第114話

十八.[存在しない神]



 考えろ。確かな情報を整理しろ。横糸と縦糸を紡げ。そうすれば、今は見えない模様が現れるかも知れない。


 霧中先を行くリリナネの背中を足早に追いながら、彼は努めて冷静に考えた。極力憶測を交えず、確かな情報だけを冷静に分析する。


 サザキベ、ワニ、オシヌミが古墳時代の人々の末裔ということは、まず間違いないだろ? だよな。だとしたら、一見ありふれた姓だけど、ミチモリも。彼らと並ぶ旧家だとすれば、『道守』。この一族も古墳時代の豪族。

 だとしたら、タイラは平家の末裔? いや、これは平良(たいら)もある。断定はできない。第一旧家とは聞いていない。シュスは? 姓はローだ。何人か分からない。プアロア出身だからナネやカタと同じで先住民の姓かも。でも、シュスは朱子かも知れない。あるいは守子、珠子。古代の男子名の子はスと読んでいたって何かの本で見た。その頃の読みが残ってて朱子をシュスと読むのかも。いや、こんなことは全部断定できないどうでもいいことだ。第一、うろ覚えだし。スじゃなくてシだったかも知れない。

 そこまで考えて当然思い至ったある事柄。ちょっと待て、おかしいだろ、と。


 クムラギには漢字がないのに音と訓を使い分けてる。これってどういうことだ? 


 不可思議な現象。彼らが使っているのはホツマ文字に似た図形的文字。ひらがな五十五音とほぼ対応している。しかし話し言葉で分かるとおり、漢字の音と訓を使い分けている。

 何処かに漢民族がいるのか––。

 少し考えて、これも断言できない、どちらとも言える事だと気附いた。


 いてもいなくても同じ。文字の記憶を失い、この世界へ来る。けれどもとの世界の言葉は残ってる。トリとチョウは同じ。リュウチョウと言えば龍鳥と通じる。現代日本ではあまり馴染みないけれど、クツをカと呼ぶ。兵靴とか。彼らがオニツカをオニツカと呼ぶのは、古事記とかでよく出てくる天津と同じ『津』の意味、鬼津靴––。


 ツフガの言葉はハワイ語に似ている。でも、ハワイ語じゃない。先住民がラエモミに都を築いたのが二千年前なら、先住民は多分、古代ポリネシアの民。古代ポリネシア語。オーストロネシア語族に属する言語。でも、古代ポリネシアの神は知らない。ペレやクーはハワイの神だし。くそっ。古代ポリネシアも勉強しとくんだった。確か基本的にアミニズムで、マナとかタブー(禁忌)とかポリネシアの概念だったよな。


 マナ……⁉︎


 ラアテアって何だ? マナじゃない。違う。ラアテアはマナじゃない。

 原初キリスト教、グノーシス主義の『光』の概念に近い。でも、禅を組む。あの時のタパの話は禅宗的だった。クムラギの人々のラアテアの捉え方は禅の思想に近い。

 そうか! もしも神や悪魔が実際にいて、人々の前に姿を現すならファンタジー要素は排除される。信仰は単一にならざるを得ない。勝手な解釈はできない。

 最高神も統治神も創造神もいない。宗教というよりも哲学思想に近いモノなんだ。

 宇宙開闢の素因のことをシュスは話してくれた。ハッキリ言わなかったけれど、それはラアテアのことかも知れない。

 サタンとルシファーはいる。ヘンテコな名前で呼ばれてるけど。向こうの世界でルドルフ・シュタイナーが霊的ビジョンで捉えた姿とほぼ同じ役割で存在している。サタンは闇の王アーリマン。物象を司る。ルシファーの意味合いが多少違うが。いや、そんなことよりも。それ以前に。


 まったく存在しない神がいるだろ。


 ヴェセプタ。異界の扉を開く神。これに該当する神はいない。けれどこれは古代に異界という概念がなかったからだ。知られてないだけ。別世界と思しき場所に迷い込むお伽噺は世界各地にある。

 でも、マアシナ! マアシナは違う。

 この神は何だ? これってなにげにこの世界にいるけれど、全然得体の知れない神じゃないか。呼ばれている通り月天子なら、単に月を司る神なら、不思議でも何でもない。向こうの世界のどの文明にもいる。けれどそうじゃない。マアシナが月の名を持つのは、ラアテアの月ということ。ラアテアを映す光の神、そんな神は向こうの世界には存在しない。どういうことだ? これ。得体の知れない神が……何食わぬ顔で平然と……。


 彼はタパからある程度手ほどきを受けていた。基本的な神霊の知識を教えてもらっていた。記憶が戻った今、タパから聞いたほぼ全ての神は向こうの神と一致することに気附いていた。勿論完全にということはあり得ないし、重複もある。文明の数だけ。しかしそれらをさっ引いてもマアシナだけは別だった。その神は存在しない。


 どういうことだ? これ……。あ……。


 この時。推理の果てに立ち現れた世にも美しい解答。全ての凹凸(おうとつ)がピタリと符合して立ち現れた美しい結末の絵。彼はマアシナの古い呼び名、西方の言葉での呼び名を、タパから聞いていた。アルガブ。その意味を彼は理解できた。タパですら知らないその名の意味を。


 まさか、一つの定めって……。これ……、これが本当なら……。


 思わず足が止まり、脳裏に舞い降りた光景に息をのんだ。瞼に熱い物がこみ上げた。


 拳で目を擦った。次いでハッと気附いて唇を噛んだ。


 駄目だ。これが結末なら……。


 聖女は連れ帰れない……。


 あの人は神になるしかない……。




(グノーシス主義:原初キリスト教最大の異端。邦訳すれば覚知主義)




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