第121話

二十七.[リリスを却けよ]



「黙さぬ。ならばどうする?」愉快げに笑う悪魔。


「貴様を却ける」口中の、破れた皮吐き捨ててアオイセナ。


 刹那。緊迫した空気斬り裂き。アオイは躍りかかった。聖杖で胴を薙いだ。


 そして起こった事象は彼の予想した通りのことだった。聖杖は悪魔の躰を引き裂いた。殴打したのではない。それは崩壊。リリスの躰が裂けた。聖杖に触れた部分が、無に帰す。その身にまとった蛇もろとも、真っ二つになった。

「やはり」

 どれほど精巧な、人体そっくりの造物なれど、それが悪魔の造物ならば、理屈は泥人形と同じ。聖杖で砕ける。


 胴体寸断されたリリス。ズンと上半身が沈み、腹の上に乗り、グラリと傾いだ。が、その面は不敵な笑みを浮かべたまま。

「いつの時代も……」

 不気味な音を立て、はみ出た臓腑が蠢き、寸断された胴が、復元されていく。傾いていた躰が真っ直ぐになってゆき。

「我らは常に正義に潜み、正義を歪め……」

 元通りに戻った。ただ、迸った血のあとだけが、そこに傷のあったことを示していた。

「元々愚かな人間共を更なる愚行に導く……」


「何が言いたい」アオイは心中舌打ちした。残る手立てがない。その心中を悟られぬよう言い返した。


「いつの世も、持てる者が持たざる者から奪い取る。富者が貧者を蹂躙する。貴様の国の豊かさは、どれほどの国の貧困の上に成り立っているのか。考えてみろ、アオイセナよ。貴様はただ息をして生きているだけで、数千万の子供の血を啜っているのだ。まるで自覚なく。我らには愉快この上ない事」


「黙れ」

 その事について詳しくなくても、悪魔の言わんとしている事は朧に分かる。たとえその通りだとしても、今、耳を貸してはいけない。罪悪感に責めさいなまれる。悪魔の意図は明白。今、考えることではない。それは彼の責任ではない。


「気附かぬか。アオイセナ。うぬらの勘違いに。ラギはラカテアにくみしているのか。ラカテアの使いか」


 ラカテアとはタパから聞いたことがある。ラアテアの古い呼び方。


「巫術師どもの言葉を鵜呑みにしているのか。自分で考えろ、アオイセナよ。気附けば自明の理。それ以外に答えはあり得ぬ。我らが根ざす原理と対立する原理に、ラギは根ざす。で、あろう?」


 いかずちに打たれた様な顔になった彼を見て、悪魔は高々と笑った。轟と、冥界に風が巻き起こった。


「気附いたか、アオイセナ! ラギ共はノアの手先! ラカテアの使いのような顔をして、その実悪魔の手先。愉快至極。哀れな人間共よ。貴様らに、救いは! ない!」


「黙れ! 黙れ、黙れっ!」

 アオイは再び躍りかかった。リリスは宙に逃れ、聖杖は空を切った。頭上、杖の届かない場所にリリス。上から襲い来る大蛇。聖杖で払った。払っても払っても、何度首を裂いても、下に落ちない。その場で再生される。何度も。


「くそっ」


 焦るアオイを、悪魔は満足げに笑んで見据え、さらに追い詰めた。余裕の物言いで。


「結局の処、善悪などはこう喩えれば分かりやすい。善悪などはつまるところ、つがいのカメレオン。まったく違う色をしていても、その正体は同じ」


「黙れっ」

 守宮猿の言葉を心に思い浮かべた。その言葉にすがった。

 汝が汝で在ること、今日まで知り得たこと、覆されぬよう、逆に悪魔の言葉の裏から真実を嗅ぎ分け、己の自性を強固たるものとせよ。できねば、汝、悪魔に壊されよう。


 悪魔が導こうとしている結論は、彼を破壊せんとする、その目的のみの、曲解。ならば真実は別所に在る。


 宙に浮かんだリリスを捉える技を、彼は持っている。

 カッと瞬時に間合い見切るや、宙を斬る後ろ回し蹴り、着地したその足で強烈に地を蹴り、逆足を後方に跳ね上げた。空中に躍り上がった躰。強烈な遠心力かかり、ほぼ横倒しのキリモミ回転となった。聖杖繰り出した。

 縦に、リリスを引き裂いた。頭部は真っ二つに。胸から腹にかけて深い傷を負わせた。

無残な溝を刻まれたリリス。


 体勢崩しながらも着地したアオイは、すっくと立ち、悪魔に向き直り、静かに告げた。彼の知る真実を。

「マアシナは、違う」

 その神は、原理神でもなくラギでもなく、どの位階にも属さない神。人々はラギと思い込んでいるが違う。今、現時点、人類で、おそらく彼のみが知る真実。


「ほう……」悪魔は、裂かれた顔のまま笑みを浮かべた。「やはり貴様はあなどれぬ」


 褒められたのか。いや、良い気になってはいけない。逆だ。警戒すべきだ。そしてさらに。復元していく悪魔の顔にらみすえ、彼はあらためて思った。それは、最前からずっと感じていたこと。


 これは、何だ?


 これはリリスである。しかし彼が知るリリスは古代メソポタミア文明の吸血鬼めいた女の妖怪。子供や妊婦を害するという。その伝承と、今、眼前にいる悪魔は、まるで別物。創造さえ容易に為す。それはまさに神の業。


 悪霊も、数千年の時を経て、レベルアップしたのか? 物象原理に属するがゆえ、この霊は物象創造さえ容易に為すほどの存在と成ったのか。


 再び襲い来た蛇、無言で却けて。


 俺は、考え違いをしていたのかも知れない……。ルーツにばかり遡って調べていたのは間違いだったのかも……。霊的存在は進化する。


 であれば? 逆もまた言える。


 呪法も⁉︎ 

 進化して……。いや、つまり、より成功率の高い方法が編み出され……。


 その瞬間氷解した一字違いの違和感。この局面を打開しうる、否、この冥界入りを成功に導きうる呪法。マリコラギ隠形法の正体。

 彼はマリコラギの真実の名をタパから聞いていた。

 ウカス。それはおそらく先住民族の訛り。そしてさらに。それすら真実の名ではない。


 真実の名は。そして呪法の正体は。

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