた。しかし本当に聞きたいこと、定めに関する事は、今この場で聞けなかった。「ここは、寂しくないですか」


 マナハナウラは優しく微笑んだ。「おチビちゃん達がいますもの。それにこの子達も色々気を使って私を慰めてくれます」フィオラパ達を見やった。


「暮らし向きのことは一体どうやって……」マナハナウラもサラも綺麗な着物を着ている。ユウも綺麗な産着にくるまれている。一体冥界の底でどうやってそれらを調達したのか。また、日々の食べ物などは。


「それらもすべて、この子達が用意してくれます」再び、フィオラパ達を目で示した。


「あなたはこのあと……」どうなるのですか、そう聞こうとして、しかし言葉が続かなかった。返ってくる答えが予想され。マアシナラギは目的を達した。マナハナウラの裡に受胎し、種の形で二人の子に宿った。人に受肉して人間界へ入る。しかし彼女は。


 聖女マナハナウラは悟りきった表情で答えた。優しい笑みを浮かべ。

「私はこのあと、肉体を捨て、ラギとなることが約束されています」


 リリナネがうつむいたままポトポト涙を落とした。アオイも。寸での処でこらえた。肉体を捨てとは穏やかな表現だが、それはつまり。この冥界の底で。誰に看取られることなく。独り孤独に。


「ゆえに叔父様。そして他の方々も。とわの別れにございます。叔父様、今日まで育てて頂いてありがとうございました。また、サラとユウをお願いします。きっと人間界に……」


「うむ……」アヅハナウラは唸るように言って、しかし言い直した。歯を食いしばり。「すまぬ。マナ。我らを許してくれ。我らを、お前を犠牲にしなければならぬこの世界の約定を」


「叔父様。頭を上げてください。マナは幸せでした。皆さんに愛され、皆さんに祝福され……。私はラギとなって、このあともずっと皆さんのお側にいます。ですから、どうぞ、悲しまないでください……」

 立ち上がり、しずしずと進み、腕の中の子をリリナネに渡した。

「ユウは、おとなしく手のかからない子です。きっと優しい子になるでしょう」

 続いてサラを呼び寄せ、皆の方を向かせて立たせた。小さな頭の上に、優しく手の平をおいた。

「サラは、好奇心強く、おてんばさんです。どうか私を愛してくださったと同様、この子達も愛してくださいますよう、お願い申し上げます」


「かっ……必ずや」喉をつまらせたアヅハナウラ。

 アオイの隣で、カタジニが変な声で噴いた。見ると袖で口を隠し、拳で目を押さえていた。アオイも人ごとではなく落涙寸前だった。イオワニが短く鼻を啜った。リリナネは嗚咽こらえて肩を震わせていた。


 マナハナウラはにっこり微笑んで叔父に黙礼すると、サラの方に向き直り、しゃがんで、我が子の目を見つめながら言った。

「サラ。いつもお話ししていたとおり。お迎えの人達が来ました。この人達が、素敵な町に連れて行ってくれます。お外は怖いですが、この人達はみんなとても強い勇者様ばかりなので、何も心配はいりません」


 こくんと頷いたサラ。

「マ、ナ……は?」小首をかしげた。一緒に行かないの、と。


「私は後からゆきます」そして幼子の首にケイの附いた首飾りをかけた。「これはウェナです。お父様がくださった宝珠です」


 ニコッと笑ったサラ。綺麗な首飾りをもらって喜んでいる。

 そのケイの名はアオイも聞いている。タパから。ニシヌタ老婆の夢枕に立ったマナハナウラが伝えたという。

 そのケイはラアテアの呪文を宿せるという。その呪文であれば、悪龍の闇の霊力を祓うことができる。そしてマアシナの御子ならば、その呪文を唱えることができるのだ。


 聖女マナハナウラは愛娘サラを抱き上げ言った。

「忘れないで。私はいつもどんなときも、あなたとユウの側にいます」愛しげに頬を寄せ、口づけした。嬉しそうに微笑んだサラに、優しい笑みをかえした。けれど。

 母親の顔から聖女の顔に戻った。娘を抱いて叔父アヅハナウラの前に立った。神の使いとして、人間界からの使者に、告げた。


「定めの子は、サラです。ユウは、サラを護るために、その剣を使える者を側に置くために、マアシナ様の一欠片が宿ったのです。定めの子は、サラ」


 開きかけた口を閉じたアヅハナウラ。問いたいことは山ほどある。彼にもまだ、分からないことだらけだ。いや、ますます分からなくなったと言ってよい。けれど何も問わず頷いた。そして文字通り神からの授かり物、御子サラハナウラを、聖女マナハナウラから受け取り、宝物のように、大切に、胸に抱いた。


 そして。


 無言。互いに。誰一人何も言えない。別れの言葉を口にすれば、いくら二歳の子でも気付くだろう。母が置き去りとなることに。そしてこの場にふさわしい別れの言葉など、誰も知らない。

 ただ、無言で見つめ合ったマナハナウラと五人の戦士。


 次の瞬間。踵返したアヅハナウラ。続いて四名。後ろで、ずっと見つめ続けているマナハナウラを独り残して。万感の思い歩みに込め、地を踏みしめた。

 森の入り口でアオイがふり返ると、マナハナウラは優しく微笑んでいていた。光る雫が頬流れていた。

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